2010年3月15日月曜日

春の歌

春先の陽気に誘われて、自転車で隣町まで買い物に行く。クルマが滅多に通らない、住宅街の狭い街路をゆっくりとペダルを漕いで走る。垣根の日溜まりでは老いた猫が昼寝をし、その傍を子どもたちが駆け抜けていく。空に向かって咲くモクレンの花が神々しく輝いて、真っ青な空に浮かんでいるかのように見える。季節の巡る度に繰り返される命の営みの、なんと神秘的なことか。

隣町には小さな釦屋があり、そこで着古したカーディガンの釦を探した。だが、あまりにも種類が多く、混乱して暫く呆然としていると、静かな店内にジャズボーカルのBGMが低く流れているのに気がついた。ミリー・ヴァーノンの歌う"Spring is here"である。中年男にはもはや縁もゆかりもない清純な歌だけど、無防備に空いた心の隙間を優しく満たすような旋律だ。ぼんやりとその曲を聞きながら、釦屋のショーウィンドウ越しに、人々が軒先を行き交う光景を、どこか幻を見るような気分で眺めていた。

春を題材にした曲というと、わたしは"April in Paris"を真っ先に思い出す。春を迎える高揚感と、憂いや戸惑いの混じる複雑な感情が洒落たメロディで表現されている大人の曲だ。とりわけ、セロニアス・モンクのピアノで演奏されるそれが素晴らしい。静かで、孤独で、しかし飛び切り豪華な春である。それは、花びらが舞い散る夜桜に、一人酔いしれるという喩えでどうだろうか。歌が付いたものとなると、エラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングがデュエットしている"April in Paris"が素敵だ。もちろんエラは十分に申し分ないが、それ以上にサッチモの歌が冴えている。低く唸り、ため息を絞り出すような彼の歌声は、幾つになっても心を捕らえて放さない。

隣町での買い物をしたその日の夜、テレビでリスボンの酒場の様子を観る。彼の地では夜になると老いも若きも、ファドを聴きに酒場にやってくる。狭い店内一杯に客が詰めかけ、開け放たれた扉の外まで立ち見が出ていた。いつかはきっとと思いながら、未だに実現しない憧れのリスボン行き。私の一番好きな春の歌は、「ポルトガルの四月」、そしてもちろん、ファドの女王、アマリア・ロドリゲスで楽しみたい。

2 件のコメント:

  1. lefty15.3.10

    atoさん、お久しぶりです。ミリー・ヴァーノンが流れる釦屋さんなんて素敵ですね。
    当方も昨日、暇と花粉!?に誘われて自転車で足を延ばしました。
    川沿いに走ったのですが、花々がちらりほらりと目につき、写真を撮りながらのポタリングとなりました。
    ちょっと頑張りすぎたせいか、筋肉痛に。これから、梅雨までが自転車乗りにとって楽しみな季節です。

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  2. leftyさん、こんばんは。
    春はやっぱり、ポタリングの季節ですね。
    このところ、クルマもバイクも乗る機会が減って、どこに行くにも自転車です。
    このあいだ、バッテリーが上がらないようにと、久しぶりにバイクに乗ったら、白バイに停められて整備不良で切符を切られてしまいました。
    神様に、クルマもバイクも捨てなさい、と言われたような気がしました(笑。

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