2010年4月25日日曜日

日付スタンプ


子どもの頃からのコンプレックスは、自分の字が下手だということ。記帳を求められたりするとき、隣の列の立派な字が目に入り、それだけでも気持ちが挫けそうになる。周囲の目を気にしながら筆を手にするのは、いくつになっても嫌なものだ。でも年の功というか、学生の頃に書いたものと比べると、これまで生きてきた分だけの進歩は見て取れる。父は若い頃から達筆でならしたが、残念なことに母の方は様にならない。だから今では、悪筆は母方からの遺伝のだろうと諦めている。

自分しか読まないノートは、どんなに下手くそでも、他人に見られない限り恥ずかしくない。要は読めればいいのだ。ただ乱雑なノートを、少しでも見栄え良くしたいという希望があり、それで思いついたのが日付スタンプなのである。メモをとるときなど、先頭に日付を入れるのを習慣としているが、その大きさがバラバラで、しかも何を書いているのか読めない時もある。せめてメモ冒頭の日付は、美しいスタンプで飾り、全体の秩序を保とうというわけだ。

さっそく文房具屋に行って日付スタンプをいくつか見たが、国内メーカーのはどれも数字が並ぶだけの味気ないものばかり。丈夫そうで品質には文句ないが、今ひとつ興味が沸かない。それでは輸入品にはないかと調べてみると、ネット通販で何種類か取り扱いがあった。こちらは国内メーカーより使えそうだが、安価な分だけちょっとちゃち。実際に見てみないと買ってよいものか分からない状況だったが、運良く散歩コース上に取り扱っている店があり、取りあえずその店を覗いて現物を触った。最初の印象通り、玩具みたいなスタンプだったが、だからといって簡単に壊れるほどの粗悪なものではない。丁寧に扱えば、きちんと寿命を全うしそうなまじめな商品だった。

この数日、使ってみての印象は決して悪くない。下手くそなメモの上に、整然と押された日付印は、他のメモとの区切りを果たし、それなりに整頓された印象を与える。これはまあ、当初の目論見通りともいえる。スタンプ台が不要で、スタンプを紙に押しつけるだけで簡単に印字されるのも嬉しい。スタンプの耐久性にしても、一日数回使う程度では問題になることはないだろう。できればインクが黒だけでなく、ほかの色が使えるならもっとよかったのにと思う。


写真は、罫線幅6ミリのノートにスタンプを押した様子。欲を言うと、もうちょっと字が大きければ完璧だった。

2010年4月10日土曜日

夜桜

「向こうにいたときはね、サクラの花を愛でる習慣のある人たちって、なんて哲学的なんだろうと思っていたの。わたしだけじゃなくって、周囲の人たちもみんなそうだったの。」と、彼女はなにやら愉快そうな調子で言った。そりゃ、そうでしょうとも。よりにもよって一番美しい季節に、肝心のサクラなんかそっちのけでどんちゃん騒ぎするのだから、実際に目前に繰り広げられた光景に、さぞ呆れかえったことだろう。

呑兵衛であるわたしも、もちろんブルーシートに陣取った酒盛りは嫌いではない。しかし本当にサクラを愛でるなら断然、深夜の誰もいなくなった静かな時間帯がいい。暗がりに、微かな光を反射して浮かび上がるサクラの白い花びらが、夜風に運ばれて舞い散る様子が何よりいい。決して哲学的とは言えないものの、サクラの散り際の美しさに永遠の時間を感じ、翻って自分の命の短さを思う。両手で掬った砂がサラサラと止めなく落ちていくように、このたとえようもなく大切な一瞬さえも刻々と記憶の果てに押し流されていく。この無常観、普段は意識しない単純な真実を、なぜか深夜のサクラの木の下で思い返すのである。

夜桜を眺めるたびに、無意識に脳裏に浮かぶ曲がいくつかある。その中でも真っ先に浮かぶのは、何といってもビル・エヴァンスの作曲した"Blue in Green"。特に"Kind of Blue"に収められた同曲が絶品。マイルス・デイビスのトランペットから継いで、暗闇に漂うように響くビル・エヴァンスのピアノの素晴らしさといったら、この感動をどう表現すればいいのだろう。純粋な美をすべて音に置き換え、人の感情を超えたところに永遠の空間を作り上げている。そのように感じる曲なのである。そして、この曲を脳内で密かに再生しながら、サクラの散るさまを凝視するわたしは、もしかするとウォークマンのCFのお猿さん程度には哲学的に見えているかもしれない。