2010年7月6日火曜日
ハロー・ドーリー!
夕食はたいてい夜遅く始まり、酒を飲みながらダラダラと楽しむ。食事のお供は、ビデオレコーダーに溜め込んだ雑多な映像。適度に短く、見た目のきれいなものが好みだから、ほとんどが旅行系や美術系のドキュメンタリーである。たまに気が向くと、古い映画の名シーンなども細切れに鑑賞する。映画は何度も見ているので全部見る気は起きないが、好きなシーンだけを短く、酒の肴代わりに、ああだこうだと勝手なこと言いながら見るのもまた楽しい。
このところ度々観ているのが、バーブラ・ストライサンドの「ハロー・ドーリー!」。主人公が、馴染みのレストランに再び戻ってきて、店の人たちに挨拶をするシーンがことのほか気に入っている。作品全体としては、若干長すぎてまとまりを欠くきらいがあるが、このシーンが映画のすべてだといっていいくらい素晴らしい出来なのだ。その中でも彼女とサッチモとの掛け合い部分が素敵だ。双方ともに文句のつけようがないくらい、完璧な掛け合いなのである。
この映画の背後に隠れた、もう一つのテーマも悪くない。主人公が劇中で呟く。「お金は肥しのようなもの。若い芽を育てるために使われなくてはならないの。」まったく、この意見には全面的に賛成だ。わたしたちの国では、これから老人たちの影響力がますます強くなり、それに合わせて少数派である若者たちへの皺寄せも酷くなっていくだろう。せめて、将来もっとも不利益を被る若年層のために、選挙権の年齢引き下げるくらいの配慮があってもよかったのではないか。また相変わらず議員定数の不均衡問題も是正されたとは聞いていない。解決困難な問題と直面する時代だからこそ、声の小さな者たちが不利益を押し付けられないよう、政治的公平さを実現する必要があるのではと思うのだが、そういうことすらまったく期待できない政府に苛立ちを覚えている。
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