2010年8月15日日曜日
スプーン
パレートの法則、あるいは80:20の法則は雑貨にも当てはまる。必要なものしか持っていないはずなのに、使わないものが意外とたくさんある。たとえば、うちの場合は「鬼おろし」がそれで、最初の内は喜んで使っていたのに今ではぜんぜん出番がない。だからいま、目の前から消えてなくなっても、痛くもかゆくもない。逆に、ごく少数の調理道具や食器たちは毎日のように登場する。鍋釜、包丁、茶碗の類だ。つまり、なくなると途端に日常生活に不便をもたらすキラーツールである。それら全体の2割の雑貨が、日常生活の8割以上を支えているというわけだ。従って、快適な日常生活を維持しようとするならば、この2割の雑貨のことだけ気に掛けておけばいいという理屈になる。
さて、この2割の雑貨だが、出番が多くて消耗が激しい。だからよほど丈夫であるとか、いつでもどこでも手に入るというものならば、安心して使って大丈夫だが、逆にそうでないものは、常に消耗を見越して次のものを探しておく必要がある。ところがそういうものに限って、代替性に乏しいのである。こういうのも、きっと何とかの法則と呼ばれているのだろう。
写真は、我が社のエース、もとい我が家のエース、単なる木製のさじ。既に勤続20年が過ぎて、あちらこちら傷んできているのに、未だに後継者、もとい代わりのものが見るからないでいる。機会があれば探しているし、実際にいくつも購入もしているが、これがまったく駄目なのだ。先日も、ちょいとコジャレた食器屋で木のさじを探していたら、ちかごろ人気急上昇の作家ものを勧められた。名前は知っていたが、予約が多くてなかなか手に入らないとのこと。それでサンプルを実際に手にとってあれこれと触ってみたが、想像していたのと違って気に入らなかった。なにしろ口に運ぶわけだから、見た目が素朴なだけでは困るのだ。適切な大きさ、口当たりの柔らかさ、柄の部分のくびれやカーブなど、持っていることを意識させないくらい軽やかなデザインであることが条件なのである。
それにしても、例の作家ものは一種のバブルじゃないかなあ。いや、ご本人の作品のことではなく、人気の方がね。それほど普遍性があるとは思えないのだ。
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