2010年10月13日水曜日

つらつらと思うに

このところ正義とか愛国心とか、なじみのない言葉が流行っているようだ。どちらも腹に収めるには、ちょっとばかり抵抗のある言葉である。正直なところ、具体的場面でこれらをどのように使うのか、わたしにはよく分からない。「あなたには正義がないのか」とか「愛国心を持て」とかを、他人に言い放つ自分が想像できないのだ。心の中ですら、そんな言葉使わないのが普通だろうにと思う。

「愛とは決して後悔しないこと」という有名な台詞がある。つまらない映画だったけど、この台詞はいいところを突いていた。愛する人のためなら、誰だって犠牲を払うことを躊躇しないし、そうしたことで後悔する人は少ないだろう。多分。「愛国心」の場合はどうなのか。極端な想定だけど、何度も戦争に駆り出され、最後に命を犠牲にすることに後悔はないのか。純粋に自分の意志でならまだしも、拒絶の許されない絶望的な状況で。

父は、典型的な貧乏人の子だくさんという家に育ち、まだ小さい頃に父親を戦争で失った。戦死したのは2度目の招集のあとで、部隊では一番年嵩だったという。それから、年の離れた長兄が戦死した。家族思いの優しい兄だったらしい。泳ぎが抜群だったので海軍に回されるのを心配し、家族のためにも陸軍に行きたかったのだが、その望みは叶わず魚雷の攻撃で帰らぬ人となった。働き手を立て続けに失い、父が進学を諦めようとしていたとき、教師をしていた叔父が親戚中を説得してくれた。その叔父も、無事終戦を迎えることなく父親や長兄と同じ運命を辿った。数年前、父とともに靖国神社を訪れ、近くの蕎麦屋で日本酒を傾けながら、口数の少ない父が珍しくそんな少年時代の出来事を語ったのである。

先日亡くなった小林桂樹の映画『名もなく貧しく美しく』を見ていて、とても美しい台詞に出会った。ろう者の夫婦が厳しい生活を送りながらも、「わたしには、この小さな家が天国です。」と語っていた。毎日の糧を求めて懸命に働くこの主人公たちには、およそ愛国心とか正義という言葉は似合わない。そしてわたしの父からも、かつてそんな勇ましい言葉を聞いたことがない。毎日忙しく暮らしていると、そういう言葉が収まる隙間がないのだと思う。

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