晩秋に

街路は色とりどりの落ち葉で敷き詰められ、陽の傾きで刻々と変わる木々の姿が美しい。時に人々が寝静まった深夜、冷たい雨が降り注ぎ、枯れ葉がさらさらと優しい音を立てる。この時期は一年でもっとも好きな季節だが、同時に、20世紀の終わりに我が国を襲った金融クライシスを生々しく思い出す季節でもある。

あの当時、都心の一等地に店舗やオフィスを構えた金融機関が崩れ落ちるように次々と破綻し、そののち閉鎖されたビルには夕方になっても照明が灯らず、周囲の目映い光の中でそこだけ薄暗い姿をさらしていた。そしていくつかの取引先が倒産して、長い付き合いのあった人たちから挨拶状が届くようになった。この先、自分たちは一体どうなるのだろうか、どうすれば生きていけるだろうか。毎日のように不安に苛まれ、何としてでも暮らしを守らなければと懸命だった。

それから12年、予想以上に長くもった日本だったが、もはやゲームは詰んだと言えるときが到来したようだ。いくらでも挽回のチャンスがありながら、その度に制度改革の痛みを先送りしたあげく、最後に政権担当能力の欠如した政治家たちを選んでしまった。何ら影響力のない立場だからこそ無責任に言うが、これから先は何をしても手遅れだろう。経済の立て直しはむろん不可能だし、福祉制度だって維持できない。私たちの出来ることは、社会が総崩れにならないよう人々との絆を保ちつつ、各人の自助努力でこれから起きる変化に対応するだけだと思う。

しかし将来を悲観しているわけではない。想像していた事態が起きつつあるだけだし、またしっかりと覚悟もしているので、これからも明るく暮らすということには変わりないのだ。なにより健康であること、仲良くすること、自分なりの価値観を持つこと、そして笑うこと。これだけあれば何だってやり過ごせるものだ。

なぜこんなことを書く気になったかというと、池田先生のブログの「退却戦の戦い方」というタイトルに触発されたからだ。わたし自身も幾度か遠回しに書いたが、薄々感じていたこの気分をずばりと表現していたので、もうはっきりと口にしていい時期だと思った。そして進撃より退却のほうが遥に難しいことは言うまでもなく、そういう場面で無能なリーダーが居座る決意でいるとは、国民にとってまさに災難だと思うわけである。

コメント

  1. ギャンブラー27.11.10

    こんばんは。
    私も株を手仕舞いしつつあります。一時的に株価が戻っているので。ま、現金に替えてみたところで、ハイパーインフレが起きれば紙くずになってしまうんですけどね。そうであるならば、これまでは賃貸派でしたが、今のうちに居心地の良さそうな地方都市に不動産でも買って老後に備えようかな……などと考えています。
    最近、GDPが中国に抜かれたなどと騒いでいます。まだみんな高度経済成長の夢を追っているんですかね。私は、国の仕組みを経済規模は小さくても国民がそこそこ快適な暮らしを営めるように変えていくべきだと思うのですが、また、そのためには一国民として我慢もしようと覚悟しているのですが、今の政治家や官僚、財界を見ていると、あいも変わらない経済成長ビジョン(という名の夢物語)しか持ち合わせておらず、そんな社会への軟着陸はとてもできそうにありません。
    結局、すべてが破壊された灰燼から、本当の成長(希望)がまた始まるのではないかと諦めています。

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  2. 将来転居することをお考えであれば、すでに高齢化が完了している地方の県庁所在地などどうでしょうか。不十分ならがも福祉サービスが受けられるでしょうし、文化施設も整っているので退屈しないで済みます。
    これまでもいろいろと見てきましたが、けっこうお値打ちの街が多いですよ。実はそういう街にある空き地を手放そうとしているのですが、さっぱり買い手がなくて困っているんです。今から物色するとおもしろいかもしれません。

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