
その日一番の便で羽田を発ち、時間つぶしに早朝の神戸の町を散歩した。整然とした街並みと、街路の満開のモクレンが美しい。16年前の廃墟となった光景が、まるで幻のように思い出せる。しかし、もはや懐かしい町の面影はなく、わたしにとっては、故郷とは言ってもどこかよそよそしい場所。震災前から続くカフェに立ち寄り、昔と変わりないサイフォンコーヒーを味わって、やっと故郷にいることを実感できた。

運が悪かった、と言える。バブルが崩壊し、重厚長大産業が転換期を迎え、グローバリゼーションの時代に対応しなくてはならない時期に、神戸の町は予想もしなかった災害を被った。そして、追い打ちを掛けるように、人口の急速な高齢化が進んだ。町は清潔で美しいが、もはや昔日の活気を取り戻すことはない。一番の繁華街だった場所では、有名な老舗が次々と店を閉じ、そのあとには大衆向けの安っぽく、詰まらない店が軒を連ねている。その様子は、東京の近い将来を、そのまま暗示しているように見えた。

夜になり、どこかに美味いレストランがないかと尋ねると、食通の妹曰く、神戸では震災以降これといった店がなくなり、新しい店も大したことがないので苦労しているとのこと。あれから長い歳月がたったが、この町はいまだに震災の影響を脱せず、長い不況にもがき続けている。そして、今回の大災害を契機として、これから更に長く深刻な試練が待ち受けている・・・。いったいいつになれば、平穏で幸せな時代を迎えられるのだろうか。
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