安全な社会のために

客観的には当然に想定しなくてはならないのに、自分たちにとって不都合な事実から目を背けていた結果が、今回の大惨事になった。人はこうあって欲しいという願望で物事を判断するものだ。たとえば、自分がこれまで安全だった人は、これからも安全だろうと希望的に「予測」する。だが、そこが間違っている。何度でも同じ過ちを繰り返す。大切なことは、少しでも過ちをただすこと、得られた教訓を後世に伝えることである。

たまたま地震直前に読んでいたに、予期しない事象に対する対策が書かれていた。とても大切だと思うのでその一部を引用しておきたい。
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「ブラックスワンに強い社会の原則」より 

1 壊れやすいものなら、早く、まだ小さいうちに壊れたほうがいい。
2 損失を社会化し、利益を私有化してはいけない。
3 目隠しをしてスクールバスを運転して、そして事故を起こした連中には二度とバスを運転させてはいけない。
4 「成功」報酬をもらえる人に原子力発電所を経営させてはいけない。
そういう人は、ありとあらゆる安全装置を省略し、それで節約できたお金で「利益」を上げるだろう。
5 複雑なことは単純なことで中和する。
複雑なシステムが生き延びられるのはたるみや無駄のおかげであり、負債と最適化のおかげではない。
6 子どもにダイナマイトを渡してはいけない。注意書きが張ってあってもダメだ。

-----引用終わり-----

ここ最近の原発事故の報道に接するたびに、上記リストの意味を噛みしめている。責任を取る覚悟のない電力会社に、自分たちが愚かであることすら認識していない政府、まいど噂に振り回され不安に怯える国民。そして、今この瞬間に起きてもおかしくない巨大地震や、その震源域に設置されている多数の原子力発電所。これらのことを考え合わせると、決して愉快な話ではないが、原発問題が片付くまで、いったんは大幅に生活水準を切り下げた暮らしをするのがいいように思える。おおざっぱな印象としては、いわゆる3C(車・クーラー・カラーテレビ)が庶民のあこがれだった昭和40年代、現在で言うとタイやベトナム程度か。もちろん悔しいけど。しかし、不都合な事実に目をつむり、仲間内の適当な反省でお茶を濁して、再び原発に頼った生活を続けるという最悪の選択よりはずっとましだと思う。

危険なものは、どう言い繕っても危険であることには変わりない。地震による重大事故が起きたにもかかわらず、そしてたびたびその危険性を指摘されながらも、十分な安全策をとることなく原発事業に邁進してきた電力会社や政府の罪は重い。加えて、電力会社の誇大広告を垂れ流してきたマスコミにも重大な問題がある。そして、オール電化の掛け声に乗り、家中を電気器具で溢れ返させている消費者だって、無傷ではいられない。誰かを声高に非難する暇があったら、むしろより安全な社会の建設に労力を使うべきだ。

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