家を持つということ

映画「男はつらいよ」で、さくら夫婦が念願の一戸建てを手に入れ、寅次郎が訪ねるというエピソードがある。そこで、小さな家の一部屋が、自分のために用意されたものであると知る寅次郎。その瞬間、カメラは人物でなく部屋の片隅に向けられる。たったそれだけのシーンだが、風来坊の兄が男泣きしているのが痛いほど伝わる。一見、自由気ままに暮らしているが、その実、故郷と切り離され深い寂寞感を抱える人生。そういう中で、厄介者の兄のために帰る場所をもうける妹の優しさに、誰だって心打たれることだろう。そしてみんな思う、だから持ち家は必要なんだ、と。

阪神大震災の半年後、わたしは高層マンションの最上階から、震災被害のなさそうな土地の借家に移り住んだ。もしも東京に大地震が来たら、そこで人生が終わってしまうと考えたからだ。人間が思うようには、自然は振る舞ってくれない。神戸では、ようやく手に入れたマイホームが、1ヶ月もしないうちに、負債だけを残して瓦解したという人もいた。全壊ならともかく、住めるかどうか怪しい程度に壊れた場合はいっそう質が悪い。それが大規模マンションならば、その解決には極めて難しい問題が立ちはだかる。運良く家は残っても、負債を抱えたまま失業したという人も珍しくなかった。そして今もなお、その影響は市民生活に影を落とし続けている。大規模な分譲集合住宅は、地震の起きやすい土地では極めてリスキーだというのが、震災の故郷を持つわたしの結論だった。

だからといって持ち家を否定するつもりはさらさらない。倒壊、類焼の危険がない場所の、丈夫な平屋建てならば、予算が見合う限り検討に値する。実際そういう条件で不動産を探したことがあったが、住宅の密集する近所にはそういう土地がそもそもなかった。また建売り住宅は安全性の面で論外だった。最近、旅行に出かけている僅かの間に、タケノコのように出現した建売があったが、そういう家は素人目にも恐ろしい。もちろん耐震基準をクリアしているだろうが、その基準すらコストとの兼ね合いという人間的な都合で決まっているからだ。

賃貸と持ち家、どちらが得かという議論が頻繁になされているが、それはまったくナンセンスだ。損得は、あくまでお金の問題、商売の論理。住居というのは、雨風をしのぎ、命をはぐくむ装置なのだから、最初に安全性の見地から考えなくてはならない。だから、賃貸と持ち家、どちらがリスクの少ない居住形態であるか、大地震が起きたとき、どちらが被害を少なくすることが出来るかという議論が正しい。単純に損得勘定で住居を決めることのできるのは、自然災害の少ない安全な地域に暮らす人たちだけだと思う。数多くの心優しいさくら夫婦が泣くことのないよう、住居は多数意見や感情に流されず、慎重に判断して欲しいと願う。

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