親のココロ

地下鉄の階段を駆け上がって地上に出た。チェックインまであと20分。車道に半身を出して手を振ると、すぐにタクシーが近づいてきた。「空港に9時、間に合いますか?」と訊くと、「大丈夫です。」と簡潔な返事。

中年のドライバー氏は時計を確認しながら、若干強引なハンドルさばきでクルマの列をかき分けて進む。もう大丈夫と思われる地点に来て、わたしは「急がせて済みません、東京行きの最終なもので。」と謝った。そこから世間話が始まり、ドライバー氏の長男も東京で暮らしていて、同じように神戸には飛行機で帰ってくると言った。

「ほんまに便利になりましたな。1時間で東京と往き来できる時代やもの。」「それやのに息子は2年にいっぺんくらいしか戻ってこんって女房が文句言うんで、そら仕方ないやろと慰めると、今度はあんたは息子がかわいうないんかと言い返しよるし。それとこれとは話がちがうやろ、って。ははは。」「そうだよねぇ、帰らないかんと思っても、なかなかそうもいかんし。」「連絡がないのが元気な便り、ともいうしね。」

飛行機のシートに体を沈め、離陸までの時間、窓の外をぼんやりと眺めて、先ほどの会話を思い出していた。2年にいっぺんしか帰らなかった息子が、このところ頻繁に帰ってくる。もちろん見舞いのためだが、それはそれで父に要らぬ心配を掛けているのかも知れない。そして父はわたしの前では、無理して振る舞っている感じがする。病床にある父を励まそうとして、むしろわたしのほうが気遣われていることだってある。子どもはどんなに年をとっても、親の前では所詮は子ども。「親の心子知らず」とはよく言ったものだが、孝行息子でないわたしにとってはなんとも侘びしい言葉である。

週末は「東京物語」でもじっくり観てみようか。

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