「希望のつくり方」

希望のつくり方」。タイトルがいい。もし希望がなければ、作っちゃいましょう。必要とあらば、身近にあるものを寄せ集めて、適当に間に合わせよう。ブリコラージュな希望。そんなふうに思わせるタイトルに惹かれて読んだ。

そもそも「きぼう」って何だっけ。まず作る前に、はっきりさせておかないと。本書によると「行動によって何かを実現しようとする気持ち」。そうそう、ターゲットは簡潔でないと。つまり具体的に、何かを変えようとすること。何も変えようとしない人が圧倒的に多いから、この国には希望がないんだ。

そういう気持ちを起こさせるにはどうすればいいのか。希望のつくり方の話。それには効率性や合理性を妄信せず、一見無駄に見えることを、いろいろと体験することが重要だ。自分を取り巻く環境は常に変動するのだから、その時点で主観的にベストの選択をしても、それはたいてい失望に変わる。むしろ迷い戸惑う過程で、偶然に出会うものを大切にすべきだと。小賢しい考えを起こさず、運命に従えということだな。

ふと、黒澤明の「生きる」という映画を思い出した。何ら変化を望まない役人が、癌を宣告されて絶望するが、何かを求めてさまよううちにようやく自分の役割を見いだす。それは暗渠を埋めて公園を作るという仕事だった。そして残された時間、希望を叶えるために命の火を燃やすという話。本書のエッセンスがすべて詰まっていた。公園が完成した冬の夜、ひとりブランコに座り「ゴンドラの唄」を歌うシーンは素晴らしかったなあ。このシーンを堪能するため、なんど「生きる」を見たことか。

そしてもうひとつ、アンゲロプロスの「霧の中の風景」も、希望を描いた映画として忘れてはいけない。幼い姉弟が、幻の父親に会うため旅を続ける話。わたしにとっては希望と祈りの映画なのだ。

話がわき道に入ってしまったが、希望をつくるとはそういうものだ。ペラペラ、ピカピカのプラスチックのような生き方をすると退屈と絶望しか準備されていない。そしてこれは社会にも当てはまり、価値観の単純な効率一辺倒の現代社会は、人々から希望を奪い、決して長続きするものではないと思う。

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