2011年12月11日日曜日

誰のために作るのか


料理の意識調査レポートを読んだ。その中の「誰のために料理をしているか」という問いで、男性の半数近くが「自分のため」と回答していることを引き合いにして、男性は自己中心的な動機で料理していると分析していた。そういうものかなあと、微かな疑問が沸く。なにか先に結論ありきの調査のような気もするのだ。

料理は家事の一環として毎日しているが、正直に言うと、もし専属の料理人がいるならば、料理はすべて任せてしまって自分のしたいことをしていたい。料理そのものが嫌いというわけではないが、こう忙しいとやはり面倒だ。そういう面倒な作業を毎日続ける動機は、やはり「自分のため」としか答えようがない。もちろん妻も一緒に料理するが、おそらく彼女も面倒だと感じているだろうからこそ、この作業を相方に一方的に押しつけるわけにはいかない。少なくとも自分の食べる分は自分で作る、というのが生活の基本だと思う。それを以て、自己中心的というのならば、確かにそうである。

「料理をするにあたって意識すること」という調査項目では、多く人が、おいしい料理を心掛けると回答していた。それはまあ、ことの性質上当然だろう。意外だったのは、コストを考えて料理する男性が、極めて少ないという点だ。女性を含めても、なお半数に届かない。わたしの場合は、真っ先にコストの制約があり、そのなかで料理を工夫するという順序なので、半数以上の人がコストを無視して料理するという結果が信じられない。家事というものは趣味で続けるものではなく、あくまで普段の仕事と同じ感覚でないと拙いのではないだろうか。

とはいうものの、食べることは大好きなので、やはり料理も楽しくしたいものだ。だから、料理をゲームのように考えるのも一手なのである。その時一番安い食材で、どれだけうまい料理を作るかゲーム、同じ食材でどれだけ違う料理が続けられるか出来るかゲーム、誰も手を出さない珍しい食材を使い何が出来るか試すゲーム、とか考える。そして限られた条件でいろいろとチャレンジし、料理の幅を広げるのも一興である。そうやって、ときおり相方が目をくるくる回して、幸せそうに料理を食べるのを見るとき、料理が出来て良かったと思うのである。結局のところ、「料理は自分のためならず」なのである。

写真は「山ほど送られてきた芋を、どんだけ食べ続けられるかゲーム」の、ある日の料理。芋をみじんにして、ベーコン、大蒜、タマネギと合わせてホットケーキのように焼いた。ビールにぴったり。


2 件のコメント:

  1. ギャンブラー11.12.11

    私にとって料理とは「奉仕」です。独り者なので結局は自分で食べますが、もし相方がいれば、喜んで食べてもらうのが何よりの喜びとなるでしょう。
    ちなみに今夜は、豚の白モツと大根、人参、こんにゃくの煮込み料理を作りました。コストとしては格安です。唯一の問題は、私が痛風予備軍でモツはあまり食べないほうがいいということ。でも、たまには自分の好みに忠実でもいいだろうと思っています。

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  2. 「奉仕」、、ですか。何とも味わいのある言葉。
    ご自身の中に神様がいて、その神様に仕えるがごとく料理をつくり、これを食することで充足するというイメージでしょうか。
    わたしなんか、ひとりの時は柿ピーと酒が主食になってしまうこともあります。自分ひとりのために料理するのは、けっこう馬力がいりますよね。

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