2011年12月24日土曜日

つらつらと考えるに


秋から朝ドラ(我が家では深夜ドラだが)を見ているが、舞台はいよいよ戦争末期に入って、こっちも見るのに気が進まなくなってきている。ただのお話に過ぎないというものの、やはり当時の世間の空気を想像すると、どこか落ち着かない気分になる。それは戦争はいかんという単純な話でなくって、目標を失った国家が、ただひたすら権力を行使するためだけに存在し、国民が否応なく巻き込まれていくという悲惨に、ちょっと今の状況に似すぎていると思うから。当時でも、国民が承認する理想を掲げて戦争を始めたのであり、その途中で敗北が明白になったにもかかわらず、誰もが損失と責任を先送りにし、最終的に本土攻撃で国中が焼け野原になるまで、戦争の幕引きを行えなかった。国だろうと企業だろうと、組織はいつだって同じパターンで破綻する。大きな目標は大きな組織でしか達成できないが、いったん組織が肥大化すると、必然的に存在することそのものが目標になってしまう。当初の目標が遂げられたとき、もしくは遂げられないと分かったときは、組織は速やかに解体すべきものなのだ。意味もなく存在し続け、国民全体を巻き込む愚を繰り返すことだけは避けなくてはならない。

であるから、東京電力の存続は認められない。絶対に嫌だ。大甘の災害予測と緊張感なき経営で原発を一度に4基も吹き飛ばし、その瞬間に会社の命運は尽きたのだ。以前にも書いたように、失敗した組織に同じ事業を続けさせてはいけない。それが重大な国益と結びついている場合はなおさら。もし技術的に会社を存続させる必要があるというなら、人をすべて入れ替えなくては容認できない。そして明確に破綻を宣告し、新しいメンバーで発電事業をやり直すというメッセージが出ない限り、国民はおろか支援してくれた外国の人たちの不安も解消されないだろう。

東電に賠償させる必要はない。その代わり長年、原子力政策を支持し、恩恵を受けた全国民が税金で負担すれば済む。当事者能力を欠く東電が存続するよりずっとまし。電力が不足して、生活水準が低下する?結構だ。仕事が済んだらすぐに家に帰り、ロウソクの光で食事をして、さっさと寝ればいいじゃない。景気が悪化して税収が減る?ならば政府をスリムにして、支出を切り詰め、それで駄目ならバンザイすればいい。年金はどうなる?とっくに結論は出てるのだから、老親と身を寄せ合って慎ましく暮らせばいい。今の暮らしからすると辛いだろうが、先のドラマで描かれている戦時下の暮らしと比べるとずっとまし。悪くて数十年ほど逆戻りするだけ。この先我々はどうなるのだろうかと、不安を抱えてズルズルと生き続けるより、清算すべきものは早めに清算して、さっぱりとした気持ちで次の若い世代にバトンタッチするのが国民にとって一番いいと思う。この国を若返らせる以外に復興の道はないし、それが近道だと信じている。

0 件のコメント:

コメントを投稿