「脱資本主義宣言」


「資本主義なんて欺瞞だ」という声が強くなっているのでしょうか。つい最近も、消費社会を問い直す海外ドキュメンタリーをテレビで観たばかりです。反原発運動の背後には、資本主義の過酷さを感じている人が多いのかも知れません。

脱資本主義宣言」という本を読みました。書いてあることはわりあいと平凡で、今更感があります。永久に消費を刺激し続けなければ回らない資本主義は、いつかは壁に突き当たる、と。普通のおとなは、程度の差こそあれ同じような不安や危惧を感じてますよね。そういう意味で、感覚的には至極当たり前のことを言っていると思いました。

今では不人気の共産主義だって、嘗てはみんなで御輿を担いでたから回っていたわけで、誰かがもう止めたいと言い出して、あっけなく転んでしましました。きっと一部の人しか得をしない体制だったのです。これまで資本主義が生き延びているのは、逆に得をする人が相対的に多いからなんでしょう。しかし、もし得していると思う人が少なくなったら、もういいやと御輿を担ぐ人が離れだしたら、意外にあっけないかも知れません。そうなったときに問題になるのは、じゃあ次はどうするのかということです。

もちろん、これだけ複雑に入り組んだ政治経済体制ですから、人為的な解決はきわめて難しい。それに、もう嫌だで投げ出すのはあまりにも恐ろしい。社会に影響力のある人たちと違い、大部分はそもそも自分がどのように資本主義に関わっているのかさえ分からないのが現実です。

おそらく、個人の取り得るもっとも穏当な方法は、ほんの少し距離を置いて眺めることだと思う。大げさに貨幣や商品を拒絶したり、自給自足のコミュニティを目指さなくても、「はて」と立ち止まることが必要だ。大切なのは社会ではなく、いまを生きる個人個人なのだから、それぞれの立場でいまの生き方は幸せなのかを考えればいい。みんなが一色に染まって行動すると、社会が柔軟性を失い、全員で沈没することだってあるでしょう。肝要なのは、個人が多種多様な生き方を目指すことで、社会の変化に対応できる集団を育てておくことです。もっとアクセル踏んで資本主義で突ききろうという集団もあり、隠遁者のような集団もあり、その他いろいろ右往左往の集団あり、その中から次の大きな変化に対応する人たちが残ればいいという感じでみてます。

フランス革命や明治維新の混乱は書物や映画から想像するのみです。ソ連邦が崩壊した時は、その様子をテレビで見ることができました。年金頼みの暮らしをする老人たちが、自分たちの僅かな家財道具を道ばたで売ってました。男たちはアルコールに溺れてました。そんな混乱の中でも、変化を見つめて必死に対応しようとした人たちも多かったのです。

今や世界中の観光地を席捲している豊かなロシア人たちに、あの時代を一体どうやって生き延びたのか、詳しく訊いてみたいものです。路傍で安物の茶碗やイコンを並べていた老女は、その後大丈夫だったのでしょうか。それから今の資本主義の居心地なども。

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