「移行期的乱世の思考」


凌ぎやすい季節になったので、このところ乱読の日々が続いています。心に引っかかる本、偶然目にした本、人に勧められるまま手に取った本、それぞれに何の脈絡もなくただ読んでます。そうして、脈絡のないところで、全体として何かしらの模様のようなものが見えてきて、それが無意識の今の私なのだと実感します。言葉にならない感情に、色や形を与える作業に似ているかもしれません。

その中の一冊、平川克美さんの「移行期的乱世の思考」を読みました。あーでもない、こーでもないと考え、自分が無意識にやってきたことについて、やっと腑に落ちる説明を受けたような内容でした。二項対立的な議論の気持ち悪さや、どうしようもなく貧しく感じる言論の状況、つまり、ある問題についての議論や言論が社会を豊かにするのでなく、貧しい方向にばかり向いてしまう現状について、かなり説得的な分析をしておられます。

適切だったのは、「問い」そのものが間違えているという指摘です。因果関係や相関関係が不存在、不明確であるにもかかわらず、二項対立的に「問い」をたてて、議論を迫る言論のあり方が胡散臭いわけです。最近の例で言うと、原発や外交、経済、社会制度などで、強引な問いが増えています。これら「問い」の押しつけに対して、私たちがどのような態度で接すればいいのかについて、多くのヒントが得られるように思います。逆に、このような問いに対して、いかなるスタンスで対処しているかで、個人の質を見る絶好の機会なんでしょうね。

もうひとつ、記憶に止めておきたいのは、「リセット願望」の危うさについての指摘です。これまで時間をかけて築き上げた現実をリセットして、一からやり直すという誘惑です。どこかの政党が、おもちゃのように行政を掻き回して、結局得るところは何もなかったという適例がありました。政権担当者自身に、どこか傍観者的に責任を負う感覚が欠如していたから、あのように短絡的な政治を行えたわけです。それを更に大々的にスケールアップして、末代にまで悪影響を及ぼすリセットを行ったのがお隣の大国。表面上は元気に見えても、これから先、世界から敬意を払われるような実質を持つ国になるには、途方もない時間が必要になるでしょう。私たちだって、よその悪口は言えたものじゃないですが、掛け間違えたボタンを直すには、丁寧に解きほぐすような努力が必要であり、それには長い年月が必要だという覚悟が求められるわけです。

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