2013年5月29日水曜日
イヤ(嫌)フォン、買いました。
プライベートにしか利用しない予備のケータイですが、近ごろ不具合が多くて交換することになりました。
数年ぶりに駅前のショップを訪ねてみると・・・、店頭の陳列棚から従来のケータイが姿を消し、スマホばかりが並んでいる。
じつはスマホ、好きじゃないんです。何しろほぼ音声通話しかしないので、必要のない資源を無駄にするのが気にくわない。
それに、テンキーのないのっぺらぼうの電話なんて、どことなく薄気味悪いしね。
電話機能だけの、それ以外は一切のあらゆる機能を省いた単純なのが欲しいのですが、これが意外とないんですねぇ。
以前は探せばそれなりにあったのに(こんな感じ)、今は儲けがなければすべて没になるご時世。
高齢者を想定したケータイは、ないことはないのですが、いかにもやる気のない投げやりな商品。作っている人の愛情が感じられないものに、誰が喜んで買うものか。
結局、未成熟で中途半端で、長持ちしない、いい加減な製品ばかりが幅をきかせるわけです。これ、なんだか昨今の政治と似てますね。
それでも挫けずに選んだのが、写真のスマホです。スマホが嫌いと言いながらも、デザイン優先で探すと結局これしか残らなかった。テンキーがついていて、どことなく電話らしい形をしていた、という理由だけなんですが。
こんなに小さいのにいっぱしのコンピューターで、ついでにカメラやテレビ、GPSまでつけるという余計なお節介には、敢えて目を瞑りました。
わたしにとってはプリペイドで、普通に電話として使えるというだけでもありがたかったのです。
つね日頃、豊かで、自由で、健康な人生を過ごしたいと願ってます。そのためには、無駄のない、質素でスリムな暮らしを心掛けたい。日常の雑事にかけるコストは最小限にして、できるだけ生産的で前向きの時間を確保したい。このような観点から眺めると、私たちの周囲にはあまりにも贅沢で過剰な商品やサービスが溢れかえってます。
私が偏屈すぎるのでしょうが、スマホは暇潰しのための道具としか思えない。しかし、これが単なるおもちゃなら問題ないのですが、一種の中毒状態になっている人々を見ると、もはや笑い事じゃないと感じます。
嫌々買い物することほど、詰まらないことはありません。今回の買い物、もし名付けるならスマホではなくて「イヤ(嫌)フォン」。できるだけ長く大切に使うつもりですが、果たして愛着が持てるでしょうか。
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