2013年6月12日水曜日
40年前の暮らし
5月の電気使用量160kWh、6月は116kWh。前年同月比で、それぞれ19%の減少、震災前年から約4割の節電を達成しました。
そんなに頑張った訳じゃありません。
せいぜい、古くなりすぎた冷蔵庫や温水便座を取り替えたり、白熱灯をLEDにしたくらい。
もともとふたり暮らしで家電製品が少ないため、ちょっとした改善でも効果が大きく現れるというだけのことです。
過去1年間に、我が家では約2000kWhの電気を消費しており、これは全国1世帯平均使用量の半分以下のレベル。
ちなみに1世帯平均の電気消費量を年度別に眺めると、我が家の場合はちょうど昭和50年当時の水準に相当します。
昭和50年といえば、「およげ、たいやきくん」の頃か。商店街の店先から、「たいやきくん」の曲が頻繁に流れていたのを覚えてます。
画像検索で表示された昭和50年のモノクローム写真には、古い木造家屋や、クルマが排気ガスを吹き上げている様子が写ってました。
当時の暮らしぶりは、ちょうど現在のアジア近隣の中進国程度でしょうか。
すでに物質的に何不自由はなかったけれど、しかし現在よりずっと質素な暮らしでしたね。
コンビニなんてほとんどないし、外食産業もそんなに発達してません。
そして、町並みは今よりずっとみすぼらしく、特に幹線道路沿いはクルマの排ガスと埃と騒音で酷いものでした。
単純な比較はできませんが、40年前の電気使用量で生活していても、暮らしの快適さという点では現在が圧倒的に優れているように思います。
省エネ技術の洗練というのもありますが、それ以上に通信技術の劇的な進歩や完備された社会インフラの影響が決定的です。
手のひら大のタブレットで世界中と通信し、クリックひとつでたいていのものが低コストで居ながらにして入手できるのですから。それが良いか悪いかは別として、電気をさほど使わなくても極めて贅沢な暮らしが可能な時代に生きているわけです。
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