2013年7月28日日曜日

正義感では解決できない

以前のことになりますが、東電から若手を中心に人材流出が止まらないという記事が出てました。それで危機感を持った会社側が、このほど管理職に一時金を支給することに決めたそうです。
かねてから心配していたことが現実化してます。東電憎しという世間の感情論を背景とした経営改革の弊害が、ここに来て顕著になってきたのでしょう。

原発を維持するにせよ、もしくは廃止するにせよ、原発が存在する以上は専門知識を有する多数の人材がこれからもずっと必要です。
それにもかかわらず、世間から嫌われ、給料は減らされ、そのあげく困難極まりない原発の処理を任されたのじゃ、誰だって辞めたくなりますね。
もしもみんな辞めてしまったら、いったい誰が残りの仕事を引き継ぐのですか?

いくら脱原発を唱えても、現にある発電施設が目の前から忽然と消えてなくなるわけじゃない。
巨額のお金と人材を投入して、長期的事業の一環として冷静に処理する以外、原発を廃止する手立てはありません。
だからこそ、最終的受益者たる私たち自身が応分の負担をし、処理を委ねられる人材や組織を維持する必要があります。
電気料金をドラスチックに引き上げ、従業員に十分な報酬を出して、困難な仕事に対するモチベーションを維持させなくてはなりません。一時金くらいでは、とても人材流出を止めることは出来ないでしょう。

つまり、脱原発を主張する以上は、電気料金の大幅な引き上げ、従業員の待遇改善要求とセットでなくては、脱原発運動は只のプロパガンダということになります。

それからもうひとつ。
推進派(必ずしも積極ではない)と、脱原発派の議論を眺めていて感じることです。
そこには、いかにして過剰なエネルギー消費を止めるのかという視点がない。
あたかもニコチン中毒患者同士が、どちらが低タールのタバコかを議論するばかりで、どうすればタバコを止められるかという議論につながらない。喫煙者だったからわかるのですが、軽いタバコなら大丈夫なんて考えていては、決して生活習慣は変わりません。
これまでどおり電気は使いたいけど、原発は嫌ではムシがよすぎるのです。



そんなことを人に言うと、絶対に嫌な顔をされるのですが、やはり正義を振り回すほうが楽しいのでしょうかね。

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