似たもの同士の社会

今年の春、ボストンで悲惨な事件が起きました。直後からツイッターを眺めてたら、とても印象的な発言がありました。曰く、アメリカではマラソンというのはエリートのスポーツで、マラソン大会を面白く思わない人たちもいるのではないか、という内容です。事件は政治的な動機ではなく、鬱屈した感情を持つ者の犯行だということを示唆してました。
言われてみれば、確かにそうかもしれません。毎日のジョギングやマラソンなんて、健康で自己管理能力の備わり、しかも余裕のある人たちしかできないスポーツですから。

だからといって、何の罪もない人々に、一方的な憎しみを持ちうるのでしょうか。アメリカ社会の実情は間接的にしか知りませんが、建前としての平等と、実態としての格差には、かなりの隔たりがあるように感じます。それで読んでみたのが、アメリカの白人社会を分析した「階級断絶社会アメリカ」という本。

アメリカの白人社会は新しい階級に二分されているといいます。私たちが典型的に想像する、高学歴の洗練された生活を営む人たちと、十分な教育を受けずその日その日を凌ぐのに精一杯な人たちとで。両者の格差は、もはや止めようがないほど広がっているらしい。

半世紀前ならば、富める者と貧しい者の差は、専ら財産の多寡だけで、文化的な側面ではさほど差がなかった。どちらも古き良きアメリカ建国以来の健全な精神を受け継いでいた。
ところが現在では、それらは前者の社会集団にのみ残り、後者の社会集団では崩壊し、文化の世代間継承すら難しい状況に陥っている、と。

本書では、もっと率直に、直裁的な表現で書かれてます。
口には出さないものの、誰もが薄々感じていた事実を、統計によって明らかにしたことで、アメリカ本国で大反響を呼びました。もちろん、それは普段から読書する習慣のある前者の社会集団の中だけのことでしょうが。

読んでいて、むかし見た映画を思い出しました。大学を卒業した若者たちがニューヨークに出てきて、数年後に再び出会って結婚するという映画。登場人物はそれぞれに知的な職業に就き、彼らと同じ境遇の者たちとの間で親密な交遊を繰り広げます。会話の中に学校名が頻繁に出てきて、それが人間関係を表す記号となっている映画でした。


社会が都市化し、先鋭化してくると、人々は孤立します。安心できる環境を作ろうと、それぞれ似た人たち同士で仲間探しが始まります。
地縁や血縁と無関係の都市社会では、好きか嫌いか、共通項の有る無しでコミュニティの成立が可能です。
世界は広がる一方で、地域や人種性別を超えた、似たもの同士の濃密な社会集団というものが、この世界のあちらこちらで出来つつあるのかもしれません。
しかし、構成員にとっては快適でしょうが、決してよそ者を受け入れることが出来ない社会ならば、ここから疎外された人々の恨みを受けやすくもあるでしょう。

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