2013年10月26日土曜日

なくなった本屋

ブログを開設した頃、始めて利用したAmazonに感動した文章を掲載しました。
今じゃ当たり前になってしまいましたが、商品を見つけてクリックするだけで決済が終わり、早ければ翌日には届くのですから。
購入履歴を検索すると、ちょうど9年前のことです。
この頃から、街の店舗で買い物をする機会が少なくなりました。

しかし、ずっと気になっていました。
この圧倒的な利便性と引き替えに、いったい何を失うのかと。

昔なじみの商店街を見渡すと、コンビニとドラッグストア、飲食店ばかりになっている。
つまりネットでは扱えないサービスを提供する商売しか生き残っていない。
しかも飲食店などは資本力のあるチェーン店が幅をきかせて、零細な個人商店が減ってしまった。
アクの強い店主がいなくなり、どの店も似たり寄ったりで面白みがなくなった。

上京してはじめて暮らした街の商店街のことを、今でもちゃんと思い出せます。
畳屋に表具店、タバコ屋に豆腐屋、美人ママの喫茶店、乾物屋、婆ちゃんの貸本屋と異様に偏屈な本屋、出戻り娘(噂)のパン屋、買い物をするたびにアメリカ留学をした息子の自慢話を始める金物屋とか。
夜遅い母親に代って、朝早くから店先で掃除をする小学生のいるバー、というのもありましたっけ。
列挙するときりがないけど、短い商店街には個性たっぷりの商店が軒を連ねて並んでた。
どの店でも気軽に世間話をし、徐々に顔見知りが増えてくることで、自分が街の一員になっていくことを実感したものです。

そんなに古い話じゃない。
ほんの少し前のことです。

利便性の追求と引き替えに失ったのは、個性ある商店街とそこで働き住まう人々。
気がつくと商店街の店先で世間話をしなくなっていた。
この街に住む「わたし」自身が個性を失ってしまったようにすら思えるのです。

こういう流れは全国的な傾向らしい。
地方の由緒ある商店街は軒並みゴーストタウン化し、住人たちはクルマで遠くの巨大ショッピングセンターに行くといいます。
そういう話を聞くと、まだ都会のほうが血が通って暮らしやすいと感じる。
商店街は依然と残っているし、消えた商店と入れ代わりに、若い店主のカフェや雑貨店などが誕生している。
新しい商売が続くよう、なんとか応援したいものです。


こんな新聞記事が出てました。
原因の一端は私たちにありますが、それにしても町から個性ある本屋が消えるのは悲しい出来事です。
子供の頃からよく世話になった本屋でした。

2 件のコメント:

  1. え~、海文堂なくなってしまったの・・・。
    数年前、神戸へ旅行に行った際立ち寄り、とても個性ある書店だと関心したのですが。

    ネットの(悪)影響は大きいですね。

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  2. 私が最後に行ったのは学生の頃でした。
    ちょうどその頃ジュンク堂が開店しまして、神戸で最初の巨大書店でしたが、品揃えが豊富でつい足が遠のいてしまった記憶があります。
    その後、ジュンク堂の破竹の進撃はご存じの通り。

    かつて海文堂の近くには、先に無くなってしまった丸善があり、有名な名画座がありで、高校の授業をサボっては入り浸っていたものです。
    村上春樹がよく立ち寄ったという、洋書の豊富な古本屋というのも懐かしいな。

    それがぜーんぶ消えてしまって、今ではつまらない一地方都市に成り下がってしまいました。
    大正、昭和の時代は、モダンで文化的な素晴らしい土地だったのですよ。

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