2014年3月20日木曜日

「直して使う」


古本屋で雑誌のバックナンバーを探していたら、ちょっと気になる特集をしたものが見つかりました。
直して使う」、、、わたしのための特集か。

モノ選びをするとき、デザインや機能はもちろんですが、同時に自分に修理可能かどうかを考えます。
簡単に修理できれば、長く使えることは当然。
そんなことより、わたしには「直す楽しみ」があるという側面こそが重要です。

買うとは、突き詰めればモノと金銭の等価交換という、お金さえあれば誰にでもできる退屈な行為に過ぎません。
他方、何かを「直す」ためにはモノや人と対話しなくてはならない。
ここでは金銭ではなく、対話者の個性が決定的に重要であって、その行為は多様性に富んでいます。

直すために、様々な職人さんと会話しました。
直すために、方々の修理屋や怪しげなパーツ屋を訪ねました。
何でこんな詰まらないことに労力を使うのだろうと思うことは度々なのに、それでもやっぱり止められない。
「買う」という退屈な行為に比べて、「直す」とはなんと刺激的な体験なのか。
わたしにとっては、お金を出すことでは決して得られない、日常的な楽しみのひとつなのです。



先ほどの雑誌には堀江敏幸さんの直して使ういき方が綴られていました。もともと小説を通じてのファンでしたが、実生活上の価値観にも共感できます。
自宅の机には、わたしが数年前まで使っていたのと同じパソコンが置かれています。文章を書くにはこれで十分だということで。
リビングには年代物の机や椅子が美しく配置され、外界とは別のゆったりと落ち着いた時間の流れを感じさせます。
ちょうど小説を読んで受けるのと同質の空気です。

同じテーマで、串田孫一も掲載されてました。
曰く、「品物をぞんざいに扱い、こわれたらこわれたでぽいと捨ててしまう人は嫌いである。そういう人は人間をも自分をも大切に扱えない人のように思えるからだ。」
学校で道徳教育を重視するという話がありますが、わたしは抽象的な訓話より、家庭科教育で修理という実践を学ばせる方がよほど効果的だと思ってます。
浪費を戒め、人や物を大切にするという意味で。もちろん産業界は猛反対するでしょうがね。


トップの写真は、木っ端みじんになってしまったバターケース。
修理するために組み立て直したのですが、破片が飛んで完全には再現できず、金か銀で繋ごうかどうしようかと、ずっと迷っています。
直すまでの、この中途半端な時間もまた楽しい。

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