2014年8月31日日曜日

防災の日を前に

今朝、テレビの防災番組を見ました。
先の大地震の際、日頃から真剣に津波対策をしていた地区で、却って多くの人たちが亡くなったそうです。
それは仮に私が当事者であっても、やはり同様の行動を取っただろうと思われるケースでした。

ありとあらゆる自然災害が起きる日本では、常識的に想定できる災害対策を打った以上、たとえ被害が発生しても結果責任を問われるべきではない。
しかし、注意を払えば容易に避けることの出来た被害については、厳しいかもしれないが、その責任の所在を問うべきだと思う。
そうでなければ、いつまで経っても同種の悲劇が繰り返されます。
ひいては、それが無用の社会的損失につながるわけですから。

地球の温暖化にともなう自然災害の多発化や、巨大地震の脅威を想定するなら、今後の行政の対応にも自ずから限界があります。
社会の有するリソースを、すべて災害対策に当てることは非現実的だからです。
だからこそ、国民一人一人に、被害を最小限にするための注意義務が必要とされるわけです。

公開されたハザードマップを念頭に、街を歩いています。
一旦災害が生じれば、とても助からないだろうと思われる地域でも、かなり無頓着な暮らしぶりが見て取れます。
そしてそういう所に限って、人の触れ合いが暖かな、住み心地の良い街を形成しています。
それだけに、この現状を何とかできないのだろうかと、もどかしい思いを強くします。


自然環境の大変動が危惧される現在、かつて先祖達が持っていた、そして私たちが忘れてしまった、賢く生き抜く知恵が再び必要とされているのかもしれません。

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