2015年1月24日土曜日

アラーム時計の修理


ドイツ製のアラーム時計が故障しました。
急に遅れるようになったため、新しい電池に入替えるも、状況は一向に改善せず。
何か調節ネジのようなものがないか探しましたが見当たりません。
しかも古いものなので、修理を受け付けていない模様。
まだ10年程度しか経っていないのに故障するとはがっかりです。

それより遙かに古い幾つかの日本製は、いまだ全くの故障知らずで元気に働いています。
ドイツ製の方は、以前に使っていたのも故障したし、今回で二度目。
デザインは好きなのですが、さすがに3個目は買う気が失せました。
おまけに最近はメイド・イン・チャイナになって、信頼性も余計期待できませんしね。

それでやっぱり信頼の日本製ということになり、いろいろと探してみましたが、相も変わらず醜悪なデザインのものばかりです。
箱に文字盤と針を取り付ければ終わりなのに、揃いも揃ってなんでゴテゴテと余計な飾りをつけるのか理解できない。
センス云々以前の、良識の問題だと思うのです。

時計の中身だけ交換することも考えましたが、それはちょっと難しい様子。
それで毎度のことながら、仕方なく自分で修理しました。
クオーツの回路は全然理解できないので、出来ることといえば歯車の動きをよくすることだけ。
ただし、小さな合成樹脂の歯車なので、どのような油を使うかが問題です。
そこで見つけてきたのが、ミニ四駆用のフッ素樹脂入りグリスでした。

歯車の詰まった透明ケースをこじ開けて、中の歯車に付いた油を拭き取り、代わりに爪楊枝でグリスをほんの少しずつ塗っていきます。
幸い部品点数は少ないので、面倒な作業もあっという間に終わります。
直らなくたって駄目元という感じで行いましたが、その後数日経っても遅れの出る気配はありません。
今後どうなるかは分かりませんが、一応修理はできたようです。


2015年1月19日月曜日

20年が経ちました


あの日から20年経ったその朝も、早く目覚めてテレビの中継を見ていました。
ディスプレーに映し出される映像を眺めながら、いまだ言葉にできない思いを噛み締めました。

あまりにも多くの人が亡くなりました。
生き残った人々の人生も過酷です。
街の姿も、変わり果てました。

20年経った今、神戸は復興したのかと問われると、否としか答えられません。
過去には繁栄し華やかな時代もありました。
しかしその後、産業構造の変化やバブル崩壊の影響で、神戸は徐々に衰退に向かいます。
そして、衰退への決定的な引き金となったのが震災だったのです。

現在では市内の中心部には新しい高層ビルが建ち並び、震災前の様子を思い出すのも難しい。
しかし中心部を離れると、20年経った今も変わらず寂しい風景が広がっています。
場所によっては、むしろ空き地が広がっているように見えるのです。

少子高齢化のあおりを受け、市内は高齢者の姿が目立ちます。
社会の二極化という現象は、ここでは先鋭的な姿を晒しています。
悔しいことに、「荒み」という言葉すら思い浮かびます。
豊かで、ハイカラな街の姿を懐かしい記憶に留めるものにとっては、それはあまりに悲しい光景です。

故郷の人々が、復興という言葉に実感を得ることは、今後もあり得ないでしょう。
たとえばリスボンやブエノスアイレスの街が、往時の栄華を取り戻すことがないのと同じく、神戸の復活も容易には想像できない。
むしろ復興ではなく、しかし衰退でもなく、人々の心が穏やかに癒やされる別の道を探す必要があるのではないでしょうか。

震災を決して忘れず、多大の犠牲によって得られた教訓を生かすことでしか、犠牲者の魂を慰めることはできないと、この日が来るたびに思います。