2015年1月19日月曜日
20年が経ちました
あの日から20年経ったその朝も、早く目覚めてテレビの中継を見ていました。
ディスプレーに映し出される映像を眺めながら、いまだ言葉にできない思いを噛み締めました。
あまりにも多くの人が亡くなりました。
生き残った人々の人生も過酷です。
街の姿も、変わり果てました。
20年経った今、神戸は復興したのかと問われると、否としか答えられません。
過去には繁栄し華やかな時代もありました。
しかしその後、産業構造の変化やバブル崩壊の影響で、神戸は徐々に衰退に向かいます。
そして、衰退への決定的な引き金となったのが震災だったのです。
現在では市内の中心部には新しい高層ビルが建ち並び、震災前の様子を思い出すのも難しい。
しかし中心部を離れると、20年経った今も変わらず寂しい風景が広がっています。
場所によっては、むしろ空き地が広がっているように見えるのです。
少子高齢化のあおりを受け、市内は高齢者の姿が目立ちます。
社会の二極化という現象は、ここでは先鋭的な姿を晒しています。
悔しいことに、「荒み」という言葉すら思い浮かびます。
豊かで、ハイカラな街の姿を懐かしい記憶に留めるものにとっては、それはあまりに悲しい光景です。
故郷の人々が、復興という言葉に実感を得ることは、今後もあり得ないでしょう。
たとえばリスボンやブエノスアイレスの街が、往時の栄華を取り戻すことがないのと同じく、神戸の復活も容易には想像できない。
むしろ復興ではなく、しかし衰退でもなく、人々の心が穏やかに癒やされる別の道を探す必要があるのではないでしょうか。
震災を決して忘れず、多大の犠牲によって得られた教訓を生かすことでしか、犠牲者の魂を慰めることはできないと、この日が来るたびに思います。
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