ふたりの父


昨夜「父親たちの星条旗」という映画を見て、あらためて自分たちの父親の人生を振り返ってみました。

私と妻の父は、どちらも同い年生まれです。

私の父は三男坊でしたが、早い時期に父親と長兄を戦争で失いました。
村で最初の犠牲者だったため、祖父はとても大きな墓を建ててもらったと言うことです。
本来だったら、家には学校に行かせる余裕などなかったのですが、教育熱心な叔父の説得で進学できたそうです。その叔父もほどなくして戦死してしました。
終戦当時は旧制中学に在学中でしたが、食糧不足に悩まされ、更には学徒動員に駆り出され満足に勉強もできなかったといいます。

当時のことは、家族には話したがりませんでした。思い出したくない辛い記憶でしょうから、私もこの話題にはあえて触れませんでした。
ただ一度何かの話の折、動員先が長崎造船所で、敷地の中には九州各地の学校の宿舎が並んでいた、とだけ話してくれました。

幼くして父親を失った義父も、同じような体験をしました。
生家が農家だったため、幸い食料には苦労しませんでしたが、やはり学徒動員で軍需工場に送られたのは非常に辛い経験だったようです。
工場は空襲で多くの犠牲者を出しているのですが、そのあたりの話はさりげなく避けてました。

二人の父たちは、多感な青春時代に戦争の惨禍を体験し、戦後それぞれに苦労を重ね、懸命に働いて家族を守り抜きました。

私たちはときおり、今は亡き父たちの懐かしい思い出を語り合います。
生まれ育ちも性格も、仕事も全然違う父たちでしたが、ただ一点、ともに大変な子煩悩でした。
私たちの幼い頃は、よく勉強を見てもらったり、遊びに連れて行ってもらったりと、今思い出してみても、あの忙しい中をどう時間を遣り繰りしていたのだろうと不思議なくらいです。

おそらく父たちは、子供の頃持ち得なかったふつうの家族の幸福を渇望し、それを全力で実現しようと努力したのでしょう。
そして、私たちの父と同じような戦争体験をした何百万という父や母たちのささやかな夢が一つとなって、焼け野原の日本に平和で豊かな社会を築き上げました。
平和憲法があったから日本の平和が守られたのではなく、このような無名の人たちの家族を守りたいという懸命の努力が平和と豊かさをもたらし、その結果として憲法が守られ続けたのです。
決して原因と結果を取り間違えてはならないと思います。

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