2015年9月1日火曜日
わたしのミライ
夕食の買い物はいつも駅前のスーパーに立ち寄ります。
その晩に調理するので、同じものなら売れ残りの見切り品を買うことが多い。
余裕のなかった若い頃からですが、そのころは見切り品なんて誰も見向きもしません。
しかし味も鮮度も変わらず半額以下なのですから、むしろどうして売れないのか不思議なくらいでした。
俄然売り場の様子が変わってきたのはこの10年くらい。
以前ならば近寄ろうともしなかった人たちが、見切り品を手にするようになりました。
そして最近は、競争のように商品を奪い合うようになり、ひどい時には口論をすることさえあります。
一体どんなところだと思われるでしょうが、しかし困窮した住民が多い地域じゃない。
むしろ閑静な住宅街の典型として、世間からは真逆のイメージを持たれるところです。
見切り品を求める客の多くは高齢者。
女性は野菜などの食材、男性には出来合いのおかずが人気。
料理ができない男性はつらい。手にするのは圧倒的に揚げ物、それと焼酎。
こういう食生活では、きっと体を壊すことでしょう。
先日同じレジに並んだ高齢の男性。
カゴの中はやはり見切り品が目立ち、それと一緒に紙おむつのパックを下げてました。
ひとりで奥さんの介護をされているのでしょう。
男性がどのように夕食の時間を迎えるのかと想像すると、ひどく切ない気分になりました。
それは、けっして遠くない将来の、わたしの姿かもしれません。
次第に追いつめられる老人と家族を取材したドキュメンタリーを観ました。
ある程度は想像してましたが、現実の当事者の暮らしを見て、途中から辛くなって消してしまいました。
これだって、わたし自身が直面する、いかにもありそうな未来です。
日本の貧困は歯止めが掛かることなく、むしろ加速しながら確実に社会全体に広がり、これからがほんとうの危機的状況を迎えます。
国会前に同世代の老人達が集まり、熱心に政治活動をしていますが、彼らは自分だけは安泰だとでも思っているのでしょうか。
それとも自らの暮らしを犠牲にしてまで、憲法を守ろうとする崇高な精神の人たちなのか。
残念ながら、どうしても私には理解できません。
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