N

小学校から大学までずっと一緒だった同級生がいた。しかし彼、Nとはほとんど私的な付き合いはなかった。
彼は口数が少なく、どこか超然としていて、もちろん申し分のない優等生で、こざっぱりと垢抜けた都会っ子という形容がよく似合った。
苦手というほどじゃないが、Nと話すとどうも自分が子どもっぽく思え、それで何となく引け目を感じていたように思う。

高校生だったちょうど秋の今頃、学校近くのカフェテリアでNと偶然出会い、短い会話を交わしたことを憶えている。
彼がひとり本を読んでいたので、話の接ぎ穂に何を読んでいるのか訊いてみた。
「庄司薫がすきなんだ。」
本の表紙を見せながら、端的な答えが返った。

私はまだ読んでいなかったし、読む予定もなかった。
「僕は、大江健三郎を読んでる。」
と返すと、Nはふうんと、微かにつまらなそうな表情を見せた。
そんなものが面白いのかい、という台詞が喉のところで止まったような気配があった。

それからのち、大江の代表的な作品を一通りは読んでみたが、確かに面白いものではなかった。
その後ずっと、読み返そうという気にもならなかった。
ノーベル賞を取ったからといって、小説が俄然光り輝くという道理もなかったからだ。

ときおり、今頃彼はどうしているかと思うことがある。

小学生の頃、日頃穏やかなNがクラスの悪ガキの胸ぐらを掴んで、血相を変えていたことがあったっけ。
元来無駄口を叩くような奴ではなかったから、喧嘩の原因は悪ガキの方だったに違いない。
それにしても、いったいなにがNを激高させたのだろうかと、今も不思議で仕方ないのだ。

Nよ、あれからずいぶんと時間が過ぎたが、やっと君の読んでいた小説を読んだよ。
映画はかつて観たが、原作を読むのは初めてだ。
幾分ペダンチックで気取った感じもするが、エリート青年の柔らかい感受性を表現するには適切だと思う。
今頃になって、あの当時の自分も読んでおけばよかったと後悔したよ。

君は、誰にも語らなかった自分のこと、あの時ちょっと遠慮がちに伝えたかったのだね。

次にNと会ったのは、たしか大学4年の秋だったと思う。
何か用事があって急いでいたのだろう、互いに短い挨拶を交わして別れた。
あれから、途方もない時間が過ぎた。
そして再び今、短い秋が訪れている。

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