2018年8月12日日曜日

「正常性バイアス」の罠

震災や水害など自然災害の発生時に、避難警告が出ていたのに、多くの犠牲者を出してしまったという事例が多い。どのケースも、少しでも過去の災害に関心があったら、直ちに行動すべきことが当然であったにも関わらず、である。もし警報が出たら、多少面倒でもとりあえず避難するという選択をすれば、ほとんどの人は助かっていたはずなのです。

その原因として、人が「正常性バイアス」という心理傾向にとらわれることが指摘される。緊急事態が到来しているのに、たいしたことはないだろうと自分に都合よく事態を過小評価し、現状維持を選択する行動である。今この瞬間、自分の生命が危ないとリアルに感じられるなら誰だって逃げるのだが、危難に直面するまでわずかでも空間的時間的な余裕がある場合、その場で目や耳を塞いで安心しようとするのが、ごく当たり前の人の習性なのです。

私たちが、これら過去の事例から学ぶべきは、いかにすれば人の習性である「正常性バイアス」から逃れるか、それに尽きるといってもいい。

私の実践している方法は次のようなことです。
前提として、誰かが助けてくれるだろう、なんとかしてくれるだろうという、他人依存的な思い込みは捨てる。すでに老人ばかりの社会、緊急時は誰の救援もないというのが前提です。

そのうえで、自分や家族に降りかかる危難を想定して、どうすれば避難できるかを事前に考えておく。避難のシミュレーションである。たとえば普段から立ち入る地域のハザードマップを調べておき、その危険度を確認するなど。いざという時、どこに駆け込むべきかを把握しておく。

日頃から、今ここで突発的に緊急事態が発生したとき、どうすればベストなのかを習慣的に意識する。意識過剰と思われるだろうが、電車の先頭車両には乗らないとか、交差点で安全な立ち位置を考えるとか。毎日報道される事故や事件を聞き流さず、当事者意識を強く持つということを心がけます。外面的には些細な行動だけど、えてして生死の境目はそういうことで変わってくる。

準備すべき装備は、ひとつ残らず十分にストックし、いつでも使える状態にしておき、定期的にチェックしておく。きちんと準備しておけば、いざというときパニックにならず、冷静に対処できるだろうと考えるからです。
先の大阪の地震後、すぐに防災チェックをしたところ、家具の転倒防止策が不十分だということに気づき、慌てて転倒防止器具を追加注文しました。ところが皆さん一斉に行動したようで、数ヶ月先まで手に入らない状況になっています。防災準備は大勢が行動し始めると、すでに手遅れなのかもしれません。

この程度のココロとモノの準備であっても、何か突発的な事態が生じた場合に、「正常性バイアス」による思考停止を避け、割と淡々とシミュレーションどおりの避難行動に移れるようです。
7年前の原発事故の際は、避難の必要性を考える前に、まずガソリンスタンドに直行して避難態勢を整えたことが、その後の心理的な余裕につながりました。実はそれ以前、震災による原発事故は御前崎で起きるだろうと考え、もしもの時はまずはクルマに給油しようと計画していたのです。翌日から近隣のガソリンスタンドでは給油のための大渋滞が起き、給油したくてもできない状況に陥りました。


さて、ここまで書いた自然災害、その他の危難に対する備えは子供でもできるし(「釜石の奇跡」と呼ばれる子供たちの避難行動など)、むしろできていない方がどうかしているくらいのレベルです。
難しいのは、社会全体の規模で起きている変化が、それが確実なのは間違いないのに、いつどのように自分や家族に深刻な影響を与えるのか、もしかすると社会のあちらこちらにすでに兆しがあり、それに呼応するように避難警報といえるような情報が出ているとき、どうやってそれを的確に捉え、対する準備を実行するか。
目前まで迫っている社会的危難に対して、強固な「正常性バイアス」の罠を振りほどき、社会がスローパニックを起こし一斉に動き始める前に行動すること、ここが一番難しいことなんだと思います。
例えば、石油ショックのパニック、平成の米騒動、そして先の震災時の放射能パニック。日本人は自分で考えず、一斉に他人の行動に盲従する癖があります。それが不必要に大きな混乱を呼び、さらに被害を拡大します。
だからこその準備です。

自分にとっては、年齢的にいって、残された時間はもうありません。
貴重な夏休みの時間を使い、真剣に答えを出そうと思います。

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