2018年8月15日水曜日
おとなのお絵かき
宅配便の品物を包んでいた大きな紙を一枚用意します。紙質に難ありだけど、ここに自分の未来を描きます。
最初に、将来が確定している事柄、たとえば自分や家族の年齢、人口動態などを横軸に記す。ほぼ確かだろうと思える社会問題も。縦軸は自分の体力、収入、資産等のリソースをあらわし、それがどのように変化するか書き込む。もちろんこのグラフは死に向かって右下がりに。次に、生活に必要なコストを、おおざっぱなイメージで書き込む。このグラフは70くらいまではダラダラと増加、そこを過ぎると90に向かって更に上昇するというイメージ。そのうえで、これから起きるであろう自分や社会環境の変化が、これらのグラフにどのような影響を与えるかを想像する。
たとえば後期高齢者になったら介護リスクが一気に高まるので、現実化すると家族の生活コストは2、3割以上は増加するだろう。最悪、夫婦ともに要介護者になったら、という想定も当然だ。生活コストのグラフは、その瞬間上方に飛び跳ねる。
しかしこの時点で収入を増やすことは不可能。国家財政の逼迫状況は悪化するだけなので、国からの給付は減ることはあっても、増えることはない。とすればそれまでに、元気な内にどれだけ余裕をもっておくべきかが重要になる。
後期高齢者入りするまでは、健康と十分な収入を確保して、その後は残った体力と財産を活用して90過ぎまで生活を維持するという未来が描けます。
それから横軸にはもう一つ、忘れてはならない大震災リスクがあります。世の中には、起きるかどうかわからない事柄を考えても仕方ないという、ある種の正常性バイアスにとらわれた意見もありますが、遅くとも30年以内というのが専門家の見立ててです。そうすると私の場合いやでも直面するということになりますが、さてどう対処したものでしょうか。
地図には、書き込んだ項目からさらに関連項目へ、また連想ゲーム的に思いついたことも書き込みます。レベルの異なる概念でも、気にせずに並列したってかまわない。重要なことは一枚の紙の上に書いて並べて眺めて、自分たちの置かれた状況を明確に把握することです。関連し合うものはマーカーで結びつけ、事実関係や論理関係を明らかにする。そうこうするうちに、自分の解決すべき課題は何なのかが、自然と浮かび上がってくると言う算段です。
大して楽しくない、おとなのお絵かきの話でした。
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今の日本は、災害時の発令でいえば「避難勧告」レベルだと思います。これは、上から二番目の深刻な事態です。でも、大多数の日本人は最低レベルの「避難準備」さえ満足にできていないように思います。これは、atoさんのおっしゃるように正常性バイアスが働いていることもありますが、そもそもどこに避難すればいいのか、何をどうすればいいのかがわからない、ということも大きな理由ではないでしょうか。
返信削除私自身、仕事で発生する煩わしい問題や忙しさに対処するのに精一杯で、腰を据えて「避難先」を考えるゆとりがありません。せいぜい、第二の人生のための移住先を考えるくらいで、それすら、災害リスクや社会インフラなどを考慮すると、どの地もマイナス面ばかりが目立って、決め手に欠けるのが現状です。
もう一つ、自分だけ助かればいいのか、という思いもあります。はなから他者に依存することばかり考えている怠惰なヒモ体質の人間がどうなろうと知ったことではありませんが、真面目に懸命に働いている自分の周囲の若い人たちを見殺しにすることはできません。彼らのために何かしてあげることはないのかと考えるのですが、自分の無力さ・無能さにがっかりします。
ギャンブラーさん
返信削除7年前の震災で、どうしても忘れられないことがあります。
当時、新聞の片隅に掲載された、あるご夫婦のお話です。
定年後に、第二の人生の出発点として移り住んだ町が津波に襲われました。
お二人は屋根に上って一命をつないだのですが、目の前に流れてきた親子を助けようと、ご主人は冷たい海に飛び込んだそうです。
甲斐あって親子は助かったのですが、代わりにご主人は命を落とされ、生き残った奥さんと親子で夜通し励まし合いながら救助を待ったということでした。
大災害に遭っては、何がなんでも生き残ることが鉄則。そしてもし余力が残っていて、目の前に助けるべき命があれば、全力で助けなければと思う。
そう思いながらも、いつも頭をよぎるのが、そのご夫婦のお話なんです。
それはまぎれもなく気高い行いでしたが、その反面、残された奥さんを思うと心が痛みます。
極限状況でのことを一般化するのは不適切ですが、自分ならどうすべきだったのか、答えのない問いを自問自答しております。
せっかくコメントをいただいたのに、うっかりしておりました。