子どものころから統計を読むのが好きで、小学生に頃は「学習年鑑」なるものを読んで国の姿などを学んだ。
例えば、当時の日本は世界一の造船大国であり、「捕鯨オリンピック」ではソ連やノルウェーと金メダルを争っていた。
国民の生活もぐんぐんと向上して、道路の舗装率は50パーセントを超えてきた。
家の周囲が砂利道からアスファルトに変わりだしたので、その実感は大きかった。
GNPという指標を知ったのは中学一年の時、ドイツを抜いて遂に世界第2位の経済大国になった年だ。
テレビニュースを見ながら、子ども心に高揚感を感じたものである。
でも1人当たりにすると世界で20番目くらいで、イタリアとかフィンランドとかいう垢ぬけない国程度だということで、微かな残念感もあった。
だが家では毎年のようにステレオにカラーテレビやエアコンを購入して、豊かな暮らしをしているという感覚は確実にあったと思う
そして、1人当たりのGDPが史上最高に達したのが2000年で、遂に世界第2位となった。
しかし世間の空気はバブル崩壊に続く金融機関の破綻、アジア金融危機という不吉な出来事にかき消され、ほとんど話題にもならなかったと記憶している。
誰もが世界第2位の豊かさを実感することはなく、ましてやこれ以上暮らし向きが向上することはないことを、それとなく肌身に感じていた。
統計上の豊かさが転げ落ち始めたのは、その翌年からだった。
それからたった25年でアジア諸国に抜かれ、世界で40位という中進国にまで転落するとは誰も思わなかったのではないか。
歴史的にみれば、それはアルゼンチンにも匹敵する転落ぶりだろう。
7年前に書いたメモがある。
「ゴールは「如何に中国に勝つか」では最早なく「如何に出来ればドイツやイギリス、又はフランス、最悪イタリア・スペイン位の地位を確保するか、ポルトガル、ギリシャ、アルゼンチンとまで逝ってしまわないか」なんだろう。」
数字上のレベルで言うと、その最悪予想のポルトガルと同レベルにまで至っているのが現状である。
もはや「逝ってしまった」日本であることを認識している人はまだ少ないのではないだろうか?
自分自身、実感としてとても信じられないでいる。
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