2025年6月2日月曜日

平成の米騒動から令和の米騒動へ

日本人の正気を疑ったのは、平成の米騒動の時だった。

ジャポニカ米がなければ、何食わぬ顔でタイ米を食べればいいし、それが嫌なら麺でもパンでも食べときゃいい。

食料がなくなったわけでもないのに、まるで飢饉が起きたような狂態ぶりだった。


当時は普通に米を食べてたが、若かったこともあり、和食よりカレー料理に中華料理や東南アジア料理などを好んで作っていた。

だから大喜びでタイ米を買っていたのだか、あまりの不人気ですぐに店頭から消えてしまった。

それで晩飯にバケットを合わせるようになり、30数年後の今もずっとその習慣は続いている。


そして、今回の米騒動である。


コメの小売価格は令和の騒動の時を超えたという。

えっ!?

1993年から30年以上もたっているのに、どうして今まで値段が上がっていなかったのか。

当たり前の社会なら、30年も経てばどんなモノでも値上がりするのが当たり前だ。

そうでないほうがむしろ異常なのに。


パンデミック以降、あらゆるモノが一斉に値上がりし、農家だって燃料、肥料、農機の値上がりで経営が大変だったはず。

だから、コメの値上がりは農家にとっても福音であり、経済が正常化したと喜ぶべきなのだ。

食料自給率の維持にとっても、これは避けては通れない道筋だ。


にもかかわらず、メディアは米を買う人たちの行列風景を垂れ流す。

そして大衆迎合のコメントを並べ、政府の無策を非難している。

日本人の正気を疑ったと書いたが、今では正気どころか意識を失ったゾンビではないかと思う。



あれからずいぶん歳を取った。

脂っこいものを受け付けなくなり、食事の量も少なくなった。

ご飯は毎日一膳ちょっとと汁物一杯。あとはパン食。

どれだけ米の価格が上昇しようが、そんなことは取るに足らないことである。

行列の老人たちも、並んでまで買う必要なんて微塵もないはずだ。

きっと彼らは時間を持て余して、遊んでいるのだろう。

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