2013年3月31日日曜日

白熱灯100ワットクラスのLEDに取り替えました

 最近になって、100ワットクラスの白熱灯に匹敵する明るいLEDが出ているのに気がつきました。ネットでの評判も上々なので、我が家のランプ用に注文しましたところ、いざ届いた商品を取り付けてみると、なぜか数センチほど長すぎて入らない(笑。白熱灯、蛍光灯と並べてみると、二回りほど大きいのです。うちと同じ型番のランプでOKだった人もおられたのですが、こちらはオリジナルデザインの古いタイプなので融通が利かない。


ちょっと作業が面倒でしたが、電球ソケットを丈の短いものに取り替えました。オリジナルは白熱灯を前提に位置調整しているので、この部分をLEDの長さに合わせて改造するわけです。滅多にお目にかかれない美しい陶器のソケットだったのですが、残念ながらどこにでもある安物に交換です。それからシェードの位置を固定する部品も適当に工作して付けました。



改めてLEDを取り付け直すと、今度は具合良くシェードの中に収まりました。光の明るさや広がり方は100ワット白熱灯と遜色なし。色合いは、白熱灯特有の黄ばみが抜けて、すっきりと透明で清潔な感じ。電球型蛍光灯の微妙な色合いとは、比べものになりません。料理が自然に見えます。そして発熱の具合はさすがにLED、長時間点灯してもほとんど熱くなりません。これで今まで悩みの種だった真夏の頭上電気コンロ状態ともおさらばです。



さて多少の日曜大工が必要でしたが、古いPHランプと最新のLEDの取り合わせは良いこと尽くしのうれしい結果となりました。結婚当初からずっと使っている思い入れのあるランプなので、なんとか最後まで使い続けたいと思ってましたが、これで問題は一件落着です。耐用時間数が4万時間ということなので、10数年後の次の交換時期には、どんなに素晴らしい製品が登場しているか楽しみでもあります。

2013年3月13日水曜日

足りない電気に、足りない節電



震災の後、もっとも印象に残ったのは、いつもならネオンサインできらびやかな街が、ひっそりと暗闇の中で静まりかえっていたことです。都心の繁華街では、宵の口というのに客足がすっかり途絶え、照明を落とした飲み屋で友人と弔い酒を飲んだのが忘れられません。店を出て見上げると、澄み切った夜空に思いもかけずたくさんの星が散らばっていました。東京という最大級の大都市で、あの奇妙に静かで暗い夜が幾晩も続いたことが、今となっては夢の中の出来事だったようにも感じます。

今月の電気使用量、128kWh。前年同月比マイナス7%になりました。昨年と同様、半分を留守にしていたので、この時期にしては極端に少ない数字です。なので、細々とした節電の効果が、正確に把握できないのが残念。特に先月は電力を食うレーザーコピー機を廃棄したので、その節電効果を知りたかったのです。

さて日本の電力事情は、相変わらず綱渡り。先日、「電気は足りていない」という書き込みを読みました。わたしは専門家じゃないですが、常識的に考えてそこに書かれているとおりなんだろう思います。原発による発電をすべて失って、老朽化した火力発電所に大半の需要を賄わせるなんて、ちょっと考えても無茶な話です。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」といいますが、電力事情に限っては全然喉元過ぎちゃいないのに、勝手に熱さを忘れている状況じゃないでしょうか。

すくなくとも、安定的な電力供給が確保できるまでは、あの静かで暗い夜をずっと辛抱し続けるべきだったと思うのです。

2013年3月9日土曜日

パリを歩く


 約2週間の休暇をパリで過ごしました。幾度も訪れている街なので、いつもの場所にアパートを借り、日がな一日散歩して、飲んで食って飲んで、疲れたら風呂に入って寝るという、ただそれだけの毎日でした。


 それじゃ普段となにも変わらない、、、というわけでもありません。何しろ昼間っからバーで酒を飲んでも罪悪感ゼロですし、ふつうは滅多にしない外食を時間を気にせず楽しむというのも、わたしにとっては充分に非日常なんです。


バスやメトロに乗って移動しているだけでも楽しい。狭い車内で、様々な理由でここにやってきた人たちが、ありとあらゆる言語で会話しているのを聞いていると、何か心が安らぐのを感じます。逆に日本語一色の、同じ顔をし、同じような格好をした沈黙の集団に囲まれていると、同質の心地良さより、むしろどうしようもない居心地の悪さを感じてしまう。見えないけれど分厚い壁より、明確に見えるけど案外もろい壁に囲まれている方が楽ちんです。


それにしても、この巨大都市の多民族化、多言語化は止まるところを知らない。静かなアパート周辺の日常空間ですら、区別の難しいスラヴ語系やアフリカのどこかの言葉、それにペルシャ語や東南アジアの国々の言語がふつうに話されている。そこに旅行者たちの母語と、その人たちの外国語としてのフラ語や英語が合流。ほぼ単一言語で暮らす私たちにとっては、まさに言語の洪水です。映画「ブレードランナー」でそんな未来社会が描かれてましたが、実際はもっと混沌とした状況。


今回の旅行でも、いろいろな人たちから様々な言葉で話しかけられました。なぜだか知りませんが非大陸系の中国人旅行者からもけっこう。彼らと雰囲気が似てるからでしょうか。誰とでも、何でも話をしたいのですが、なにしろ「英語なんとか、フラ語全然」と「フラ語なんとか、英語全然」の二人連れなので、会話が複雑になって疲れ果てます。(笑。そんなことも含めて、何も起きなさそうでいて、毎回けっこう刺激的な旅行になってしまうのです。

最後の写真は、今回の旅行で一番感銘を受けたクスクスの料理。安くてヘルシーでボリュームたっぷり。自分でもたまに作りますが、やっぱり本場の味付けとは全然違う。しかし秘密の一端がわかったので、忘れないうちにチャレンジしてみます。