2014年2月17日月曜日

クルマを試乗する


ふと思い立ち、日曜日にクルマの試乗に行ってきました。
午前中は日頃お世話になっている外車ディーラーさん、午後は以前のクルマのディーラーさんに。
今乗っているクルマは別に悪いところはないのですが、登場して以来20年ほど経つクラシックカーなので、安全性や経済性を考えるとそろそろ潮時じゃないかと思ったのです。
もちろん、乗れるものなら乗り続けたいという気持ちもありますが。

試したのはどちらも同価格帯の新型モデルで、特に午前中のはディラーに入ったばかりの文字通りの最新型でした。
その簡単な感想ですが、外観は控えめ、インテリアはシック。しかし性能はいたって凡庸。
クルマには関心ないけど、お下品なのは嫌いという奥様向けだろうか。
あるいは他人と同じじゃ嫌だけど、目立つのはもっと嫌という複雑な人向けか。

午後から乗ったのは、去年の暮れに発表されたばかりのクルマ
どちらかというと若向きのデザインですが、その割には嫌なところが少ない。
インテリアはシックとはいえないが、そのうちに慣れるだろうと思える地味さ加減。
性能はというと、初めてのハイブリッド車で戸惑う部分も多かったのですが、運転が楽で取り立てて欠点もなさそうな印象。
私にとってはこのクルマ、ワイルドな外観に似合わず性格の穏やかな優等生で、際だった長所はない代わりに、減点すべき短所も見あたらないという、まあ予算が折り合えば悪くないというものでした。
つまりは万人向けですかね。

クルマ選びというのは、友人を選ぶのに似ている。
つまり性能や値段はともかく、このクルマとだったらずっと仲良くなれそうという、情緒的な判断が重要じゃないでしょうか。
実際にそういう判断基準で直感的に選んできました。
これまで2台のクルマを乗り継ぎましたが、どちらも質素で飾り気がなく、よく仕事をこなす実務派で、それでいていつでも機嫌のいい相棒でした。
現実の友人でも、そういうタイプの人が多い。
何を選択するにせよ、結局それは自分自身の反映に過ぎないのだから、誰がどのように評価するかに関わらず、己の直感に従うのが最善なのだと思うわけです。

そのように考えると、多少古くともやはり気心の知れた方とこれまで通り付き合い続けるのが無難なのだろうか。
いやいや、新しいものを避けて安易な慣ればかりに頼っているようでは、精神的な老化に陥って仕舞いかねない恐れだってある。
なんといっても若くて活きのいい友人を持つのは素敵なことだ。
深く悩むところです。

2014年2月8日土曜日

It's a Sony・・・


 たぶん、現在の若い世代にとってはソニーはなんの魅力もない会社でしょう。
そりゃアップルの方が気が利いてて、センスいいですもの。
比較する余地すらないくらい、アップルの製品はかっこよくて、世界中の若い消費者の憧れの的です。
ソニーはアップルばかりじゃなく、どこかの新興エレクトロニクスメーカーと比べてさえ、ブランドイメージの冴えない会社として見られている。
金融会社の格付けによると、ソニーの株券はもはや紙くず扱いといいます。

先頃、ソニーが遂にパソコン事業を売却するというニュースが伝わりました。
もうパソコンの時代も終わりだし、それをあえてソニーが作り続ける意味もないということか。
不得手な分野は切り捨てて、得意分野に経営資源を集中しようとしているのでしょうが、えーっと得意分野ってなにがありました?
素人の私には、稼げそうなのは映画や音楽などのソフト関連事業か、金融事業くらいしか思いつきません。
ひょっとすると最終的には製造業をすべて止める覚悟なんだろうか。

ソニーの輝かしい時代を知る世代としては、このような惨憺たる有様が寂しくてたまりません。
その当時技術的には、ライバルより飛び抜けて優れていたわけでなかったと思う。
違ったのは、ソニーはいつも若い世代を引きつける、先端的で垢抜けた商品を出し続けたことでした。
ライバルより高価だったけど、持っているだけで虚栄心が満たされるような、ソニーの商品には確かに強いオーラがありました。

創業して日の浅いアップルが日本に上陸した頃、ソニーはすでに最初のパソコンも出してました。
アイドル歌手がテレビで盛んに宣伝してましたが、今では覚えている人も少ないでしょう。
しかし商品名こそ洒落てましたがパソコン自体には魅力がなく、わたしはMacの方を欲しいと思った。
規模や知名度において両社には雲泥の違いがあったが、ことパソコンに関してはすでにアップルに魅力があったのです。
当時の若いユーザーの意見に本気で耳を傾けていたら、いままでのような間違いをすることもなかったろうと思う。
歴史にifは無意味ですが、独自のパソコン事業などに手を出さず、ソニーを尊敬していたアップルと提携していれば、その後の展開はずいぶんと違ったものになったでしょうに。

もはや使うことはないのに、いまだ捨てきれずにいるテープレコーダーがあります。
小さな筐体の中に、これ以上ないだろうというくらい高性能を詰め込み、その仕組みの精緻さがデザインにまで現れています。
アナログの機械なので、金属のずっしりとした手応えがある。
後発企業が一朝一夕には決して模倣出来ない、豊かさや贅沢さを感じさせる商品です。
きっと今の時代においても、同じものを作れと言われても、そう簡単な話じゃないでしょう。

ソニーに不運だったのは、やはりデジタル技術の進歩が早すぎたこと、つまり後発企業のキャッチアップを簡単に許す環境が早く到来したこと。
そしてiPhoneやiPadの登場で、カメラ、テレビ、ラジオ、携帯、ゲーム機すべて、ソニーがかつて得意としていた商品が不要になったこと。
くわえてやはり、創業者以降の経営者達が全員アホだったことに尽きる。

そうそう、昨年、新しいコンパクトデジカメを買いました。
写りは兎も角、カメラの雰囲気といい、手に持った感触もよかったからです。


It's a Sony・・・・・・

ここにもちゃんとファンがいることを忘れないで下さいね。

定食屋にて

このところ定食屋で夕飯を食べる日が続いてます。
同じ店ではつまらないので、ときおり違うところにも行くわけですが、そこでいろいろな発見があって面白い。

代表的定食屋チェーンのO。
場所によるのかもしれませんが、以前はサラリーマン風の人が多かったと記憶してます。
現在は、お年寄りや若い親子連れが目に付きます。というかもはや多数派か。
それに、年齢を問わず女性の一人客が多い。いわゆる「おひとりさま」ですね。

かつて定食屋が家族経営で細々と行われていた頃、昼は別として夜の客層はおおむね男性で、女性客は若い人を除くと珍しかった。
おまけに定食屋で子連れなんていうのも見たことありません。
それが今じゃ普通ですもん。

家事のアウトソーシングが進んでいると言われます。
これ、一人暮らしやお年寄りは分かるのですが、子育て中の母子ってどういう理由があるのでしょうか。
それに同年配のグループでやって来て、ワイワイと楽しそうに食事しているのを見てると、どういう暮らしなんだろうかと気になるところ。
親御さんの年齢から察するに、子供の頃からファミレスになじんでいるので、ふだんから外食するのに全然抵抗がないのかもしれません。
私の世代は、外食というと典型的なハレの行事で、晩飯は基本、家で食べないと落ち着かないのです。

中華料理チェーンのH。
Oと違って白髪の爺さん達が多く、ビールを飲みながら、思い思いに悠然と野菜炒めや餃子をつついておられる。
ところで昨夜、Hで料理を待っていると、珍しくちょっと派手目の女性が一人で入ってきた。
そして隣のテーブルに座るなり、タバコに火とつけ、ふうっと一息に煙を吐き出した。
ちかごろ大手の飲食店でタバコの吸えるところは珍しいので、思わず周りを見渡すと、確かに他にも紫煙を燻らせている人がいました。
私はやりませんが、そういうくだけた雰囲気は好きですね。
重箱の隅をつつくがごとく、過剰に人権を振り回す社会は窮屈ですから。

注文したのは中華の定番、ニラレバ炒め定食。レバーがたっぷり入って満足でした。
お隣の女性は、メニューも見ずにいきなりモツ野菜ラーメンを注文して、それが妙にお似合いでしたねえ。
50年代のジャズが流れる清潔でおしゃれな定食屋より、私のようなおじさんとしては、場末感たっぷりのこういう店の方がくつろげます。
ただ、店にテレビを置いてないのが残念。
客はみんな一人なんですから、テレビの音が流れていないと退屈ですよ。

むかし「一杯のかけそば」騒動というのがありまして、油臭い支那そば屋で遅い昼飯をとっていたら、ちょうどテレビで涙ながらに朗読していたのを見たことがあります。
それが取るに足らない実に陳腐なストーリーだったので、なんでそんなものが流行っているのか不思議に感じたものです。
案の定、瞬く間にブームは終わりましたが、渦中の人その後どうしておられることやら。
先日からある有名作曲家のスキャンダルで盛り上がっているようですが、いつの時代でも不自然に持ち上げられる人や作品には、どこか怪しいところがあるという感覚が大人のセンスであろうと思います。
それにしても、作曲家の存在そのものが虚構だったというのですから楽しいお話です。
実際ここは怒るところでなく、大いに笑うところじゃないでしょうかね。

2014年2月3日月曜日

つまらない選挙

国境の壁が劇的に低くなり、これに伴い世界中の都市が人材や情報を奪い合ってます。
今や国家間でなく、世界中の諸都市がその魅力を巡って熾烈な競争をしているのです。
とりわけ国を代表する巨大都市は、文化や富を創出して地方に循環させる、いわば心臓の役割を背負っています。
その心臓が老いれば、必然的に地方が疲弊し、ひいては国全体が衰退します。
つまり都市がその使命を果たすためには、常に若々しく、変化に富み、自由闊達でなくてはならない。
そうやって初めて、世界中から素晴らしい才能や技術を引き寄せることが出来るというものです。

都知事は、東京という世界最大のメガポリスのリーダーであり、首都を象徴する存在です。
リーダーシップが求められることはもちろん、東京が魅力的であるのと同じくらい、知事にも人間的な魅力が必要です。
出来れば、加齢臭の漂う老人でなく、社交的でユーモアを解するに若者がいい。
私ならば文化的な豊かさを重視して、ここは有能でチャーミングな女性にお願いしたいところだ。
その場にいるだけで、自然と人の輪が出来るような方を求めたい。
なにしろ世界中から人をお招きするのが仕事なのですから。
そういう方なら、多少の欠点には目を瞑って、喜んで投票しますとも。
そんな人たちがポスター掲示板にずらりと並び、誰に投票していいか迷うような選挙だと素敵だろうな。

昨日、期日前投票に行ってきました。
驚くべきことに、何の魅力もない老人達から選べと言う。
無茶を言う。
それは仕方ないこととしても、公約がどうのこうのという前に、候補者の表情がいけない。陰気です。
そうでもなさそうな候補者もおられるが、発言が奇天烈で信頼感に欠ける。
昨今の投票は常に消去法ですが、悲しいかな今回は消去した後に選択肢が残っていません。
だからといって泡沫に投票するようなことはしたくない。
本当に悩みました。

思えば私たち都民は、選択肢が限られていたにせよ、やけっぱちで碌でもない人を選んだりもしてます。あっ、それは決して都民だけの専売特許じゃないですよね(笑。
今回の選挙、すでに勝敗の見えているつまらない選挙ですが、だからこそ多くの人に投票に行って欲しい。
あまりに投票率が低いと、当選した知事は、選挙民じゃなくて支持団体の顔色をうかがう政治をするでしょうからね。
今から一週間後、東京をもっと魅力的にしてくれる知事さんが誕生することを願うばかりです。

100年の人生

テレビCMで”人生100年”という言葉が出てきて、ちょっとびっくりしました。数年前から、100年を前提に人生設計すべきということが語られるようになってきましたが、もはや常識のレベルにまで上がってきたということでしょうか 人が当たり前に100歳まで生きる時代が到来するなんて、少し...