2014年4月26日土曜日

ウィンドウズ オン マック

近時、コンピューターウィルスや偽サイトを利用し、重要な個人情報が抜き取られてる事故が頻発しているといいます。個人ばかりでなく法人にも被害が発生し、多額の金銭的損害も発生している模様。
最近も身内の人間が普段から利用している銀行のサイトにアクセスしたところ、何かいつもと様子が違っていたので入力する寸前で思いとどまって、危うく難を逃れたという出来事がありました。
日頃からそれなりの予防をしているつもりですが、何時自分が被害者にならないとも限らないので、セキュリティの見直しを真剣に考えています。

コンピューターウィルスの標的となっているのは主にWindowsだということなので、Windows以外のOSを搭載したパソコンに、実際的にはMacへの乗り換えを検討しています。
しかし、長年もっぱらWindowsを実務で使っていて、それを全部捨てて乗り換えるのは慣れるまで時間がかかるうえ、コスト的にも厳しい。
ならばまったくネットには繋がないWindowsとネットに繋げるMacをパソコン2台で使い分けるという方法も考えられるが、それでは机の上がますます狭くなる。
もちろんMacにWindowsを入れ、必要に応じてどちらかのOSを立ち上げて使うという方法(Boot Camp)もありますが、機材は1台で済む反面操作が煩わしくなります。
そうなると、特殊なソフトでMacとWindowsをひとつのデスクトップで併存させるという方法が残されるわけですが、果たしてストレスなくスムーズに動くのかという疑問が残ります。

そして待ちに待った連休、さっそく実験です。
手許にあるのは普段から妻が使っている、7年前のMacBook。今となっては貧弱な性能ですが、もっぱらインターネットを利用するだけなので問題はありません。
ただ、ソフトがそれなりにパワーを必要とするらしいので、できるだけリソースを食わないように、懐かしのWindows2000をインストールします。
そして表計算ソフトは、もはや誰も使っていないと思われる前世紀のExcel。シンプルで軽いので、いつかは役に立つだろうと保管してたもの。
この古いものの組み合わせで問題なく動けば、先の目論見は検討に値することになります。


で、インストール中のWindows2000。この画面を最後に見たのは何時のことだったでしょう。少なくとも10年は経ちますね。
それがMacのデスクトップで動いているのが不思議で仕方ありません。
当時はインストールするにもずいぶんと時間がかかったはずでしたが、パソコンの性能が向上したのであっという間に済んでしまいました。


そして立ち上がったWindowsのデスクトップ。何か作業する場合は、Windowsのデスクトップは表示させずソフトの画面のみを表示させるので、本当にMacとWindowsが融合したように見えるわけです。


懐かしのExcelを立ち上げた様子。Windowsのデスクトップがないので、Macとの垣根が消えてしまってます。
そして実際に作業をしても、私の用途では全然ストレスを感じません。
7年前の古いMacBookなので、完全な動作をほとんど期待をしていませんでしたが、その予想は見事に裏切られました。
もちろんマシンのパワーを食うような作業では、さすがにそうはいかないでしょうが、通常の事務処理ではまったく問題ありませんね。

2014年4月6日日曜日

「恋に落ちて」


昨年の秋、テレビを買い替えました。
デジタル放送に対応した32インチの標準的なものですが、それまではコンパクトなアナログテレビだったので少々不便していたのです。
今どき32インチ程度では冗談のように思えるでしょうが、長らく小さな画面に慣れた目にとっては、それはまさに革命的な出来事でした。
私はもっぱら映画を録画したものを楽しんでいるのですが、画面が一気に拡大し、解像度が格段に上がったお陰で、映画の隅々まで子細に観察できるようになったのです。
つまり、映画から受け取る情報量が飛躍的に増大したということ。

それまで何気なく見過ごしていた、登場人物の細かな表情の変化や映画の小道具のこだわりを、録画機を止めたりスロー再生することで、いろいろと再発見することができるようになりました。
マクロの目でしか見ていなかった映画が、ミクロの目で、、、ちょっと大袈裟ですが、主観的にはそれくらいの違いで古い映画を見直してます。


ロバート・デ・ニーロ主演の「恋に落ちて」という不倫恋愛映画を、久しぶりに見ました。
デ・ニーロの出演映画としては凡庸ですが、私はその普通さが嫌いではない。
現実離れした豪華絢爛なストーリーも良いけど、自分のしみったれた日常生活の延長にあるおとぎ話はそれなりの現実感が得られるからです。

子持ちの良き夫でありやり手の建築技師というのがデ・ニーロの役回りですが、映画の中で彼女との待ち合わせの時間を気にして腕時計を確認するというシーンがありました。
気になってその時計を静止画像で見てみたら、ガラスの表面に細かい傷がたくさん入った、普通の日本製のクオーツ時計でした。
まさに仕事と日々の生活に追われる労働者を象徴してます。
いいですよね、この演出の細やかさ。

もう一方のお相手、メリル・ストリープの時計は、はっきりとは言えないが、どうも母親の形見のように思える年代物の手巻きの時計。
映画の中では、暗示的に不幸な母親の存在が語られてました。
世間的には幸せそうに見えるが、実は孤独な女性だったのでしょう。

このように、アナログの小さなテレビでは決して得られない情報が、いろいろな角度から読み取れました。
その素人分析が当たっているかどうかは別として、少なくとも映画から得られる想像の幅は広がりますね。

最後に、映画館で見たときには確認のしようがなかったのですが、男女の出会いの場となった非常に美しい本屋が気になってました。
今回ビデオで改めて店名をチェックしてネットで調べてみると、実在の老舗書店だということが判明しました。
本屋マニアとしては、機会があれば是非訪ねてみたい場所なのであります。


2014年4月5日土曜日

桜の下で


いつものウォーキングコースが、桜のトンネルになってました。
桜なんて、生まれたときから嫌というほど見てるのに、おまけにそれほど好きな花でもないのに、やっぱり毎年この時期が待ち遠しい。


少しずつですが、桜に対する気持ちが変化してきてます。
若い頃は、なにか自分が祝福されているような感覚でした。
実に単純というか、天真爛漫なものです。

近ごろは、ちょっと違う。
生きていることを許されている、という厳粛な気持ちが心の片隅に生じている。
桜の花が咲くこの世界に、自分も受け容れてもらっているという感覚です。
別に悪いことして生きているわけじゃないですが。


それと、あと何回この桜が見られるだろうか、という意識も芽生えてきてます。
しかもこうやって、早足で桜のトンネルをくぐり抜けれるのは、もう数えられるほどしかないのかもと。
そう思うと、桜の下で酔っぱらっている場合じゃないですね。