2014年10月30日木曜日

カプチーノという習慣

旅先で飲んだモカコーヒーが気に入って、それ以降朝はモカを淹れてます。
しかしそれだけではつまらないので、もう一工夫してカプチーノで飲むのが我が家の定番となりました。
単純にミルクをそのまま入れて飲むのも悪くはないのですが、ミルクを細かく泡立ててクリーム状にしたのを入れる方が、断然美味いのです。
また、冷え込む季節になると、細かな泡が断熱効果をもたらし、いつまでもコーヒーが冷めないという大きな利点もあります。


作る手順は、誰しもそんなに変わるものではないでしょうが、一応ウチのやり方ということで。
使うコーヒー粉は、今のところイリーのダークローストが気に入ってます。
深煎りで苦みが強い分、ミルクフォームと合わせてもコーヒーの豊かな香りが失われないからです。
エスプレッソブームのせいなのか、近所の店でも簡単に手に入るというのもメリット。


ミルクフォームをつくるには、専用の攪拌機を使います。
付属容器で別個に作るより、マグカップの中でミルクを直接泡立てた方が簡単で無駄がないため、私はいつもそのようにしています。
ミルクを50cc程度カップに入れて、レンジで人肌くらいに温める。
そこに攪拌機を突っ込んで10数秒かき混ぜると、あっという間にミルクフォームの完成です。(このとき、ミルクが吹きこぼれないよう付属の蓋で、カップを覆うことが必須)
その上から、熱々のモカコーヒーを注ぎ入れ、軽く混ぜてカプチーノの出来上がり。


マグカップはいろいろと試したところ、カップの底が湾曲したものの方がミルクフォームが簡単に出来ることが分かりました。
写真にあるように、泡がカップの縁を越えて盛り上がり、見た目の豪勢なカプチーノになってます(笑。
文章にすると面倒な印象がありますが、コーヒーの抽出と、ミルクの泡立ては同時作業なので、慣れると短時間で簡単に作れます。

2014年10月19日日曜日

歩くこと、食べること


入院中に主治医に言われたことは、とにかく頑張って運動しなさい、暴飲暴食を慎み消化の良い食事をしなさい、ということでした。
いつまで続ければいいのかと訊くと、「一生」・・・。
本当に気の重い話です。
ただでさえ、うちの血筋からいっても長生きしそうなのに、そんなことをすると間違いなく長寿リスクが高まってしまうからです(笑。
希望としては、楽しく健康に生きて80手前くらいでコロリというのが理想なのですがね。

とはいえ、医師の言いつけを忠実に守り、退院後は以前よりせっせと歩いてます。
今はちょうど、運動するにはいい季節ですし、早く体力を回復させないと次の旅行に間に合わなくなります。
しかし傷口はまだ痛むので、あまり激しい運動は出来ません。
だから背筋を伸ばしつつ、大股でできるだけゆったりと。
理想は週7万歩ですが、現実的には週5万歩を目指して歩きます。
週末と日曜合わせて2万5千歩だったので、平日は5千歩程度歩けば目標が達成できるはずです。

食事の方は、消化の悪いものを除けば特に制限がない。酒も少しならオーケー。
しかし、これが意外に難しい。
しっかり噛んでも口中に残る食品が駄目なんですが、それが野菜の中に多いのです。
大腸を手術した友人の体験では、エノキや山菜で実際に大変な目に遭ったとのこと。
そういう話を聞くと、食べ物選びにはいやが上にも慎重になります。

私の体を案じてくれた友人が、スープをたくさん作って持ってきてくれました。
仕事で忙しい中を、わざわざ時間を割いて調理してくれたものです。
栄養たっぷりの、野菜の旨味が濃厚で、しかもとても優しい味わいのスープでした。
料理上手の人なのである程度は分かってましたが、これほど美味しいスープは初めてです。
どうやって感謝の気持ちを伝えれば良いのか、私にとって難しい宿題がひとつ出来ました。

2014年10月10日金曜日

院内読書


術後、消灯時間以外は決して横にならないよう努めました。
起きている間は、ベッドに腰掛けて読書をするか、文章を作るか、もしくはがんばって歩くか、疲れたら食堂のいすに座りぼんやりとしているか。
おおざっぱに言って起きている間半分以上を、読書して過ごしました。
強制的に休まされるというのは滅多にあるものじゃありませんから、せっかくなので存分に楽しませてもらおうというわけです。

用意していた本をあらかた読んで、さて次はどうしようかという入院3日目。
病院内に入院患者用の図書室があるのを知り、退屈しのぎに体にまとわりつくチューブを引きずって探訪してきました。
図書室は資料庫を転用したような感じの部屋で、1000冊あるかないかという程度のもの。
ジャンルに偏りがみられるので、きっと寄贈する人が多いのでしょう。
しかし文庫本から単行本まで予想外に充実しています。
その筋の人の持ち込みでしょうか、不思議なことに大江健三郎全集まであり、高校の頃に読んだ「万延元年のフットボール」を懐かしさのあまりページを繰っておりました。
読み返そうと思いながら、これまで読み返すことはなかった本でした。

そうした中で見つけたのが、米原真理の書評集、「打ちのめされるようなすごい本」。
短い滞在の記念に一番ふさわしく思い、この本を借り受けることにしました。
これまで読みたいと思いながら機会がなく、おまけに返却期限のないのが素敵!

何が読みたいのかわからなくなったり、読書がマンネリ化したときに、私は書評集を手に取りますが、世評通り、米原真理の書評は出色のおもしろさでした。
米原のスタイルは、ジャンルに選り好みがない代わりに、自分の関心を引いた角度から本をすっぱりと切り落とす潔さにあると思う。
快刀乱麻を断つが如し、というマッチョな風情にして、勇敢で誠実な書き手への限りない敬意も存分に感じられ、評論のための書評になっていないところが高く評価されるのでしょう。

すばらしい書評家である前に、すばらしい読み手を失ったことが、返す返すも悔やまれます。

2014年10月9日木曜日

夢見る「夢の島」

5月に書いた文章ですが、落ちも何もなく放置してました。
入院中を利用して、少し書き足し、気の利いたタイトルを考えてみました。
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「日本は、夢の島にそびえ立つぴかぴかの超高層ビル」
4半世紀前に、ある経済書の中で描かれた日本の姿です。
もちろん、「夢の島」といっても、その当時の埃っぽい埋め立て地のことで、広大なアジアの比喩です。


空が黄色く曇り、風が強く吹いて埃っぽい休日の午後のことです。
顔見知りの年配のご夫婦と世間話をしたおり、黄砂被害に話題が移ったところで、普段から知的で温厚なご主人が中国に対して不快な感情を露わにしました。
年齢的には、おそらく中国に対して強い親近感を持っていてもおかしくない方だったので、これにはびっくりしました。

我が年老いた母も、中国や朝鮮半島の話となると、近ごろはやはり同様の反応を示します。
以前は決してそんなふうな感じではなかったのですが、意外にも高齢者たちに排外主義的な広がりを感じます。
書店の棚には、近隣を批判する本がそれこそずらりと並んでいます。
出版社とて商売だから売れる本を出すのが当たり前ですが、売れればオーケーの安っぽいナショナリズムが横行する風潮にはついて行けません。
かつての中国ブームや韓流ブームとは、一体何だったのでしょうか。

そのむかし、「ソウルの練習問題」という本が話題になったことがありました。
思想的な偏向がない、自然体の若者が未知の国に旅行して、様々な体験をするルポルタージュです。
当時の日本人にとって、韓国とは不気味な軍事独裁政権の続く、寒くて暗い貧しい国であり、およそ健全な旅行者が立ち寄る場所じゃなかった。
そして海峡を越えてやってくる人たちの多くは、男性相手の歓楽街で息を潜めて生きている。そういう時代でした。
このような日本人の先入観を覆し、ごく普通の人々が暮らす韓国という国を、混じり気のない視点から初めて描いた画期的な本でした。
いつの日にかアジアの国々が発展すれば、自分たちがそうであるように、当たり前に普通の人々が行き交う時代が来るに違いないと、この本を読んで確信したものです。


この冬のバーゲンシーズンの頃だったのですが、久しぶりに表参道に立ち寄る機会がありました。
そこには、まるでどこかアジアの街角に立っているような錯覚に陥るくらい、バーゲンの買い物をするアジアの若者達が数多く行き交ってました。
余裕のある中高年ばかりでなく、貧しい若者達ですらLCCで国境を越え、日本のバーゲンシーズンを楽しんでいるという事実に、改めて時代の変化を感じました。
現代のヨーロッパと同じように、アジアでも国境を越えて気軽に人々が普通に買い物をするという、私が若い頃に夢想したことが現実になりました。
老人たちの複雑な思いとは関係なく、どんどん世界は小さくなっています。


とはいうものの過去の複雑な経緯から、アジアの国々が今後順調に和解することは非常に難しいと感じます。
ようやく彼の国々にも中産階級が育ち、経済的なゆとりが得られたと思う間もなく、世界的な社会の二極化が深刻な影響を与えだしたという不運。
加えて、豊かな日本が苦しむ人口減少とは比較にならないくらい、急速で巨大な人口減少がそれほど豊かにはなっていない国々を襲いだすという不幸。
世界全体と連動する国内的な混乱と、対外的な軋みが、私たちの暮らしを不安定に揺さぶり続ける時代になってしまいました。
蓄積のある日本を除き、他のアジア諸国が紛争や動乱を起こさずにうまく軟着陸するのは、きわめて厳しいことでしょう。
その時、日本の国は、地域安定のための賢いリーダーシップを発揮できるかが問われてきます。
一国平和主義というエゴイズムから離れて、たとえ貧しくなろうとも、アジア諸国から信頼される国に脱皮すべき時代が到来しつつあると思います。

みんなが平等に夢見ることのできる「夢の島」を目指して。

2014年10月8日水曜日

ルーレットゲーム

木曜夜10時頃、食事中に下腹部の鈍痛を感じる。
最初はただの膨満感と思ったものの、次第にことの異常に気がつく。
その夜たまたま食べていたのが、数日前に作った煮込みだったので食中毒を疑い、直ちに整腸剤を服用してからトイレに駆け込む。
とにかく出るものは、すべて出してしまいたいという一念。
たが、いつまでも下痢の兆候は現れない。
むしろ痛みだけが直線的に増大する。

下痢でなければ、明らかにおかしい。

2時間を経過したあたりでトイレから出て、強い痛みに耐えながら、インターネットで考え得る病名を探し始めた。

その結果、腸閉塞か、結石あたりが濃厚に。
年齢的には、結石の痛みと考えるのが順当である。
しかし現実は、普通の健康な排尿があるのでとりあえず却下。

残るは腸閉塞。原因を含めて、これはちょっとやっかいだ。
その時点では自分自身には一番考えにくい症状だった。
なぜなら、毎日、快調に排便しているので、腸が閉塞しているということ自体が納得できない。
肉はあまり食べず、毎日が大豆食品と野菜が中心の食生活なのである。

なんであるにしろ、この痛みは自宅で解決できるレベルではない。
選択肢は、このまま朝まで待ち、通い慣れたホームドクターの診察を受けるか、直ちに救急病院に駆け込むかのどちらか一つ。
予想に反して大袈裟な病気でない場合だと、ご近所の手前、やはり救急車は使いたくない。
それに安易に救急車を呼んで、運悪く設備やスタッフの貧弱な医療施設に搬入されると後々やっかいである。

この点、ホームドクターだと、信頼はできるが、外科手術に対応できないのが致命的。
もちろん直ちに信頼できる病院を紹介してもらえるが、実際に施術するまでに時間がかかりすぎる。
これで手遅れになると最悪の結果に、場合によっては命に関わる可能性が排除できない。

となると、贅沢を言わずにとりあえず最低限の設備とスタッフがそろっている病院に、直ちに連れて行ってもらうのが正解ということに。
何よりも決定的だったのは、体力的にもう猶予がないレベルにまで到達したため、診察開始時間を待つゆとりがなかった。
発症から5時間後、ついに119番通報して救急車にきてもらう。
事前に、近所まできたらサイレンを消すことを了承してもらった。
いい病院か、そうでない病院に送られるか、一発勝負のルーレットゲームである。


午前3時半、連れて行かれた先は、自分の考えるベストではないが、かといって避けるべき理由もない総合病院だった。
すぐに当直スタッフ数人が駆けつけ、慎重な問診の後、レントゲン検査とCT。
得られた画像から、間違いなく腸閉塞と診断される。
診察台に仰向けになったまま、何枚もの承諾書にサインをする。
外科のスタッフが全員そろう朝9時から緊急手術。
「これから麻酔をかけますよ。」という声を聞き終える間もなく意識を失い、次に目を開けると不安げな妻の顔がそこあった。
後もう少し遅ければ、大手術になるところだったという。

病気としては珍しいので運が悪い(医師もそれに近い表現をした)、しかしルーレットには勝ったので運は残っていたといえる。
差し引きゼロ。
たまたま同室の患者は、先に悪い目の方を引き当て、運のない展開になってしまっていた。

悪い噂を聞いていたわけではない。
何度かその病院のまえを通り過ぎただけなのだが、そういう雰囲気が滲み出ていたのである。