2008年4月18日金曜日

「ずばり東京」

橋本治の「日本の行く道」に、この日本を1960年代前半に戻すべきだという提言がなされていた。それはちょうど東京オリンピック前夜の、大人が夢を見ることを恥ずかしいことだとは少しも思われなかった時代である。いわば新生日本の青年期である。

ところで、それは実際にどういう時代だったのか。わからなければ本を読もうと手に取ったのが開高健のルポルタージュ「ずばり東京」である。あの開高健が、「東京」という巨象にしがみついて、体温や臭いや、皮膚の下で脈打つ血管のうねりまで描写した、迫力のルポ40編である。いや、その内容の面白いこと面白いこと、最近話題の懐古映画なぞ足下にも及ばない出来だ。

特に素晴らしかったのは、東京オリンピックの開会式を描いた1本。そこで感じたのは、国家的イベントに国民が心ひとつになるという素朴な連帯感の心地よさであり、それを育む国の若々しさである。そして最初は巧みな表現に笑いを押さえきれなくなるが、なぜか読み終える頃には切なさで一杯になった。年老いて縮み行くこの国の、立ちすくむ姿しか見たことのない者からは、まるでおとぎ話の世界である。

どのエピソードも面白い。人それぞれに感じ入る部分は違うだろうが、どれも決して飽きさせない。この本、わたし自身にとっては再読になるが、読後の印象が当時とあまりに違い驚いている。日本は年老いたが、わたしもそれなりに年齢を重ねたということだろう。

2008年4月10日木曜日

ラジオ

この数年、妻は熱心に外国語のラジオ番組を聴いている。最初のうちは冷やかしだろうと思っていたら、意外にも長続きして、先日の旅行ではかなり実用になっていて驚いた。まさに継続は力なり、だ。ただ、うちには古いポータブルラジオしかなく、予約録音の手段がないのが障害になっていた。そこで先月、ご褒美代わりのプレゼントとして買ってきたのが、このラジオである。

かたちはひどく不細工だけど、20件まで録音スケジュールを設定できるうえ、番組をそのままラジオ内蔵のハードディスクに収録できるのが素晴らしい。そして一旦セットすれば、あとは電源を切った状態でも、知らないうちに録音を済ませている。時刻が来ると、ふっと機械が目覚め、青いランプを点滅さながら、音もなく収録し、用事が終わると再び眠りにはいる。その繰り返し。そして一日の終わり近くになってスイッチを入れると、収録した番組がタイトルを付けて整然と並んでいて、それを見てると妙に感動するのである。

ハードディスクの音声ファイルは、もちろんパソコンに転送できるし、携帯プレーヤーでも簡単に使える。Macの場合なら、Flip4Macというフリーウェアをインストールしておけば、QuickTimeでの再生が可能である。これは、素人的に思いつく、ありとあらゆる便利がぎゅっと詰まったような、素晴らしく便利なラジオなのである。値段はちょっと高めだが、他に類似のものはなく、それを補うだけの価値は十分にあると思った。

そして、わたし自身も、久しぶりにラジオ講座を聴くようになり、いまのところ、すこぶる快調に続いている。三日坊主のわたしにすれば、それだけでもちょっとした出来事なのである。そして妻は、学習意欲にますます拍車が掛かってきたようだ。

2008年4月7日月曜日

「小津ごのみ」

例えば人生を、石造りの僧院だとすれば、優れた芸術は、分厚く硬い壁を穿つ窓のようなものだ。高窓から差し込む陽の光で、我々はさまざまな人生のかたちを知り、時には人生の意味を悟る。あるいは開け放たれた窓の外から聞こえてくる鳥のさえずりに、あかるい明日を夢見ることが出来るのだ。

わたしにとって小津安二郎の映画は、まさに僧院の窓、それも部屋の奥まった場所に控えめに備え付けられた細長い明かり取りを連想させる。それは孤独に向き合う人々の手元を照らす、フェルメールの明かりにも似た印象を残す。だから、小津の映画だけは、誰もいない場所で、静かに見詰めていたいのである。

中野翠の「小津ごのみ」は、小津の作品を正面から、真っすぐに見詰めた映画評論集である。いや、評論というと、どこか高みに立って安っぽい教えを垂れるような臭いがする。むしろ、小津映画への熱心なラブレターだというとしっくりする。的確な観察眼と、小津映画に対する愛情が程よく混ざりあった文章に、強い共感を覚えるファンも多いのではないだろうか。まだ観たことのない人たちよりも、むしろ何度も観て、心の中に言葉にならない塊を抱えた人たちに勧めたい本である。

2008年4月6日日曜日

「たなぞう」

同じ本を2度も買ったり、重複して借りたりすることが多いので、テキストファイルに簡単なリストを作って読書履歴の代わりにしている。
他方、読んで気に入った本などは、その感想を時折ブログに書いているが、一言だけでは様にならないので、結局面倒になって紹介せずに終わることが多い。
そこで、自分自身のための履歴管理と、簡単な本の紹介を兼ねた何かがないかと探して、使い勝手が良さそうに思ったのが「たなぞう」である。
一言で言えば、ウェブ上で情報を共有する読書記録であり、同時に個人で利用する蔵書管理ツールの機能も有している。
眺めていても始まらないので、とにかく利用してみようと思う。

手始めに、わたし自身が読み返したいミステリー小説のリストを作ってみる。

2008年4月4日金曜日

「たんぽぽ娘」

子供の頃はサイエンス・フィクションが好きで、とりわけ海外の短編ものがお気に入りだった。どうして短編かというと、退屈な授業の時間つぶしにちょうど良かったり、またそれ以上に、短い枚数でどれほど読み手に感銘を与えるかという芸風が気に入っていたのだ。そして、まあ当たり前なのだが、旺盛な読書欲に対して小遣いは僅少なので、そのほとんどを学校の図書室から借り出して読んでいた。お陰で図書室から一番本を借りた生徒として名前を載せられるという不名誉を受けることにもなった。授業中に見つかって叱られるということがなかった代わりに、最も恥ずかしいしっぺ返しを受けてしまったわけである。

そのころに読んだ小説で、ちょっと忘れられないのが、ロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」。何しろ図体の割にうぶだったので、男女のいろいろなことを、まあとてもロマンチックに考える癖があって、「たんぽぽ娘」はタイムトラベルが隠し味になった恋愛小説としてとても印象に残っている。ある時、古本屋でその本の在庫を訊ねたら、「少女向きの文庫ですけど・・・」、と店主に変な目で見られてしまった。そりゃもう外見は擦れ枯らしの中年男だけど、あたりまえに思春期があったわけで、その辺の郷愁というものも人並みにあるのだが。

そこでウェブに転がっていないかと調べたら、嬉しいことにオリジナルが見つかったのである。
http://www.scifi.com/scifiction/classics/classics_archive/young2/young21.html

たどたどしく読んでみるが、子供の頃に読んだのとまったく同じ印象。冒頭の出会いの場面もロマンチックだけど、ラストシーンも悪くない。「一昨日はシカ、きのうはウサギ、そして今日はあなたに出会えたわ。」だなんて、いっぺん言われてみたいものだ。甘っちょろいかもしれないが、こういうストーリーが相変わらずの好みなのだと再確認したのである。

100年の人生

テレビCMで”人生100年”という言葉が出てきて、ちょっとびっくりしました。数年前から、100年を前提に人生設計すべきということが語られるようになってきましたが、もはや常識のレベルにまで上がってきたということでしょうか 人が当たり前に100歳まで生きる時代が到来するなんて、少し...