2010年11月28日日曜日

ひなたの散歩


ヴェランダに草木があるせいで、鳥や昆虫がたくさん寄ってくる。冬が近づくと昆虫はめっきり減るが、鳥たちは相変わらず葉っぱや実を啄みにせっせとやって来る。せっかく掃除した後に、点々と鳥の糞が落ちているのは腹立たしいが、その分楽しませてもらっているので仕方のないことだ。

カマさんがやって来て半月以上になるだろうか。網戸を洗おうとして、隅っこにしがみついているのを発見した。季節柄餌は少ないし、夜は冷えるし、あとどれほど寿命があるか分からないので、しばらくそっとしておくことに。それから毎朝顔を合わせるようになり、こちらで勝手に名前を付け、元気にしているか気にかけるようになった。

今日は日中暖かく、いつもは微かにしか動かないカマさんも、日向で機嫌良く散歩している。カメラを向けると、頭を上げて、大きな目でこちらを凝視した。網戸の片付けはしばらく先のことになりそうである。

2010年11月27日土曜日

晩秋に

街路は色とりどりの落ち葉で敷き詰められ、陽の傾きで刻々と変わる木々の姿が美しい。時に人々が寝静まった深夜、冷たい雨が降り注ぎ、枯れ葉がさらさらと優しい音を立てる。この時期は一年でもっとも好きな季節だが、同時に、20世紀の終わりに我が国を襲った金融クライシスを生々しく思い出す季節でもある。

あの当時、都心の一等地に店舗やオフィスを構えた金融機関が崩れ落ちるように次々と破綻し、そののち閉鎖されたビルには夕方になっても照明が灯らず、周囲の目映い光の中でそこだけ薄暗い姿をさらしていた。そしていくつかの取引先が倒産して、長い付き合いのあった人たちから挨拶状が届くようになった。この先、自分たちは一体どうなるのだろうか、どうすれば生きていけるだろうか。毎日のように不安に苛まれ、何としてでも暮らしを守らなければと懸命だった。

それから12年、予想以上に長くもった日本だったが、もはやゲームは詰んだと言えるときが到来したようだ。いくらでも挽回のチャンスがありながら、その度に制度改革の痛みを先送りしたあげく、最後に政権担当能力の欠如した政治家たちを選んでしまった。何ら影響力のない立場だからこそ無責任に言うが、これから先は何をしても手遅れだろう。経済の立て直しはむろん不可能だし、福祉制度だって維持できない。私たちの出来ることは、社会が総崩れにならないよう人々との絆を保ちつつ、各人の自助努力でこれから起きる変化に対応するだけだと思う。

しかし将来を悲観しているわけではない。想像していた事態が起きつつあるだけだし、またしっかりと覚悟もしているので、これからも明るく暮らすということには変わりないのだ。なにより健康であること、仲良くすること、自分なりの価値観を持つこと、そして笑うこと。これだけあれば何だってやり過ごせるものだ。

なぜこんなことを書く気になったかというと、池田先生のブログの「退却戦の戦い方」というタイトルに触発されたからだ。わたし自身も幾度か遠回しに書いたが、薄々感じていたこの気分をずばりと表現していたので、もうはっきりと口にしていい時期だと思った。そして進撃より退却のほうが遥に難しいことは言うまでもなく、そういう場面で無能なリーダーが居座る決意でいるとは、国民にとってまさに災難だと思うわけである。

2010年11月21日日曜日

呑兵衛の麺料理


週末は友人夫婦を招いて理由なき飲み会。朝から掃除や買い物、食事の支度をして、約束の時間ちょっと前にようやく準備が整った。7時過ぎに最初の乾杯をして食事を始め、いつの間にか深夜になり、そして気がつくと周りから鳥の鳴き声が聞こえていた。友人たちを明るくなった外まで見送り、家に戻ると既に妻は疲れ切って先に眠ってしまっていた。散らかった台所にはワインの空き瓶が6本と半分に減ったウイスキーの瓶、そして綺麗に平らげた食器が雑然と並んでいた。急には眠れなかったので、食器を洗い部屋を片付け、そして一息吐くと急に空腹を覚えた。日付が変わってからは飲むばかりで、ほとんど何も食べていなかったのである。

こんな時は、いつも決まって作る麺料理がある。調理は非常に簡単で、まずそうめんを茹でて丼に盛り、そこに梅干しの崩したのを乗せ、更に鰹節、ネギなどを散らして、醤油を適量回し、最後に湯を掛けて出来上がり。特別なコツなどは必要としない。あまりにも簡単なので、酔っぱらっていても大丈夫。それでいてラーメンなんかよりずっとヘルシーで、お茶漬け感覚で食べることが出来る。

このレシピを知ったのはその昔、NHKの「男の料理」という番組でだった。レシピを披露していた人も自分の考案ではなく、行きつけの店の板前から教わったと話していた。そしてそれ以来、飲んだ後はいつもこれを作って食べるという。オリジナルは稲庭うどんを使っていたが、わたしの場合はしっかりとした腰のある半田そうめんだ。

写真は湯を掛ける直前の丼の様子。写真を撮るときまだ酔っていたが、取り敢えずピントは合っていた。ちなみに料理名は知らない。呑兵衛の「あっさりにゅうめん」と言えば伝わるだろうか。

2010年11月2日火曜日

「無縁社会」

無縁社会」を扱ったTVドキュメンタリーを見た。親兄弟、友人たち、地域社会との絆が切れて、孤独な生活を送る、もしくは送った人たちの話だ。本放送の際は、ずいぶんと視聴者の反響が大きかったという。誰も口には出さないが、それぞれが孤独に怯えているのだろう。たとえ今、家族に囲まれ、ひとかどの社会人として活躍していても、将来がどうなるのか誰にも分からない。

あるとき道ばたに倒れている人がいて、近づいてよく見ると負傷していて、おまけに靴を履いていなかった。息があったのであわてて救急車を呼んだが、到着したときには手遅れだった。すぐ後から警察官もやって来て、集まった人たちに身元を確認しようとしたが誰も知らない。そこで、その人のポケットを探ると、ゲームセンターの会員証が見つかり、ようやく傍の大きなマンションの住人だということが判明した。そこは頻繁に人が通る道で、私が来るまでの間みんな知らん顔して通り過ぎていたのだ。素晴らしく天気のいい、ある休日の昼間の出来事だった。

それから数週間が過ぎ、同じ場所を歩いていたら、偶然に調査中の保険会社の人に声を掛けられてそのときの事情を話した。そして会話の中で、その人が一人暮らしだったこと、生命保険の受取人がお母さんだったことを知った。どういう理由があったのかは知らないが、本当に寂しく悲しい話だ。たまたま関わりを持つことになった人に対して、あの時何をしてあげればよかったのだろうかと、今も時々考える。

人類の長い歴史の中で、今ほど自由で豊かで安全な暮らしが営める時は無かっただろう。「ないのは希望だけだ」とは、実によく言ったものだ。しかし、たとえ希望がなくても生きなくてはならないし、孤独にも耐えなくてはならない。いつの時代だろうと、誰にもそういう時が、必ずやって来たのだから。そのことを覚悟しつつも、私は以来、すこしだけお節介な人間になろうと努めている。
先のドキュメンタリーの中でも、近所の子どものお節介が、一人暮らしの中年男の心を慰めていたエピソードが語られていた。さすがにホロリと来たね。

100年の人生

テレビCMで”人生100年”という言葉が出てきて、ちょっとびっくりしました。数年前から、100年を前提に人生設計すべきということが語られるようになってきましたが、もはや常識のレベルにまで上がってきたということでしょうか 人が当たり前に100歳まで生きる時代が到来するなんて、少し...