2012年1月29日日曜日

経過報告


雪の降る寒い日にミソを仕込んで1週間。昨年の分量ではとても1年保たないことが分かったので、今年は倍の分量を仕込んだ。大豆2キロで約9キロ。豆を茹で上げるのに、大なべでも1日1キロが精一杯なので、都合2日がかりの作業だった。



発酵は去年と同様、ポリ袋に入れて冷暗所に保管するだけ。レシピの異なる2種類を作ったので、間違えないようにそれぞれ違うデザインの袋に詰めた。そして今日、晴れて今年最初のミソチェックを行った。戸外に保管しているので、ほとんど変わりないだろう思っていた。ところが、袋を取り出して匂いを嗅ぐと、ちゃんと発酵の進んだ匂いがする。麹さんを甘く見ちゃいかん、厳しい寒さの夜であっても、飽くことなく仕事しているのである。

テーブルにミソを詰めた袋を並べて記念撮影。これからどのように育っていくのか楽しみだ。

2012年1月21日土曜日

忙しい週末



バレンタインデーには感謝しなくてはならない。1年前、乾物屋の店内がチョコレート作りの女性たちで混雑していなければ、長いレジ待ちの列で味噌造りのパンフレットを手にすることはなかったろうし、それを読んで関心を払うこともなかったろう。それから毎日のように自家製味噌を味わうという幸せもなかったし、厳冬の季節が巡ってきて新しい味噌造りを楽しみに待ついうこともなかった。だから、バレンタインデーの季節に、たまたま乾物屋を覗いたわたしは、じつに運のいい男だ。

昨年は手探り状態で味噌を仕込んだが、グーグル先生のおかげで十分に満足のいく味噌に仕上がった。そもそも味噌造りが簡単なものなのか、それとも選択した造り方が良かったのかはまだ不明である。だけど確実に、半分くらいは食い意地が味方したのだと思っている。そしてこの週末は頑張って、造り方を違えたものを2種類、合計して倍の分量にチャレンジする予定。去年の味噌には満足してるが、さらに好みの味を探求するため、しばらくは試行錯誤を繰り返すつもりである。

写真は、去年仕込んだ味噌の様子。米麹の割合が通常より多く、そのぶん塩の割合が少ない。甘い香りと大豆の旨味が特徴の、たいそうまろやかな味噌汁が楽しめる。

2012年1月16日月曜日

「大不況には本を読む」


橋本治はいつも気になる作家だ。波長が合うとか、興味の方向が同じというわけでなく、むしろわたしにとっては常に違和感の残る、読み辛い作品ばかりだ。そして、このモヤモヤがずっと後を引き、何年後かに再び違和感を解消するために読み直してしまう、そういう種類の作家である。

大不況には本を読む」を読み直した。リーマンショックのあとに書かれ、いったいこの先どうなってしまうのだろうと本書を読み始めたところが、「ここはひとつ、落ち着いて本を読め」である。只でさえ切羽詰まった心境なのに、こんな結末ではそりゃ怒り出す人だっているだろう。そんな不満が残った。

ところが、資本主義はすでにアウト、わたしたちに残されたことは何かを作り始めることではないかという心境に至って、この本は意外にもメモと付箋一杯になって戻ってきた。いわく日本人は欧米先進国の作ったフレームに沿って、ひたすら働き続けた結果、何も考えないという癖を付けた。ところが彼らの作ったフレームが壊れた以上、独力で自前のフレームを考える必要が生じてしまった。だから、新しい歴史を始めるために、先ずは自分を知るため、取り敢えず手元にある本を読み返しましょうという提言である。

初回に読んだ時、空回りの気分を覚えた。それは時間感覚の違いがもたらした気分じゃないだろうか。何かを奪われるという恐れを抱えた人と、過去という膨大な遺産を味わう術を知る人の感覚の違い。目前の時間を単に浪費する人と、過ぎ去った時間を人生に織り込む人との感覚の違いともいえよう。橋本治は、まさに後者の典型であり、読者であるわたしはこの感覚の歯車にぜんぜん噛み合わなかったのだと思う。

考えるという作業は、自分を中心にして世界を構築するということ、そのために十分な時間を掛けて過去を検証するという地道な作業が必要だ。著者は「行間を読むこと」の大切さ、「書かれていないこと」の重要性を強調する。本の書き手と、読み手の視点の違いを意識して、読み手にとって書かれて然るべき事柄がなぜ書かれていないかを考える。それを通じて、自分の視点で世界を探すこと。これこそが本を読むという行為に他ならないと。

バブル景気真っ盛りの頃、著者の「江戸にフランス革命を」を読んだが、あの時もやっぱり歯車が噛み合わなかった。日本中が繁栄の未来に酔っていた頃、なぜ江戸時代に市民革命が起きなかったのかという問題意識があまりに唐突だったのだ。そして今になって思い至る。平和で繁栄した江戸の時代に、なぜ市民が登場しなかったのかを問うことは、歴史に書かれなかった事柄を考えることであり、それは同時に現在のバブル終焉後の社会の有り様を考えることだったのだと。もう一度読み直すべきだが、すでにその本は手元にない。迂闊だった。

2012年1月6日金曜日

デモ行進



在学中にデモ行進を経験した。その頃は、すでに大学紛争なんて影も形もなく、せいぜい子どもの頃ニュースで見たのを覚えているくらい。それでも趣味的に闘争ごっこを楽しんでいる学生も残っていて、学内にはまだゲバ字の立て看が並んでいたものだ。そんな連中の一人に「頭数が足りない」という情けない理由で頼まれて、いわばアゴアシ付きでデモに参加することになった。わたし自身も、タダで東京見物が出来て、弁当まで出るならまあいいかという、いたっていい加減な動機だった。

暮れのある日夜遅く、集合場所となった学生寮に行ってみると、食堂に50人程度の学生が集まっていた。リーダー格の若者がデモの趣旨やコースなどを説明し、逮捕された時の対処方法と注意事項を伝えた。そのあと、支給された使い古しのレインコートやヤッケなどを身につけ、塗料で汚れた軍手をはめ、更にガムテープで袖口を綴じたりして防寒対策を施した。ホームレスも逃げ出すくらい見苦しい格好だ。メンバーはおおむね初参加らしく、見様見真似で戸惑いながら身支度をした。そして準備が整い、待機していた貸し切りの夜行バスに乗り込み、デモコースの東京に向かった。

出発地点は、文京区の某大学近く。早朝に到着したので、時間調整のため車中で弁当を食べて待った。皆、緊張して押し黙っている。そして出発時刻となり、それぞれがセクト名の書かれたヘルメットを被り、予約していた機動隊の職員にエスコートされて、周囲の道数キロを練り歩いた。デモのやり方は、労組の行列みたいにぞろぞろと歩くのではなく、若者らしく隊列を密集させて気勢を上げ、いかにも闘争しているというスタイル。しかし、社会はすっかり平穏になり、学生にも抗議すべき特別な理由もない。私たちは、いわばデモ初心者のぎこちない初舞台という感じで、機動隊の事務的な助言に従い粛々と歩いた。ゴールは後楽園だった。はるばる遠くから来たのだから、ちょっと遊んでいこうという声も上がるが、貸し切りバスの都合で後ろ髪を引かれる思いで帰路についた。デモといっても、たったそれだけのことだった。

あれが何のデモだったのかも忘れてしまった。しかしその場所を通るとき、今では面影を残さない当時の街の静かな様子や、初冬の穏やかな休日の場違いなデモ行進のことを、ふとした拍子に鮮やかに思い出す。ある時、団塊世代の女性にそんな情けない記憶を話したところ、彼女自身が新宿で機動隊員に投石をして逃げ回った体験を、懐かしさを込めて話したものだ。元気で自己主張が得意な彼女の世代、個人主義的で無関心、無感動、無気力と言われるわたしの世代。それほど年齢が離れているわけではないが、彼らとの違いを感じることは意外に多い気がする。

写真は、フランスの地方都市で遭遇したデモの様子。デモの本場らしく当地では何度も目にしたが、たいていこんな風にのんびりとやっている。

2012年1月4日水曜日

帰省



正月を郷里で過ごした。例年は年末年始をずらして帰省していたが、さすがに今年から母が寂しがるだろうと、人並みに帰省ラッシュにもまれてきた。

孫の顔を見せに行くのだろう、子どもを抱きかかえ、両手に土産をぶら下げる若い夫婦や、いかにも単身赴任中といった風体の中年男、帰省か遊びかちょっと見た目には分からない若い男女など、空港の待合ロビーは普段とは異なる活気があった。夜遅い最終便にもかかわらず飛行機は予約で満席。機内は子ども達のはしゃぐ声、むずがって泣く赤ん坊の泣き声で、いつもと違いかなり賑やかだ。そうして郷里の空港に到着し出口に向かうと、周囲には彼らを迎える家族達の顔が並んでいた。悪くない、こういう温かさ。

実家では特に何をするわけでなく、とりとめなく話をして、近ごろめっきり増えた昔話の相手をし、しゃべり疲れたら茶を入れる、そして食事をする。人の顔を見れば「ちっとも食べなくなったね」、と食べ盛りの頃の様子を何度も聞かせ、今のわたしの飼いネコ並みの食欲を心配する。だからいつも普段の倍の努力で出された料理を平らげるのだが、そうすると消化不良であとが辛いのである。

帰りは早朝の始発便。玄関で、母はまだ何か話足りなさそうな顔をし、わたしはし忘れたことはなかっただろうかと考える。「心配は要らないからね」「うん、分かってますから」と、互いに短い言葉を交わして真っ暗な外に出た。そして数時間後、家に帰り着くと、留守番電話に無事を確認する母のメッセージが入っていた。

100年の人生

テレビCMで”人生100年”という言葉が出てきて、ちょっとびっくりしました。数年前から、100年を前提に人生設計すべきということが語られるようになってきましたが、もはや常識のレベルにまで上がってきたということでしょうか 人が当たり前に100歳まで生きる時代が到来するなんて、少し...