2015年2月26日木曜日

散歩の途中で


立ち寄った公園では、ちょうど梅が満開でした。
気温もそこそこに高く、ほのかな甘い香りが、辺り一杯に漂ってます。


同じ花見でも、私は桜より梅の方がずっと好きですね。
桜の方は、単にお祭り騒ぎをしたい連中が幅をきかせて、純粋に花を楽しみたくても脇に追いやられます。
梅は、まだそういう季節でないので、邪魔者抜きで心静かに楽しめます。


前回立ち寄ったのは、3.11の2、3週間前だったか。
このときは素晴らしく天気が良く、梅の咲き始めの頃でした。
ぽつりぽつりと咲いた白い梅の花と、青空のコントラストがすっきりと美しくて、何枚か写真を撮りブログにアップしたものです。
あれからずいぶんと長い月日が経ったように感じます。

2015年2月23日月曜日

スマホデビュー


昨秋のことですが、いよいよスマホの時代がやって来たと観念してiPhoneを注文した顛末をブログに書きました。
その後、無事iPhoneを手にしたところで、思いもかけず入院騒動が起き、なんだかんだと忙しくすっかり放置してました。
結局、iPhoneを初めて使うことになったのは、旅先のフランスででした。
空っぽのiPhoneを現地の専門店に持ち込んで、短期滞在者用のチップを購入し、店員さんにセットアップまでお願いして開通させました。
電話とインターネット合わせて2週間で5000円程度の出費になりましたが、地図が使えて、緊急時の連絡も簡単に出来るのですから、万が一の保険だと思えば安いものです。

さっそくお目当てのレストランをマップ上で検索すると、画面に店の所在が表示され、続いて電話を確認しようと該当項目をタップしたところ、なんと知らないうちに相手先をコールしている。
どうしようかと迷う間もなく相手がすぐに電話に出たので、慌てて予約したい旨を伝えると運良くOKが取れ、自分の名前と携帯番号を言って予約はあっけなく終了。
検索して予約が終わるまで1分少々、あとは店まで地図上の経路を辿っていけば子どもでも行くことができます。

スマホを、どことなく胡散臭く面倒くさいという印象だけで避けてきましたが、この出来事でいっぺんに先入観が吹き飛びました。
もちろん使い方によるでしょうが、特に自分にとって何かと不自由な外国で、現地情報に自在にアクセスしながら街中を歩き回るためには、スマホを携えるのが最も合理的な方法だと、今更ながら確信しました。
いま東京の街中で見かける外国人観光客の皆さんも、ほぼ例外なくスマホ片手に観光しています。
ガイドに引率されグループで観光するというスタイルは、そのうち無くなってしまうかもしれませんね。

以上のような経緯で今月から、これまで使っていたガラケーを手放して、ようやくスマホデビューを果たしました。
幸いSIMロックフリーの機種なので、回線契約は安価なMVNOを選ぶことができたのも動機です。
複雑怪奇な条件のついた契約を前提とする旧来の業者さんだと、私のように事情の疎い者はどこかで損をさせられるような気がするものです。
それに、滅多に電話もメールもしないという使い方なので、料金体系は簡単明瞭でなくては困ります。
というわけで、NTTの回線を使うMVNOと契約しましたが、今のところガラケーと同じくほとんど使うことなくポケットに収まっています。
一番役立っているのは、実のところ万歩計としての役割なんですね(笑。
まあそれでも、時代に置き去りにされてないという安心感には代え難いものです。

2015年2月19日木曜日

景気の「気」

休日の昼下がり、自宅から都心まで自転車を漕いで遊びに行きました。
公園を散歩した後、文具店に立ち寄り、その並びにある老舗の団子屋で休憩というお手軽コース。
天気が良かったせいか人出が多く、団子屋でお茶を済ませる頃には、店内は満席となり、外にまで長めの行列ができていました。

来たついでに近くのデパ地下に立ち寄ると、これがまるで歳末セールのような大賑わいです。
取り立てて混む理由もないのにと不思議に思い、興味半分で店内を見て回りました。
すると食品売り場だけでなく、他の売り場も同様の混み具合。
それどころが、普段は客が入らないはずの宝飾品売り場でも、多くの人が熱心に品定めをしています。
どさくさに紛れて、いつもなら近寄ることすら憚られる有名ブランドのショーケースを、じっくりと見て回ることができました。

数年前に、渋谷のデパートがあまりに寂れていた様子をブログで書きましたが、きっと現在は様変わりしているのではないでしょうか。

しかもそれだけじゃない。
自分が目にする範囲での印象ですが、このごろ高級車が目立って多くなってきてます。
いったいいくらするのか見当もつかないような、珍しいクルマが走り回ってます。
普通のスーパーマーケットの駐車場が最新の外車でいっぱいになり、うちの古ぼけたクルマがみっともなく見えるほど(笑。
きらびやかなバブルの時代だって、これほど外車を見かけませんでした。
つらつらと思うに、気がつかない間に豊かな人々が急増していると考えるのが素直じゃないでしょうか。
そのような人たちの主導で、消費が活発化しているのです。
先の選挙の際、野党候補のアベノミクスのせいで国民の生活が苦しいという主張が頻繁に聞かれましたが、街角から見る実際の印象とはかなり食い違ってました。

景気の現状をそんなふうに感じていた矢先、日経新聞の電子版で富裕層の消費が活発化しているという記事を読みました。
やはりというかそれ以上に、直感を裏付ける実態が描かれていました。
今はまだ広がりは小さいかもしれませんが、景気が上向いていること自体は大いに歓迎すべきことです。
しばらくすれば賃上げも実施され、中間層の所得が伸びると、消費の広がりだって本格化するはずです。

願わくば、せめて2020年の五輪大会まで、少しずつでも良いから、緩やかな景気回復が続くと良いですね。
そしていつかは、「あの頃はピケティの本が流行りましたねえ。」と余裕で振り返る時代が到来すればいい。
景気の「気」は、気持ちの「気」と言います。
本格的な景気回復には、先ずは我々一人一人が楽天的に前向きな気持ちになることが大切なのじゃないでしょうか。

2015年2月12日木曜日

もやもやする

「自己責任」という意味のはっきりしない言葉が、近ごろ頻繁に使われている気がします。
しかし以前は、それほど聞かなかったようにも思う。
いつから、このような生煮えの言葉が使われるようになったのか。
そもそも、一体全体「自己責任」とはどういう意味なんだ。

これと似たような言葉に、"At your own risk"なる言い回しがあります。
あなたの行為は法的には禁じられてないけど、なにかあってもあんたの責任。
あなたに被害が生じても、こっちを訴えないでよ、という意味でしょうか。

たとえば、柵が設けられていない断崖絶壁。
そこに近づいたり、崖に腰掛けて絶景を楽しむのはあなたの自由。
しかし、もしそれで怪我したとしても、柵を設けなかったということを根拠に、管理者か誰かを訴えるということはできない。
まあ常識で考えたら当たり前ですが、このような感覚が通用しにくい社会では、予め看板に"At your own risk"と大書して訴訟を封じる必要があるのでしょうね。
これは事情に疎い自分の憶測に過ぎませんが、そんなに外れてもいないと思う。

以上の理解からすると、"At your own risk"には、助けが必要なのに知らん顔をしてもOKだという意味までは含意していない。
むしろ人が助けを求めているのに、それを無視するというのは反社会的な態度とさえいえる。
もちろん法的に救助義務のない人を訴えることはできないでしょうが、助けないという行為が社会的に許されないという判断は充分にありえます。
社会規範と法規範の妥当範囲は違う場合もあるわけですから。

私が「自己責任」という言葉から感じるもやもや感は、まさにその部分。
危険を分かっていながら危難に遭遇した人たちは、よほど特別な事情のない限り、それで誰かを訴えるということは考えられないし、敢えて「自己責任」という理屈を持ち出さずとも当たり前のことです。
しかし同時に「自己責任」という理屈は、救助の拒絶を是とする根拠にもならない。
つまり救助しないという判断が社会的に妥当だと言えるためには、「自己責任」とは別の強力な論拠が必要じゃないだろうか、ということ。
まさに今、人の命が懸かっているときに、私たちが問題とすべきは皮相的な法律論でなく、法ではカバーしきれない我々の属する文明のあり方に関する事柄だろう。
それを「自己責任」という言葉で切り捨てることは許されるものでない。

ただ「自己責任」を主張する人々の心情には注意を向ける必要がありそうです。
その心情とは、自分は自己のコントロールの及ばない事柄に対して一切の関わりを持ちたくないという態度表明の一種ではないでしょうか。
「自己責任」という言葉が頻繁に聞かれる昨今、社会で何が起きても面倒なことには関わりません、という人たちが増えているのかもしれない。
そこには言いようのない無力感を抱えた孤独な人々の姿を想像します。


たとえどれほど愚かな行為であっても、国や社会は全力で助けるべき義務があるかと問われれば、単純に否定できないのと同じくらい、全面的に肯定するのも難しい。
それは私たちが、どのような社会を作るべきなのかという問いかけに等しい問題だと思うからです。
しかしそのように考えると、余計にもやもやしますよね。

2015年2月8日日曜日

檜舞台に立つ

久し振りに歌舞伎を見に行きました。
伝統芸能を鑑賞するのは好きなんですが、なかなか劇場に行こうという気にはなれません。
もちろん劇場で見るのが楽しいのですが、座席の位置が悪いと元も子もないので、どうしてもテレビで観る方を選んでしまいます。
しかし今回は運良く良い場所が取れたので、張り切って行ってきた次第。


開演前の劇場内の様子。
今回初めて花道の側に座ることができました。
舞台全体の見通しが良いので理想的な位置です。


後ろを見上げると、提灯に紅白の梅。
着物姿の人も多く、場内は華やかな雰囲気に包まれてました。


そして3時間後・・・。
幕が下り、観客が劇場を退出した後、私たちは花道を通り、おそるおそる舞台に上がりました。
先ほどまで歌舞伎役者が熱演していたその場所に立ってみると、意外なほど観客席が近くに見えます。
ちょっと興奮しますね。


舞台の材質は檜です。
世に言う、檜舞台というやつ。
手で触ってみると、柔らかい感触がありました。


花道への出口には、揚幕と呼ばれるカーテンが掛かっています。


これを一気に引き上げると、目前に花道が延びている。
一斉に振り返る観客の目が、自分の姿に集中する。
これはさぞかし緊張するんでしょうね。
自分にはとても無理、役者でなくてよかった(笑。