2015年8月23日日曜日
暑かったので、扇風機
過去形とするにはまだ早いですが、今年の夏は辛かったですね。
例年ならばエアコンは夕食時だけで、就寝時は窓を開け放して寝るのが習慣でした。
ところが今年はエアコンなしではとても眠れる状態でなく、結局朝までつけっぱなしの日が続きました。
その結果、電気消費量は節電対策を始めた震災の夏以来、最大の増加を記録しました。
エアコンをつければ何とか眠れますが、慣れないため眠りが浅く疲れは蓄積するばかり。
これではさすがに体が持たないので、眠りを妨げない微風が送れ、しかも静かな扇風機がないかと探しました。
で、見つけてきたのが写真の扇風機。
ネットでの評判通り、微風ではほぼ無音で、しかもソヨソヨと吹く自然な風が得られます。
扇風機をつけて寝るのは嫌いだったのですが、これならば不愉快な思いをせずに寝れます。
結局のところ、就寝時の数時間はエアコンで、外気温が下がったころから扇風機を使うというのがバランスが良いようです。
他の扇風機に比べて値段は高めでしたが、オプションでコードレスにもなり、料理の際にキッチンに置いたり、風呂場の脱衣所に持ち込んだりと、意外にもコードレス扇風機は実用的でした。
しかもデザインがさっぱりしているというのも魅力です。
2015年8月18日火曜日
憂鬱な読書
「東京劣化」
「地方消滅 - 東京一極集中が招く人口急減」
これまでも度々取り上げた人口減少がテーマの本です。
人口減少に関心を持って以来、予測通りというかむしろそれ以上のテンポで問題は深刻化していることがわかります。
著者はそれぞれ違いますが、扱う対象が東京か地方かというだけで、予想される将来像に特別な違いはありません。
あと10年もすれば地方が荒廃し、後を追うように東京も劣化して、日本社会の貧困化が加速する。
これはもはや止めようのない現実であり、限られた政策手段で、何とかショックを和らげるのが今後の政治課題だ。
本書は大づかみに、そんな感じのトーンで綴られています。
まるで先の大戦における敗戦処理を語っているようで、楽しい話じゃないですね。
以前ならばオブラートに包んだ表現だったところが、それでは充分に理解されないためか、けっこう厳しい論調になっています。
なにしろ歳を取ると、どなたも年金と健康のことしか関心が向きませんし、難しいことはお上任せになってしまいますから。
だからこそ印象に残るような表現が必要なのでしょう。
私が危惧するのは、そんな高齢者が支配的になると、何とか社会を変えたいという機運さえ摘み取ってしまわないかということです。
たとえば東京の65歳以上の高齢者は、あと20年で50%以上増加する見込みです。
そうなったときに、果たして適切な世論が形成され、有効な政策が打てるのか、はなはだ怪しいというかとても無理じゃないでしょうか。
「東京劣化」の著者の10年前の本、「人口減少経済の新しい公式」も読み返しました。
読んだ当時、色々と参考になる記述が多く、マーカーとメモ書きでひどく汚れています。
マークした箇所だけ拾い読みすると、「雇用形態の多様化」「貯蓄から投資」とかその他いろいろ、当時の課題が現在の政策になっていることに気づかされます。
その中で、一つだけまだ政策になっていないものがありました。
老後の生活設計は「自己責任」で、という指摘です・・・。
さて、どうのこうのと言ったって、団塊の世代が退場し混乱が収束すれば、いくらなんでも100年も経てば普通の国に戻れるでしょ、と明るく思われるかもしれない。
その100年後の推計人口ですが、総人口約4300万人、65歳以上の高齢者人口割合は41%だそうです。
なんと人口が3分の1になって、逆に高齢者の割合は倍になり、社会の高齢化はより深刻化している。
量的変化は質的な変化を引き起こすといいます。
3分の1に縮小した将来の日本の国力、影響力は、それ以上に縮小すると考えるべきでしょう。
今の日本とは似ても似つかない、別物の日本になっているのかもしれません。
むろん一個人がそんな先まで心配しても仕方ないですが、そこまで考えるべきなのが政府なんですけどね。
「地方消滅 - 東京一極集中が招く人口急減」
これまでも度々取り上げた人口減少がテーマの本です。
人口減少に関心を持って以来、予測通りというかむしろそれ以上のテンポで問題は深刻化していることがわかります。
著者はそれぞれ違いますが、扱う対象が東京か地方かというだけで、予想される将来像に特別な違いはありません。
あと10年もすれば地方が荒廃し、後を追うように東京も劣化して、日本社会の貧困化が加速する。
これはもはや止めようのない現実であり、限られた政策手段で、何とかショックを和らげるのが今後の政治課題だ。
本書は大づかみに、そんな感じのトーンで綴られています。
まるで先の大戦における敗戦処理を語っているようで、楽しい話じゃないですね。
以前ならばオブラートに包んだ表現だったところが、それでは充分に理解されないためか、けっこう厳しい論調になっています。
なにしろ歳を取ると、どなたも年金と健康のことしか関心が向きませんし、難しいことはお上任せになってしまいますから。
だからこそ印象に残るような表現が必要なのでしょう。
私が危惧するのは、そんな高齢者が支配的になると、何とか社会を変えたいという機運さえ摘み取ってしまわないかということです。
たとえば東京の65歳以上の高齢者は、あと20年で50%以上増加する見込みです。
そうなったときに、果たして適切な世論が形成され、有効な政策が打てるのか、はなはだ怪しいというかとても無理じゃないでしょうか。
「東京劣化」の著者の10年前の本、「人口減少経済の新しい公式」も読み返しました。
読んだ当時、色々と参考になる記述が多く、マーカーとメモ書きでひどく汚れています。
マークした箇所だけ拾い読みすると、「雇用形態の多様化」「貯蓄から投資」とかその他いろいろ、当時の課題が現在の政策になっていることに気づかされます。
その中で、一つだけまだ政策になっていないものがありました。
老後の生活設計は「自己責任」で、という指摘です・・・。
さて、どうのこうのと言ったって、団塊の世代が退場し混乱が収束すれば、いくらなんでも100年も経てば普通の国に戻れるでしょ、と明るく思われるかもしれない。
その100年後の推計人口ですが、総人口約4300万人、65歳以上の高齢者人口割合は41%だそうです。
なんと人口が3分の1になって、逆に高齢者の割合は倍になり、社会の高齢化はより深刻化している。
量的変化は質的な変化を引き起こすといいます。
3分の1に縮小した将来の日本の国力、影響力は、それ以上に縮小すると考えるべきでしょう。
今の日本とは似ても似つかない、別物の日本になっているのかもしれません。
むろん一個人がそんな先まで心配しても仕方ないですが、そこまで考えるべきなのが政府なんですけどね。
2015年8月17日月曜日
細かいことは、いいんだよ
今回で5年目になる梅干しつくり。
手探りで始めましたが、さすがに勘所も分かって、自己流のアレンジで気軽に作れるようになりました。
美味しい梅干しを作るには、なんといっても梅干しに適した良い梅を手に入れることに尽きるのですが、素人にはこれがけっこう難しい。
あちらこちらの店で探し回り、これだと思って目一杯買って、その直後にもっといい梅が出たりするともう後の祭り。後戻りできない悔しさだけが残ります。
だから、一気に全部漬けようとはせず、とりあえず良いと思えるのを少量ずつ買い求め、それぞれを順々に漬ければいいという結論に至りました。
うちは年間4キロは消費するので、つまりチャンスは少なくとも4回あります。
熟し加減や、サイズ、値段を観察しながら、シーズンの終わりに向けてじっくりと買い進みます。
どこか打席に立ったバッターの気分です。
今年は梅の出来が良くなかったのか、いつもの和歌山産の値段が高止まりし、おまけに数量も少なかったため、納得できるものを集めるのに苦労しました。
加えて去年の価格に過剰に拘ったため、今年にしてはいいボール(梅)がきたにもかかわらず、見逃してしまったのが痛かった。
もちろん監督には、こっぴどく叱られましたけどね(笑。
天日干しもスケジュールの都合で、ずいぶんと遅れてしまいました。
所詮は素人作業なので、細かいことは気にせずに、完全なものを作るより、作る過程を楽しもうという姿勢で取り組みます。
どんなにがんばっても、それほど出来に違いはないように思えますし。
というわけで、昨年同様おいしそうな梅干しができあがりました。
2015年8月16日日曜日
ふたりの父
昨夜「父親たちの星条旗」という映画を見て、あらためて自分たちの父親の人生を振り返ってみました。
私と妻の父は、どちらも同い年生まれです。
私の父は三男坊でしたが、早い時期に父親と長兄を戦争で失いました。
村で最初の犠牲者だったため、祖父はとても大きな墓を建ててもらったと言うことです。
本来だったら、家には学校に行かせる余裕などなかったのですが、教育熱心な叔父の説得で進学できたそうです。その叔父もほどなくして戦死してしました。
終戦当時は旧制中学に在学中でしたが、食糧不足に悩まされ、更には学徒動員に駆り出され満足に勉強もできなかったといいます。
当時のことは、家族には話したがりませんでした。思い出したくない辛い記憶でしょうから、私もこの話題にはあえて触れませんでした。
ただ一度何かの話の折、動員先が長崎造船所で、敷地の中には九州各地の学校の宿舎が並んでいた、とだけ話してくれました。
幼くして父親を失った義父も、同じような体験をしました。
生家が農家だったため、幸い食料には苦労しませんでしたが、やはり学徒動員で軍需工場に送られたのは非常に辛い経験だったようです。
工場は空襲で多くの犠牲者を出しているのですが、そのあたりの話はさりげなく避けてました。
二人の父たちは、多感な青春時代に戦争の惨禍を体験し、戦後それぞれに苦労を重ね、懸命に働いて家族を守り抜きました。
私たちはときおり、今は亡き父たちの懐かしい思い出を語り合います。
生まれ育ちも性格も、仕事も全然違う父たちでしたが、ただ一点、ともに大変な子煩悩でした。
私たちの幼い頃は、よく勉強を見てもらったり、遊びに連れて行ってもらったりと、今思い出してみても、あの忙しい中をどう時間を遣り繰りしていたのだろうと不思議なくらいです。
おそらく父たちは、子供の頃持ち得なかったふつうの家族の幸福を渇望し、それを全力で実現しようと努力したのでしょう。
そして、私たちの父と同じような戦争体験をした何百万という父や母たちのささやかな夢が一つとなって、焼け野原の日本に平和で豊かな社会を築き上げました。
平和憲法があったから日本の平和が守られたのではなく、このような無名の人たちの家族を守りたいという懸命の努力が平和と豊かさをもたらし、その結果として憲法が守られ続けたのです。
決して原因と結果を取り間違えてはならないと思います。
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