2016年6月25日土曜日

寄り道

今回の旅行で、どうしてももう一度訪れたい場所がありました。
それは奥琵琶湖を抜け、ひと山越えて、ひっそりと隠れるようにある小さな湖
自転車旅行の途中にほんの一時休憩しただけの場所でしたが、あまりにも静かで神秘的な雰囲気に、ずっと戻ってきたいと願ってました。

場所が場所だけに、よほどの機会がないことには行くことはないと諦めてましたが、今回は都合よくクルマだったので、思い切って寄り道してみました。


京都を出発して約2時間、不安になるくらい狭い道をたどって、湖畔の思い出の場所に到着しました。

前回は晴れ渡った晩秋でしたが、今回はしっとりと雨上がりの湖畔風景です。
朝ということもあってか、やはり誰ともすれ違いません。


湖の中程に、漁をする人の小舟が一隻浮かんでいるだけです。
明るいあじさいが、湖畔の風景に映えて美しい。


 その後、東京に戻る途中に食べるため、町でお昼代わりのパンを買い求めました。
通の間では、結構有名かもしれない素朴な味わいのパンです。




短い滞在でしたが、行ってよかったです。

2016年6月24日金曜日

雨の日の小旅行

9年ぶりの京都散歩。
前回は北区周辺を散歩したので、今回は左京区にある銀閣寺界隈を歩きました。
かつて学生時代に住んだところなので、町のあちらこちらに思い出が染みついてます。
とは言うものの、その当時通った飲食店はすべてなくなってしまい、お世話になった銭湯や古本屋も消えてます。
変わらないのは学生の多さと、観光名所くらいでしょうか。



毎日通った哲学の道。


大雪の日の朝、下宿の人たちと雪景色を見に行ったのが最初で最後だった銀閣寺。
今回は雨の降りしきる中での訪問です。



当時と違うのは、観光客のほとんどがアジアの若者たちだったということ。アジアは驚くほど豊かになりました。
あの頃の観光客、外国人は非常に珍しく、いわゆる「アンノン族」の女性たちが中心でしたね。


銀閣寺の後は、岡崎公園の美術館に行き、近くの喫茶店で一休み。
今じゃ死語ですが、ときおり暇つぶしに入った「ジャズ喫茶」。
ここは当時から営業している、ほとんど唯一の老舗ジャズ喫茶です。
建物自体は新しく建て替わってましたが、店内の様子はそんなに変わっておらず、ちょっと感動しました。
ただ、当時の客は学生ばかりだったのに、今は落ち着いた中高年の和みの店に。時間は静かに流れていきます。



そして夜。
ホテルのコンシェルジェに探してもらった「おばんざい」を出す店で晩ご飯。


なにせ関西人ですから、疲れたときはこういう薄味な野菜料理が、たまらなく旨い。
好物、冬瓜の煮物です。


2016年6月11日土曜日

梅仕事、はじまりました。


どこの梅が良いのか実際は知らないですが、初心者としては取りあえず有名どころを使っていれば安心だという感覚で、例年、南高梅を使って梅干しにしています。
ところが今年は、産地で雹の被害が大きく、梅の供給がタイトだという噂を耳にしました。

シーズン開始そうそう、悪い知らせにちょっと緊張しますね。
それで今月に入ってから、マメに店頭を覗き、出荷の具合を確認していました。
あまりに高いならば、関東周辺の梅でもと思っていましたが、特に例年との違いはないようです。
記録を見返すと、むしろ去年の方が高かったみたい。

そして週末の夜、たまたま入った店で熟し始めた梅がうれしい値段で並んでいるのを発見。
去年は粘りすぎて買い時を微妙に逸した反省があって、今年は即断即決でまとめ買い。

さっそく獲物をザルに並べて、追熟に入りました。
これから梅仕事の始まりです。
私にとっては、1年でもっとも楽しい時期であります。


2016/06/12 追記


この二日間、天候に恵まれて、あっという間に色が変わり、嗅覚が変になるくらい甘い香りを放っています。
これ以上放置すると、すぐに変色しちゃうので、予定を切り上げて今日中に塩漬けします。
いつもの年より慌ただしい梅仕事です。


2016/06/17 追記


今年はいつもより梅の分量が多く、一度に塩漬けできない事態になりました。
仕方なく、熟れた順番に何度かに分けて漬け込みます。
ガラス瓶のやり繰りに知恵を絞って、何とか2個に収まりました。
梅酢も順調に上がってきて、あとは土用干しを待つばかりに。

楽しみは、まだまだ続きます。

2016年6月6日月曜日

災害と住宅

災害と住宅について、強く共感できるブログ記事が出てました。
http://www.tachibana-akira.com/2016/06/7247


私の故郷では、21年前の震災で、多くの人が家を失いました。
その中には、運悪く、やっと手に入れた新居で、初めての正月を祝った家族もありました。
しかしその人たちの幸せは震災で一瞬にして崩れ去り、後には支払いの終わっていない巨額のローンだけが残ったのです。
このような事実は、当時の自分にとって強烈な教訓となりました。

損壊したのが戸建てならば、資金さえあれば再建は比較的容易でしょう。
しかし集合住宅の場合、全壊ならまだしも、一部損壊の場合では、住民の利害関係が複雑に絡みあって、合意形成は困難を極めます。
集合住宅は、居住者の年齢、財政状態、価値観がばらばらのため、建て替えにせよ、補修にせよ、すんなりとは決められず長期間不安定な生活を余儀なくされるわけです。

#当時の状況を描いた本として「震災ファミリー」が参考に。
http://www.heibonsha.co.jp/book/b162204.html

このような状況を伝え聞き、私は愛着のあったマンションを引き払い、賃貸に住む決断をしました。
一つには、そのマンションが古い耐震基準であり、しかも地震に弱い形状をしていたので、いざという時に非常に危険だったからです。
そうでなければ、また違った判断があったかもしれません。

あれから20年がたち、これまで支払った家賃の総額はかなりのもになりました。
いっぽう以前の部屋は、人気のある場所にあるので、古くはなっても当時からあまり値段は下がっていないみたいです。
いまでもその建物の前を通ることが多く、ときおり懐かしい部屋を見上げることもあります。
そしてあの決断は正しかったのかと、自らに問いかけます。

でも、支払った家賃が勿体ないという感覚はありません。
むしろ、持ち家幻想から自由になり、どのように暮らすべきかという大きなフレームの、その一部分の問題として、住宅問題を柔軟に考えられるようになったことは収穫でした。

もちろん持ち家が嫌だというわけでなく、むしろ条件が合えばいつでもという気持ちがあります。
しかし、今この瞬間にも巨大地震が起きても何ら不思議はないという状況では、今後予想される地震が通り過ぎるまでは、いくら欲しくたって、持たないという判断が無難じゃないか。
少なくとも一般論として、過大な借入れを前提とした住宅の取得は、極力避けるべきではと思う。

更には、仮に地震が起きなかったとしても、こんご人工知能の高度化によって労働環境が激変する可能性や、国力の縮小による経済状況の悪化など、2,30年はおろか10年先でさえ不透明なこの時代に、長期間の安定的な収入を前提とした経済的決断は、個人にとってあまりにリスキーです。
少々肩身は狭いものの気楽な賃貸暮らしの方が、地震保険なんかより、これからの時代、何よりの保険になるのじゃないでしょうか。

それでも諦めきれないなら、上記ブログにも示唆がありましたが、家の代わりにREITでも買って、家賃代わりの配当をもらい大家の気分を楽しむのも一手かもしれませんね。