葉物野菜が高く、その代わりに根菜の料理が頻繁に登場した2月はもう終わり。こういう時だからこそと思い、ゴボウ、大根にレンコン、ニンジン等々、手を替え品を替えいろいろと料理した。そしてもう根菜にも飽きてきたころ、ようやく値段が落ち着いてきて、金曜の夜は久しぶりに野菜を大人買い。
量が多すぎて一度では食べきれないので、半分は干して翌日に持ち越し。瑞々しさを味わう場合はサラダで、うまみを引き出す場合はちょっと干して煮物や漬け物にするのが流儀である。ひと手間掛けるだけで、全然味が違うのだ。
それにしても、いつの間にかじわじわと、食料品の値段が騰がってしまって、安いのは賃金だけになったような。細かいようだが、すこし以前は千円札一枚で買い物の用は十分に足りていたのに、今では全然追いつかない。ひょっとすると、すでにスタグフレーションは始まっているのか。
ニュース番組で、高騰する食料価格に対処するために、価格統制が必要だという人がいたが、そんなことしたら農業に携わる人がいなくなるではないか。安いときは大歓迎で、高くなると価格統制とは、なんともムシのいい話。そういう安易な発想が、いつまでたっても健全な農業経営が根付かない原因となっている。おまけにそのコストは、結局は消費者の負担になるのに。
ちなみに日本では供給される食糧の4分の1近くが廃棄されているそうだ。つまり、まだまだ食料価格は値上げする余地があるということ。それが嫌なら、飽食を止めて、必要な分だけ食べればいい。需要が減れば、値段も自ずから下がるだろうに。そんなこと考えているうちに、むしょうに腹が立ってきた。
2011年2月26日土曜日
2011年2月19日土曜日
パン屋通い
風景
安定を得たければ、変化を避けてはいけない。もし今、平穏ならば、自分から混乱の中に入っていく必要がある。安定した仕事に就き、家を持ち、暖かな家族に囲まれて暮らすのは、誰しも望むところだが、その代わりなにかしら大きな代償を払っているものだ。
仮に代償を払っていないなら、これからそうなるかもしれない。もしかすると見知らぬ誰かに、そのツケを押しつけていることを心配すべきだ。自分にとって都合のいいことは、何かの犠牲によって実現されている。謙虚であるべきだ。
世の中には、心の平穏を得るために、一切の欲望を捨てて、ひたすら人々の幸福を祈る人たちがいる。すべてを得るためには、すべてを捨てなくてならない。もし得たものがあれば、それは誰かに与えなくてはならない。何かを失ったならば、決して嘆くことなく何を得たかを考えるべきだ。
2011年2月18日金曜日
ぴったりの辞書
ドイツ語は読めないけど、分かるといいなと思うことが多く、ちょっとした調べものに適当な辞書を探していた。だけど本屋にあるのは奇妙な色合いのビニール装の辞書ばかり。内容がどんなに優れていても、それが外見に反映されていなければがっかりだ。とくにビニール装は、いつまでも手に馴染まないので嫌い。
そして最近、図書館のリサイクルコーナーで、とてもシックな辞書を見つけた。それが岩波の「独和辞典」。大きさは文庫本より少し大きく、装丁はモスグリーンのクロス装。厚みといい、重さといい、ちょっと持っただけで内容の充実が伝わってくる。初版は半世紀ほど前の古い辞書だが、単語を引くだけなので実用性は大丈夫。語彙の成り立ちなどが丁寧に説明されていて、むしろ読み物として優れてると言えるだろう。
今は電子辞書が主流と言われる時代だ。だとしたら、従来的な辞書の価値には、情報の豊富さだけでなく、それ以上に感覚的な「辞書を持つ喜び」が重視されるべきだと思う。ある種の玩具や楽器のように、傍にあるだけで心が満たされるような、そういう美しい辞書があるといい。
2011年2月5日土曜日
ドみそ♪ドみそ♪
2011年2月4日金曜日
料理三昧
酒量を減らし、読書する時間を増やした。自転車で出かけていた場所に、歩いて行くようになった。それから、アブラっ気の多い料理を少なくして、豆と野菜主体の薄味の料理を作るようになった。何も変えたくないという年老いた社会だから、せめて自分だけはじゃんじゃん変わっていきたい。
野菜や根菜、ちょっと珍しい豆類などを、自在に料理する本を見つけた。無国籍風ベジタリアン料理とでも称するのだろうか、普段は考えもしない意表を突く組み合わせが刺激的だ。そのレシピをお手本に、自分好みの味を作って遊ぶ、これが目下週末の楽しみである。
先週作って好評だったひよこ豆のサラダ。こっくりとした風味で、食べ出すと止まらない。ご飯にもパンにも合うし、もちろん酒の友にもグー。しばらく豆料理を極めてみようか。
登録:
投稿 (Atom)
-
40年近く前の頃だが、日本で最初に発売されたパソコンで、戦争ゲームを楽しんでいたときがあった。パソコンゲームと言っても今のような動画を楽しむものでなく、むしろ将棋ゲームに近い戦略ゲームと言ったようなものだ。ゲームの内容は、歴史上実際にあった有名な戦争を下敷きに、プレイヤーがどうや...
-
「 日本の「安心」はなぜ、消えたのか 」 山岸敏男 安心社会の原理とは、固定メンバーの相互監視によって集団規律を維持し、安全コストを最小限に抑えようとする社会原理。相互監視という機能に依存するので、リスクをとって他人を信頼する必要がない。ただし、他者を排除する必要があるので、...