2009年11月13日金曜日

新しい消費者

物はあまり買わず、借りたり、もらったりして済ませる。不要な物を買うことに抵抗があり、物をため込むことが嫌い。
手仕事をしたり、手作りすることが好き。既製品であっても、自分の好みに手を加えたりする。
衣食住を疎かにしない。過度に家電製品に依存せず、エコな生活を好む。

これは「シンプル族の反乱」という本で挙げられていた、新しい消費者の生活スタイルだ。ここ数年、消費が伸びない原因として、勤労世帯の収入減少が指摘されるが、そればかりでなく、人々の価値観の変化も見逃すことが出来ないといわれている。そこに焦点を合わせ、さきの特徴を持つ新しい消費者の、価値観や生活スタイルを分析したのが本書である。

一読して、やはりそうなのか、という印象。普段からつきあいのある姪は、運転免許を持っているのに、クルマやドライブにはまったく関心がない。おまけに電化製品が嫌いで、一人暮らしを心配する両親が押しつけるのを渋々使っているだけで、自分からは買おうとはしない。しかし決して不精者だというのではなく、自炊を好み、しっかりとアルバイトをして、時間があれば海外を一人旅している。親よりずっと物欲が少なく、堅実で、そして自由。まさに「シンプル族」の典型なのである。

著者の経歴を見ると、絵に描いたようなバブル世代。この世代は、買い物が快楽と結びついている傾向が強い。そのせいなのか「シンプル族」の気分が掴みきれていない。たとえば、「シンプル族」はユニクロや無印が好きと分析するが、「好き」というよりは、品質や価格からみて、消去法的に選ばれているだけというのが実情だろう。したがって、ユニクロや無印の商品と競合するは、押し入れに死蔵された古着や友達からの貰い物であり、物置に眠る古いストーブだったりする。そして困ったことに、むしろそういったモノたちの方が、彼らにとってはずっと魅力的なのだ。

買うことが「ハレ」でなく、借りたり、修理したりすることが「ケ」ではなくなった人たちを、大量消費社会の論理で理解するのは難しい。「シンプル族」というネーミングに違和感を覚えるのは、モノの消費という軸を中心にしているからだ。シンプルにするのが格好いいから、そうしているのではない。むしろこれまでの浪費社会に対する、消費者の無意識の揺り戻し現象と理解する方が素直だ。冒頭の生活スタイルについても、普通の生活者なら程度の差こそあれ、誰しも意識していることだろう。つまり、人々の考え方が正常化しつつあるだけで、これまでがちょっと変だった、というだけのことだと思う。

HDDレコーダーとミュージカル映画



テレビの録画装置を買い換えた。近頃はやりの、チャンネルがたくさんあって、ハードディスクに録画する方式のもの。いろいろと便利な機能がついて、あれも出来るこれも出来るで、使い方を飲み込むまでが一苦労だ。外見は、典型的な日本の家電デザイン。もしかすると高級感を演出したかったのかもしれないが、それがかえって目障りだ。人目につく場所には置きたくないので、これまで通り長椅子の下に潜り込ませた。ビデオデッキの時はテープの入れ替えが面倒だったけど、これからはそういう作業もないのでとても好都合。

で、問題はリモコンである。狭い部分にボタンがびっしりと並んで、その周囲に細かい文字が印刷されている。なので、暗がりで見ると何が何だか分からない。テレビを見るのはもっぱら年配者だけなのだから、もう少しリモコンのサイズを広げ、ボタンや文字を大きくして使いやすく、そして作りも丈夫にして欲しいものだ。こういうものこそユニバーサルデザインなんだけどね。

そして今夜、初めてハードディスクで予約録画を試してみた。録画した映画はフレッド・アステアとシド・チャリシーが競演した傑作ミュージカル「バンド・ワゴン」。再生された絵は綺麗だし、音も鮮明で、ちょっと感激である。そんなことより、わたしは以前からシド・チャリシーの大ファンで、久しぶりに彼女の素晴らしく切れ味のいいダンスを見て、なんだか目頭が熱くなる思いだった。それで思い出したことだけど、その昔、最初にビデオデッキを入手した際に、初めて録画した映画が偶然にも、同じフレッド・アステア主演の「パリのアメリカ人」だった。他人にはミュージカルなんて下らないと言いながら、節目節目に録画した映画がそれなんだから、かなり屈折したミュージカルファンなのである。

2009年11月8日日曜日

革手袋

学生の頃から愛用していたスウェードの手袋が駄目になって、近所のユニクロに代わりを探しに行った。何種類かあった手袋をチェックしてみたが、どれも安いことには安いのだけど、それを人前に晒すには少々抵抗を感じる品質だった。もちろん実用性には問題ないのだろうが、革製品というものは趣味性が強いため、あまり割り切ったものを身につけていると都合の悪いこともある。特に手袋のように、人の目につきやすい小物は、それなりに気を遣った方がいい。

時々、カバンはとんでもない高級品を持っていながら、同時に手袋は貧相なものを身につけている女性がいるが、それはやっぱりバランスが悪いと思う。男性の場合でも、高価な時計と安物の靴という組み合わせにもよく出くわす。しょせんは趣味の問題とはいえ、どうせ同じお金を使うなら、その逆の方がよほど格好よく見えやしないだろうか。同じ消耗品でも、時計やカバンなんかより、大人にとっては手袋や靴といった革製品のほうがずっと大切だと思うのである。

ちょっと以前のものだが、ニューヨークのストリートギャングを描いた「ウォリアーズ」という映画があった。その中で地下鉄に乗ったチンピラの女の子が向かいに座っていた中産階級の女の子の靴を見て、思わず自分のみすぼらしい靴を引くという、とても切ないシーンがあった。この映画の中でも特に印象的なシーンなのだが、ただの靴が、いかに社会的な地位を象徴しているかが分かる部分だった。

結局わたしは、割り切った印象のあるユニクロの手袋は買わなかった。それを身につけるくらいなら、いっそ素手の方がましだろうと感じたからだ。ただ、それでは辛い日もあるので、気に入った手袋が見つかるまではアウトドア用の手袋でやり過ごそうと考えている。写真は、かれこれ20年近く使っている革手袋。何年かに一度は、専用シャンプーで洗い、ミンクオイルを補給して手入れしている。車やバイクの運転時にはめたり、日曜大工や料理の際にも使える優れものである。そうはいっても、特別におしゃれをする日には、それに見合った手袋が必要であるのは、むろん言うまでもない。

2009年11月4日水曜日

月夜の散歩


日が暮れて、夕食の買い物を兼ねて妻と散歩する。外に出ると冷え冷えとした空気が頬をなで、そして低い町並みの上に、輝くように美しい月が出ていた。線路脇に咲いているキバナコスモスが、明るい月の光を浴びて花を揺らしている。「きれいだね」、「うん、ちょっと怖いくらい」。ちょうど道をすれ違った若いカップルが、やはり同じように月の話をしながら通り過ぎていった。その瞬間、心のシャッターが静かに切れた。どうあがいても、2度と体験することのないこの一瞬、記憶の中で次第に薄れ、流れていくこの時間を、わたしは幾分悲しい気持ちで見送った。

なぜ繰り返し同じ映画を観るのか。そこには、捕まえたくとも叶えられない永遠の一瞬が、鮮やかに記録されているからだ。それは架空の一瞬であるにせよ、わたしの記憶の中では確かに存在した時間である。映画を観ることで、自分の人生の一部となった時間が、繰り返し再現されるからである。たとえば「お早う」のエンディングで、佐田啓二と久我美子が駅のプラットホームから冬の空を見上げて会話するシーンに魅入られて、そのためだけにこの映画を何度も観た。劇中で二人が見ている冬の空を、同時にわたしもまた満たされながら見ている。わたしにとっての映画を観る喜びは、そこに尽きるのである。

2009年11月3日火曜日

私的通信革命史

予定していた旅行の日程がほぼ決まり、この数日はホテルの予約作業を行っている。もちろん、すべてEメールでの通信なので、打てば響くという感じでサクサクと用件が済む。しかし10年くらい前までは、ファクシミリでのやり取りも普通で、お互いに今よりずっと暢気に構えていて、ホテルに予約の申し込みをしても、直ぐに返事が来るとは期待していなかった。申込みをしてから数日後の深夜、こちらがようやく寝た頃に、いきなり電話が鳴り響き、夢うつつでファクシミリの受信音を聞きながら、やれやれという感じで再び寝入ったものだ。

確かにEメールは便利なのだが、わたしは未だにファクシミリの方が安心できる。というのも、まったく見知らぬ相手がどういう人なのか知りたいという時に、ファクシミリの手書きの文章から、結構色々な事柄が読み取れるからである。殴り書きの文章より、丁寧で美しい文字を書く人の方が、やっぱり誠実な人柄が滲み出るものである。だが、国際電話の料金を考えると、やはりEメールが好まれるのは当然である。

ずっと以前、わたしが就職した頃はまだテレックスというものがあり、タイプライターのような端末で、料金節約のために単語を縮めた電報文のようなやりとりをしていた。そして毎晩、10時を過ぎる頃から海外からの情報が入りだすので、その前にテレックス専用紙をセットして退社するのが日課だったと記憶している。しかし、それも僅か数年で終わり、すべてファクシミリ通信に置き換わってしまった。さて今はどうなっているのだろうかと好奇心で調べてみると、5年ほど前にテレックス通信は廃止されていたことが判明した。不便な割に、テレックスは意外に長い寿命を保っていたのである。

大昔、遣隋使や遣唐使の時代には、手紙のやり取りに何年も掛かっていたという。そして命がけだった。近代に入り、国際郵便が整備された頃でも、船便で数ヶ月掛かっていた。しかし、そこからの進歩は驚くべきものだった。たった50年ほど前は、電話がない家も珍しくはなかったのに、今は町中を歩きながらでも、ポケットから名刺入れほどの携帯電話を取り出し、何千キロと離れた人と会話するのもありふれた光景である。このわずか4分の1世紀程度で、私たちは、ほとんどお金を掛けることもなく、瞬時に情報交換が出来るようになった。これまでの長い歴史を振り返ると、私たちは文字通り情報革命のまっただ中で暮らしている。そのような変化を、当たり前のように自然に受け止めていたが、よく考えると、本当に凄い時代に生きているのである。

2009年11月1日日曜日

素白の随筆

京急は、これまでほとんど縁のない電車だったが、羽田空港行きが出来てからは頻繁に利用するようになった。品川付近の高架を走る車窓からは、多くの寺や墓地が密集しているのが見え、東京という現代都市の中で、そこだけ取り残されたかのような違和感のある空間が広がっている。それは昔、鮫洲の運転試験場に行ったときにも強く感じられ、駅前から続く狭い道の両側に代書屋が軒を連ねて盛んに客引きをするようすが、どこか地方の温泉町を連想させる光景だった。鮫洲の街は、自分の知っている東京ではなく、どこか別の時代の、奇妙で不思議な空気を感じさせる場所だった。

岩本素白の随筆集「東海道品川宿」を読むと、その奇妙で不思議な空気の理由が察せられる。ここは明治のはじめまで江戸の境界にあって宿場町として栄え、その陰には女郎屋があり投げ込み寺があり、歌舞伎や落語で語られるような様々な人生の悲喜劇が見られた場所だったのである。素白は、ここで少年期を過ごし、卓越した記憶をもとに当時の品川宿の暮らしや風俗を詳細に描いている。本書を読んでいると、品川宿の記憶が蜃気楼のように立ち上がり、現代と過去が二重写しに見えてくる気がする。たとえばローマのように歴史が物理的に露わになっているのとは違い、品川宿は表面上の痕跡をとどめていないからこそ、むしろ土地の湿気やニオイに敏感になる。隠されているから、隠れたものに気づくのである。

岩本素白は、知る人ぞ知る名随筆家である。残念なことに寡作の人であったらしく、現在入手できる作品は意外なほど少ない。しかし、そのどれもが「珠玉」という表現に相応しく、まさに人生の友として読み継がれるべき随筆である。久々に読書の喜びを与えてくれた本として、この読書の秋に、素白の最高傑作と言われる「東海道品川宿」を強く推したい。