2012年6月25日月曜日

豆ごはん


週末の朝、いつもより早起きして豆ごはんを炊きました。じつはこれ、わたしの大好物なんですが、肝心のグリーンピースがなかなか手に入らなくて、滅多に食卓に上りません。以前はシーズンになると、いろいろと料理して楽しんだのですが、どういう訳か近頃は見かけないのです。行くとこに行けば豊富にあるのでしょうか。

豆ごはんの時は、しっかりと味を楽しみたいので、おかずは必要としません。わたしには味噌汁と漬け物があれば十分です。季節柄、今は白ウリの漬け物が良いですね。豆ごはんは薄味で、白ウリはちょっと塩味を効かせたぬか漬けでいただくと、もうそれだけで幸せです。

今日、いつものスーパーに立ち寄ったら、梅の売り場に「今年最後の入荷!!」と、値札に書き込まれていました。どれもいい具合に熟した梅でした。グリーンピースが終わり、梅も終わり、もうじき夏ですな。冬瓜が出ていたので、今週末にでもチャレンジしてみましょう。

2012年6月23日土曜日

電気使用量と、ちょっと思うこと


子供の頃に、「絶対」という言葉を使うなって、注意されませんでしたか。絶対に許せないとか、絶対反対とか、そういうことを言うといつも叱られました。だから、いまだに安易に「絶対」を使うのには抵抗があります。

とくに居心地悪く感じるのは、誰も表だっては否定できない価値を前面に押し立てて、一定の主張をする場合です。たとえば「平和を守る」とか「命を大切にしたい」とか、それは「正義」という名の「絶対」です。そしてこれらが具体的主張と結びついたときに、例外を許さない小児的独善となり、それってファシズムとどう違うのかと、強い違和感を覚えるのです。

日本の国は、明治維新以降、最大の危機に直面しています。いくつもの巨大で複雑な難問を突きつけられ、しかも解決の手本がなく、運悪く時間的余裕すらない。そんなピンチに追い込まれた際に大切なことは、できるだけ選択肢を残しておくことです。可能性ある選択肢を残し、たとえ降伏する場面でも、助かるものは少しでも助けて、次に繋げなくてはならないのです。

このような時に、例外を許容しない「絶対」という言葉は、自己の立場にこだわるあまり、意志決定の柔軟性を奪い、ひいてはすべてを失う結果を招く危険がある。くわえて、正義を主張する人たちは、往々にして問題の解決よりは、むしろ正義を主張する自己にしか関心がないようにすら見えます。正義という名の絶対の前では、複雑な問題の解決は不可能ではないでしょうか。

--------------------------------------------------------

今月の電気使用量、148kWh。前年度比16%減。一昨年度比では34%の減少。季候の良い今の時期は無駄を省くだけなので節電も楽ですが、暑くなるこれからは汗と我慢も必要になるので大変です。

2012年6月18日月曜日

滑り出しは順調


梅雨というのに、あまり雨降りません。それに霧を見ることもなくなりました。ときおり妻とも話すのですが、今の子供は、霧の中で鬼ごっこする楽しさを知らないでしょうね。その代わり、激しい雷雨が増えたり、大量の雹が降ったりと、天候が凶暴になってきました。以前のようなグズグズ、ジトジトと間断なく降り続く梅雨が恋しいくらいです。


この週末は梅仕事の続きでした。買ってきた梅を熟成させ、塩をまぶして水分を出します。去年はあまり良い梅を見なかったのですが、今年はかなり出ています。値段もこなれてます。写真は、熟成中の様子と、水が上がった現在の様子。今年の仕事は去年より約1週間早いのですが、取り敢えず、滑り出しは順調です。

2012年6月10日日曜日

やっと買えたよ



この半月ほど、梅干し用の梅を買うタイミングを計っていたのですが、今日やっと買うことができました。値の張る高級品を取り寄せて、というのは趣味じゃなく、普通に良いものをリーズナブルな値段で、あとは手間をかけてなんとかするというのが流儀。運悪く失敗しても、凹まないで済みますしね。

これまで売り場で幾度か見かけた人がいて、かなり年配の紳士ですが、わたしと同じく梅の出来具合を観察している様子。その人とは昨夜も鉢合わせになったのですが、ようやく満足のいく梅が出たのでしょう、一気に何キロも買い求めていました。「うむ、奴め勝負に出たな。しかし、オレはまだまだ、もうちょっと我慢だ。」そして今日、朝一番に店に行き、店員さんと梅の話をして、取り敢えず予定量の半分だけ調達しました。そして更に安くなったら、残り半分を。勝負師は狐の如く用心深い(笑。

ポリ容器に入った梅の包みを開けると、甘酸っぱい香りが立ち上ります。梅の粒をひとつひとつチェックして、竹ザルに広げて並べました。さて、楽しい梅仕事の始まりです。

2012年6月6日水曜日

深夜の映画談義




行きつけの飲み屋で、珍しく映画の話題で盛り上がりました。きっかけは隣席の客の、「高校の頃は学校をサボって映画館に行って、ATGの映画なんかよく観たなあ。」という一言。これまで親しくしていたわけでなかったのですが、互いに印象に残った映画のシーンや台詞を話していると、旧知の仲のように打ち解けてしまいました。そうこうする内に、店のマスターやカウンターの遠くに座っていた客にまで話の輪が広がり、そのまま閉店まで楽しい時間を過ごすことが出来ました。

輪に加わった人たちはみんな、果てしなく続く不況の中で、家族を抱えて懸命に生きるおじさん達ですが、こと映画や音楽の話になると夢中になってしまいます。「大脱走って映画あるでしょ。」「あっ、いいな。」「晩飯の後、テレビで何気なくやってるわけ。それで、こっちは何度も観てるのに、結局最後まで付き合ってしまって、もうくたくたに疲れてるのにさ。」「その手の映画って、いつもそうですね。」「いやあ、まったく。」という具合で、いい年して宿題を終えていない小学生とぜんぜん変わりません。

ATGの映画、リストを改めて確認すると、かなり観てました。テレビ放映されにくい作品が多いのですが、不思議とよくカバーしてます。もっぱら10代から20代にかけてですが、よほど暇をもてあましていたのでしょう。高校生のころは、大学の自主上映のホールに紛れ込み、癖の強い映画を飽きずに眺めていたものです。見直したい作品が多いのですが、残念ながらそういう機会に恵まれません。

2012年6月4日月曜日

自分のことは自分で、ね。


格安航空会社(LCC)のひとつ、スカイマークのサービスコンセプトが反響を呼んでいるようです。その内容に違和感はなかったのですが、思いのほか強い拒否反応を示す向きもあります。そうでない人たちも、安いのだから仕方ないという、消極的な賛同が多い。つまりお金の掛かる大手航空会社の場合だと、そういうのは許せないというわけでしょうか。

「丁寧な言葉遣いをしない」、「文句は聞きません」、「手荷物の上げ下ろしは自分で」とか、そんなの客の立場からしても当たり前でしょと思う。JALやANAの利用者からすると違和感あるでしょうが、外国の航空会社だとLCCじゃなくても概ねそんな感じですね。不親切というわけでなく、必要なことはちゃんとするがそれ以外のことはご免なさいという、いわばさっぱりしたサービス。先のサービスコンセプトも、表現の仕方には工夫が必要と思いますが、運用実態として非常識とは思わないです。

スカイマークを批判する人たちの意見を読んでると、現実に利用した経験がないように思えます。わたし自身は幾度かあるのですが、取り立てて不満を持ったことがありません。搭乗時間の短い国内線ですし、それにサービス業としては常識的な線なので、空飛ぶ乗り合いバスと考えれば上等の部類ですね。

じつは飛行機に乗り始めた頃に何度かJALを利用したのですが、それ以降はぜんぜんありません。サービスが悪いからじゃないんです。ごく少数の乗客の質が悪くて、不愉快な思いをすることがままあるからです。「金を出している客なのだから」という卑しい気持ちがあるからでしょう、躾のなっていない子供じみた態度を見ていると、たとえ自分とは無関係でも腹立たしくなります。ときおり週刊誌ネタになった、乗客がゴネて出発が遅れただの、機内で乗務員を土下座させただのとか、ああいう愚か者と乗り合わせるのだけは勘弁。普通の乗客にとっては、そんな連中は即座に機外につまみ出すというのが、最善のサービスなんです。だから「文句は聞かない」というのはむしろ歓迎すべきことだと思うのです。

そもそも航空機の中は、公共の空間です。だから、乗り合わせた人は、全員が快適に過ごせるように相互に配慮するというのが常識というもの。先ずは自分のことは自分で、そして手助けの必要な人には積極的に協力するのが暗黙のルールです。もちろん手荷物の上げ下ろしだって同じこと。大げさに言えば、成熟した社会を維持する仕組みと何ら変わりません。この理屈は、格安運賃かそうでないかとは関係ないと思う。それだけに「金だしてるのだから、何とかしろ」っていう感覚が理解できないです。そして悪いことに、そういう態度の傲岸不遜の輩、けっこういるのですよね、とりわけ「偉い人」の中に。

100年の人生

テレビCMで”人生100年”という言葉が出てきて、ちょっとびっくりしました。数年前から、100年を前提に人生設計すべきということが語られるようになってきましたが、もはや常識のレベルにまで上がってきたということでしょうか 人が当たり前に100歳まで生きる時代が到来するなんて、少し...