2011年11月29日火曜日

自家製手帳、新作


恒例の自家製手帳、今年の新作を作った。とはいっても、細かな部分を変更しただけで、基本的な考え方やデザインはまったく同じ。変更点のひとつは、手帳のカドを丸めたこと。手帳をポケットやカバンに出し入れするとき、表紙のカドが引っかかって傷をつけたことがあったため。もうひとつは、裏表紙に折り返しの耳をつけていたのを、今回は廃止したこと。意外に使い勝手が良くなかったのである。

加工の素材として、引き続きmujiのノートを使った。mujiに拘っているわけではないけど、A5・糸綴じ・無地の表紙、しかも安価で、求めやすいという譲れない条件を満たすのは、結局これだけだったからである。書き味を追求した高価なノートはいくらでもあるが、純粋に消費者の使い勝手を考えた質素なノートって、意外にないものだ。

それから最後に、ほんのちょっとオリジナリティを出すために、表紙にスタンプを押してみた。これがないと、のっぺらぼうで、一目で天地、前後の区別が付かないのである。いかにも旅の手帖という雰囲気が生まれたように思う。

2011年11月28日月曜日

停滞の時代に

大停滞」読了。タイトルから想像される通り、あまり愉快な本ではない。アメリカ経済は、この数十年、見かけよりはずっと低い成長しかしていない。その原因は、経済成長のもととなる生産性の向上が、技術革新の停滞により止まってしまっているからだ、という。確かにそうなのかもしれない。約一世紀あまり前、立て続けに出現した技術革新は、その前後で社会を劇的に変化させ、莫大な富を生み出し、そして中産階級と大衆社会を創出した。その大きな変化に比べると、今の暮らしぶりは子どもの頃と比べ、それほど進歩していないと感じる。むしろ、ひと昔、ふた昔前の暮らしのほうがずっと余裕があったくらいだ。

・・・「私たちは自分たちのことを金持ちだと勘違いし、たくさん金を借りても十分に返済できると思って莫大な借金をしたが、実際は自分で思っていたほど金持ちでなく、金融危機という形で自信過剰と自己満足のツケを払わされた。」
・・・「さしあたりは、私たちが過去に経験したことがないくらい、景気後退が長引くことを覚悟する必要がある。目下の景気後退を脱しても、まだ低成長期が続くかもしれない。」

本書でも述べられているように、先進国は経済成長のピークを越えて、すでに衰退の時間に入ってしまっている。日本で長引く不景気も、他の先進国を少し先取りをしていたに過ぎない。歴史を学んだならば、繁栄を続ける国家は存在しないことに気づくべきだ。むしろ繁栄が例外的であり、長い停滞がノーマルな国の姿である。そのように考えると、私たちは従来の価値観や人生設計をいかに変えるべきかを真剣に検討すべき時に来ているといえる。

そして昨日の大阪の選挙結果。おそらくこの変化の流れは他の地方に波及し、最終的には国のあり方を変える。これから確実に税収が減少する中で、社会保障を維持しようとするならば、当面あらゆる行政の無駄をなくすことは避けられない。そして、いずれは社会保障そのものもに手をつけざるを得ないことは、住民の誰もが分かっているはずだ。理解できなかったのは、不景気の影響を心配する必要のなかった、少数の恵まれた人たちくらいだろう。候補者の支持団体を見れば一目瞭然。選挙結果に対して批判もあるが、それでも多数の声なき意見は、案外と正しいものである。そして同様の流れは、アメリカでもヨーロッパでも、日本の後を追うように続くと思う。

2011年11月21日月曜日

ジャム作り

今年になって、あまり休みを取っていなかった。年初から自然災害、身内の不幸、全世界を巻き込む金融カオスと、まったく碌でもない出来事が続いている。それは廻り廻って、都会の片隅で細々と暮らす我が身にも、ちいさな波紋となり押し寄せた。もはやじたばたしてもどうにもならないと達観し、ならば骨休みと伊豆にある馴染みの温泉に行くと、今度は季節外れの大雨に遭遇した。まったく今年は、最後までついてない。



温泉からの帰途、国道沿いの産直店に立ち寄ると、棚一杯に瑞々しい野菜が並べられていた。温暖な土地柄ゆえ、ここはとりわけ野菜が美味しい。珍しさも手伝ってあれもこれもと買っているうち、たちまち両手が塞がってしまう。さて、今日の戦利品をどうやって食べようかと、助手席の妻と思いつくままに調理法を話し合った。



その夜遅く、先ずは買い求めた柑橘をジャムにした。立ちのぼる甘酸っぱい香りを楽しみながら、ゆっくりとガラスの鍋をかき回す。そして片手には酒のグラス。わたしには、この豊かな時間が何より嬉しい。ジャムは料理にも使うので、砂糖は極力控えめにする。ときおり味見をするが、今回のはかなり酸っぱい。癖の強いチーズにつけたら案外いけるかもしれない、などと想像しつつ、更にそれだけで夜更けの酒が進むのである。

2011年11月16日水曜日

「揚げ」


二週間に一度、隣区の図書館に行くついでに、とある豆腐屋に立ち寄って油揚を買い求めるのが習慣になっている。商店街から遠く離れ、狭い路地に面してひっそりと商いをしている豆腐屋である。知人にその店を教わり通い始めて、すでに一年くらいは経つだろうか。これまで他に買い物をしている客を見たことがないが、意外にも密かな人気があるらしく、ときおり予約で品切れになることがある。

さてその揚げだが、通常とは形が異なり、ひとつひとつがスティック状で、しかもしっかりとした食べ応えがあり、調理にすこぶる勝手がいい。オーブンでカリッと焼いて、大根おろしとポン酢で単純に食するのも良し、白ネギと一緒に炊いてご飯のおかずにするのもいい。腹の空き具合によっては、それを卵でとじて丼にするのがわたしの好みである。似非ベジタリアンとしては、鶏肉に見立てた料理ができる、なかなか頼もしい食材なのだ。