2012年5月28日月曜日

「グロリア」


自称映画好きのわりに、新作映画にはあまり関心がありません。気に入った映画を繰り返し鑑賞するため、特別に「新作」であることの価値が乏しいからです。そのため好みの映画に偏りが出てしまい、おいしい映画をたくさん見逃しています。

最近観たのは、ジョン・カサヴェテス監督、ジーナ・ローランズ主演の「グロリア」。わたしの中では、比較的新しい映画(笑。本当に久しぶりだったのですが、やっぱり何度観ても良い映画です。訳ありの中年女性が、他人の子供を無理矢理託されて、拳銃片手にその男の子を守り抜こうとする話。初めて観たときは気がつかなかったのですが、女性の盛りを過ぎて険しくなった表情を、残酷なまでに容赦なく撮ってますね。それから、幼い男の子を、女に庇護されることを拒み、あくまでも対等の男であることを主張する存在として描いてます。これを、年齢差を超えた恋愛映画だと喝破したのは、今はなきヨドチョウさんだったかな。

難を言うとね、マフィアの子分どもが、容赦なくやっつけられちゃうのが気にくわない。こんな連中だって家族がいて、案外子供思いのいい父親かもしれないのにと、余計な想像をするわけで。若い頃と違い、無意味に命が奪われるシーンは、見ていて少々辛いです。

で、ジーナ・ローランズ、最初観たときからのファンなんです。最近では、「きみに読む物語 」で認知症の老人役で出ていました。そういうお歳なのだから仕方がないですが、ファンとしては悲しいですね。先ほどの話とは矛盾ですが、いつまでも拳銃とタバコの似合う女性でいて欲しいと願うのです。

2012年5月23日水曜日

端末化する


このところスマートフォンの売れ行きが好調らしい。皆さん、時、場所を選ばず、黙々と操作しているので、人の動きが緩慢になってしまい、急いでいるときにイライラすることが多くなりました。わたし、そもそも携帯電話が嫌いなんです。「電話」もそうですが、それ以上に「携帯」という行為が駄目。なんにも持たないという、風来坊的な清々しさが性に合っている。ですから、用事のない休日には、数枚のカードだけをポケットに、手ぶらで出かけます。

以前からコンサートの予約なんかもそうでしたが、昨今は飛行機に乗るのだってチケットすら要りませんね。テクノロジーは、手ぶらで海外旅行することも可能にしたわけです、理屈の上では・・・。ところがここ数年、旅先でもケータイを持ってないと不便なことが多くなりました。たとえばホテルで頼み事した場合など、当然のように電話番号を聞いてくるし、スマホを持っていることを前提に話すので癪に障る。おまけに小さなホテルでも、チェックインの時に「はい、うぃーふぃ(Wi-Fi)のコードね」とメモを渡されるし、どうやら旅行者がPCをぶら下げてくるのが当たり前になってる。それで、「なあーんにも持ってないです」と言うと、ホテルのひとにえらく不思議がられるわけです。

もちろん「i なんとか」という製品、いまだ持ってません。便利なのは理解できるのですが、そこまで便利である必要があるのかしら、と思う。そして、通信手段が発達すればするほど、生きていることのリアリティが希薄化するような気がしてならない。深夜、公衆電話で小銭を握りしめて、遠くの彼女に電話したり、ストップウォッチの時間を気にしながら国際電話していたときのほうが、その記憶の生々しさや、時間の密度といった充実感が段違いにありました。

その一方で、そろそろ何とかしなくては、と思い始めているのも事実。近頃は妻まで、「i なんとか」買おうかしらと言い出す始末。カメラ並みに写真がきれいに撮れるし、GPSが付いているのでナビとして使える。地図やガイドブックを持って行くこと考えたら、まったく比較にならないほど便利らしい。確かに、これさえあれば、道に迷って土地の人たちに尋ねながら、無駄に歩き回ることもないだろう。しかし、それは同時に、見知らぬ人たちから親切を受ける機会を奪うことになる。そもそも、端末のディスプレーを見つめながら、うつむき加減に黙々と旅行することは楽しいのだろうか。

辺見庸の「しのびよる破局」という評論集で、次第に人々が端末化する違和感を述べてました。生活時間から湿度や陰影が消え、荒みが広がっていくことへの。ちょっと表現が難しいですが、人の集まる場で、その空間から隔絶したように機械を操作している人たちを見ていると、「公共」という貴重な財産が消えてしまったように感じます。

2012年5月21日月曜日

カラス、ニンジン


昨日のこと、スーパーで根菜や葉ものなどを買って、その途中でドラッグストアに立ち寄りました。買い物袋を下げて入店するのが嫌だったので、それで自転車に荷物を乗せたまま駐輪場を離れたわけです。まあ道で財布を落としたって、ちゃんと持ち主に戻ってくる日本。買い物袋を開けて悪さをするような人なんて想像できませんから。


それから程なく、用事を済ませて駐輪場に戻ってみると、あろう事か、自転車の買い物袋が乱雑に開けられているではありませんか。暫し、いかに防犯意識が甘かったかと自分を責めました。ところが袋の被害を観察すると、何か尖った道具で突いたり、引き裂いたりしている。もしやと思い周りを見ると、目の前の電線に数羽のカラスが止まっていて、じっとこちらを窺っている。そう、間違いなく、犯人はあのカラスだ!

幸いなことに買い物袋が破られただけで、盗られたものは何もない。袋の中は野菜ばかりで、連中の大好きなアブラものや肉製品が全然入ってなかったからです。喜び勇んで買い物袋を襲撃したのに、お目当ての獲物がなくて落胆していると思うと、電線のカラスがちょっと哀れ。そもそも似非ベジタリアンを狙ったのが間違いの元でしたね。

さて、このところのマイブームなのが、写真の千切り用スライサー。これまで千切りは包丁でしてたのですが、手間が掛かるので多くは作れませんでした。それがあっという間に出来るので、調子に乗っていろいろと野菜を切り刻んでます。特に、これで作るニンジンサラダが美味しくて、ニンジンが安いときに買い込んで、大量に作って食べてます。適当にドレッシングを作り、酒のつまみで余った種やナッツ類なんかを、これまた適当に混ぜてできあがり。簡単ですが、これが結構いけるのです。ちょうどカラスの襲撃を受けた日も、袋の中には安売りニンジンがどっさり入ってました。しかし連中はニンジン嫌いのようで、嘴で突いた跡すらなかったです。

人間より、よほど油断ならないのがカラスという、都会の中の暢気な田舎のとりとめもないお話でした。おしまい。

2012年5月15日火曜日

知らない間に値上がりしてた


電気料金の値上げが話題になっています。そこでちょっと調べてみたのですが、我が家では2年前の5月に261kWh使用して5706円支払ってました。もし今年、同じだけ使ったとすると6237円支払うことになり、ここですでに9%の値上がりです。近年の燃料価格の高騰や、新たに太陽光発電の買取分が上乗せされているのが響いています。

そして、もし電力会社の値上げ申請が通ったら、同じ条件で今度は6705円の支払いになります。1年のうちで一番電力消費が少ない時期ですら、2年前と比べてトータル1000円の値上がり。これが年間だと、かなりの支出増になりそうです。今年は世界経済が減速してるので、暫く燃料価格の上昇は一服でしょうが、それが過ぎればまた値上がりです。原発があれば発電コストを抑え、地政学的リスクも軽減できるでしょうが、今さらぼやいても始まりませんね。

しかし、電気使用量ばかりに目がいって、知らないうちに電気料金が既に値上がりしていたのは驚きでした。わたしたちができる対策は節電に励むことくらいですが、同時にどの程度の影響が出るのかを冷静に把握しておくことも大切。電力会社のサイトで、電気料金や節電対策を試算するページを見つけました。効果的な対応策を検討するのに便利です。

http://www.tepco.co.jp/life/custom/ratesimu/index-j.html

ということで、今月の成績は204kWh。前年同月比17%減ですが、なんと先月より増えてました。本来4月より減少する月なのに、いったい何が悪かったのでしょうか。

ハヤカワの本のこと


書評系のブログが好きで、かなりの数を登録しています。そのなかで最近ツボにはまったエントリーが、「本好きが選んだハヤカワの170冊」というもの。こういう企画、楽しいですね。わたしも、こんな会合に参加して、お気に入りの本のことなど語り明かしたいです。

さてハヤカワの本は10代から30代にかけて、ジャンルを問わずいろいろと読んだクチなので、最近のものを除くとかなり読んでます。なのでリストに上がった名前も、確かに本好きの選ぶハヤカワ本だと納得できるのですが・・・。

あれ!?コンラート・ローレンツの名著「ソロモンの指環」はどこに行ったの?あの本読んで、後の人生が変わった人も多いだろうに。そんな本、滅多にあるものではないのだから、やっぱり一押ししたいなあ。わたしは、この本読むまで動物との付き合い方がわからなかったのですが、これ以降、動物と付き合うのが楽しくて仕方なくなりました。なぜだか、こちらが放っておいても、向こうから勝手に押し掛けてくるようになったのですから。

次に、男の子なら一度は読むべき冒険小説、アリステア・マクリーンの「女王陛下のユリシーズ号 」。人生には決して逃げてはいけない場面がある、それがいかに過酷なものであっても。わたしは根性なしのへなちょこだからこそ、何度でも読み返したい本です。これも素晴らしい本なのに、リストには見当たりませんねえ。

最後に、なぜ絶版なのか理解できない、「ハリウッドをカバンにつめて」。映画評論家の映画の本は、そつがないけど詰まらないのも多い。この本は、アメリカ映画を心底愛し、自身がショービジネス界のトップスターだった著者による、アメリカ映画クロニクル。それにしても、恐るべき記憶力と博覧強記。古典映画好きなら、騙されたと思って読むべし。

とりあえず思いついたままにリストアップしてみましたが、もし見落としていたらご免なさいです。

2012年5月8日火曜日

「よき貧しさ」へ

『つまり、我々は貧しくなるのだ。よき貧しさを構築するのがこれからの課題になる。これまで我々はあまりに多くを作り、飽きて捨ててきた。これからは別のモデルを探さなくてはいけない。』これは一年前の新聞に載った、池澤夏樹のことば。これから起きるであろう変化の核心を突いている。

徐々に、そして暗黙のうちに、この事実に気づく人たちが増えてくるはずだ。おそらく、原子力発電を止めるという政策決定は、大多数の国民の支持を受ける。たとえ安全技術の進歩が期待できるとしても、原発は日本の地理的条件に合わないことを思い知ったからだ。他方で、石油依存の経済にも限界が見えてきた。わたしたちの未来は、せいぜい水力、風力、地熱などのわずかな自然エネルギーに希望を見いださざるを得ないだろう。そして、わたしたちの国は、必然的に脱工業国の方向に向かわざるを得ないこと、すなわち加工貿易によって1億の国民が豊かな生活をするという、これまでの日本の生存戦略を放棄するということを意味する。これからは、現に持てるリソースを上手に活用し、社会的な混乱を最小限にしながら、自給自足的な社会の実現を目指さなくてはならないだろう。漠然とだが、これからの変化をそんなふうに感じている。

自給自足的な社会とは、国家の役割が限定されたシンプルな社会だ。巨大な官僚機構が不要となり、18世紀的な夜警国家に戻る可能性もある。もちろん福祉政策という、十分な税収を前提としたサービスはありえない。最小限の健康保険制度が残れば御の字で、年金制度などは遠からず自然消滅するに違いない。そうなれば誰も一人では生きていけないので、子どもから老人まで血縁や地縁を大切にしながら暮らすことだろう。都市生活が営めなくなり、村社会が出現するやもしれない。もちろん、この変化は急には起きないだろうが、徐々にその傾向は見えてくるだろう。

「よき貧しさ」という言葉、思い描くイメージは様々だろうが、わたし自身は半世紀ほど前の、贅沢を言わなければなんとか暮らしていける、ほどほどにみなが貧乏という時代を想像する。現在のベトナムとかタイの生活水準だろうか。現金収入は限られているが、幸いにも温暖なアジアだから、それでも十分に生きていける。もしかすると今より暮らしやすい社会になるかも知れない、と希望的観測を抱いているが、それはちょっと楽観的すぎるだろうか。

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1年前に書いて、保存したまま放置していたエントリーです。内容的に顰蹙を買いそうだったので、どうしようかと迷ったまま時間が過ぎてしまいました。改めて読み返し、現在でも考えは変わらないので公開しました。

原発がすべて停止して、ほっと安心している人たちも多いことでしょう。しかし、その先に待ち受ける変化に想像を巡らせ、これに積極的に対応する姿勢に乏しいようにも思えます。詰まらない社説を書いて無邪気に喜んでいる新聞社もありましたが、社会の木鐸にしてはあまりに無頓着な印象を受けました。

ずっと以前に読んだ本を思いだしました。エネルギー危機が訪れ、すっかり社会が変化した21世紀中盤の日本を描いた小説です。当時は荒唐無稽なSFとして読みましたが、すでに近未来小説となってます。先日、経団連のシンクタンクの長期予測が議論を呼びましたが、ちょっと大甘な予測という印象です。さて事実は空想を超えるでしょうか?


2012年5月4日金曜日

自転車で巡る


渋谷の街に行きました。普段は立ち寄ることのない場所ですが、以前から興味のあった店舗と代官山の本屋、オープンしたての複合高層ビルを見物するためです。自転車で行ったのですが、思ったより蒸し暑くて、目的地に到着するまでに汗だく。走りながらスナップも撮ります。


リニューアルした青山の某店舗。いつも車中から眺めるだけですが、自転車を止めてじっくり観察しました。確かここ、全国で最初の路面店でしたね。わたしは開店当初からの常連客で、文房具やら割れた煎餅の袋詰めなんかを買っていたものです。時代の流れとはいえ、ずいぶんと雰囲気が違うというか、以前は「必要なモノ」が並んでいたのに、今は「不必要なモノ」が並べられていました。小売店の試行錯誤が続きますね。



お次は、今話題の真新しい複合高層ビル。むかしはこの近辺で酒を飲んだり、お茶したりと、結構なじみのある場所なんですが、再開発で激変して目を回しました。真新しい地下駐輪場に自転車を止めて、ビル内部を探検しましたが、残念ながら気を引くようなものはありません。ただし展望ホールからの景色は楽しかったです。もちろん夜景も素晴らしいことでしょう。


最後は谷底から急坂を上がって、楽しみしていた話題の本屋。登って、下って、また登ってと、自転車のペダルを押す太ももがプルプルします。いや、贅沢で本当に素晴らしい本屋でしたが、なにぶんお客が多すぎて、ゆっくりと立ち読みできません。もし行くなら絶対に夜が良いですね。これまではABCとか新宿のジュンク堂が好きだったのですが、これからはこっちでお世話になりましょう。ただし、おじさんの寛げる安い飲み屋が周囲にないのが致命的かもしれない。本屋で遊んで、飲み屋で買ったばかりの本をぱらぱら読むというのが、最高の娯楽なんです。

2012年5月3日木曜日

電球



我が家では、10年ほど前から電球型蛍光灯を利用しています。蛍光灯の光は嫌いですが、そう贅沢も言ってられないということで。白熱灯より電気代は安く、且つ寿命も長いのですが、何しろ色合いが微妙なのが困ったものです。料理の色に妙に青みがかかり、ちょっと食欲を失わせます。だから、台所や食卓の光は、未だに白熱灯のお世話になっているわけです。

その電球型蛍光灯も、ぼちぼち寿命を迎え球切れするようになってきました。そこでホームセンターに行って、流行のLED電球を見てきたのですが、いまひとつ乗り気になれない。まだ暗いということと、光の拡散具合が不自然だということが理由です。色合いは悪くないのですが、白熱灯と比べるとまだまだ不完全ですね。ですから当面は、ストックしている白熱電球を使い回しながら、もう少し完成度の高いLEDを待つことにします。光が明るく、柔らかで、自然に拡散して、白熱灯と同じくらいかもっと小さいサイズ。そういうの、早く出ないでしょうか。

ところで最近では、面光源のLEDライトも実用化されつつあるらしい。天井や壁全体が光るので、明るさが必要な仕事場にはぴったりなんでしょう。しかし、影が無く、のっぺりと明るい部屋というのも疲れます。人間は火を使うようになって、ずっと点光源の暮らしをしてきました。能率的には明るさが必要でも、リラックスできる影の役割も同じように重要です。そういう点でも、白熱灯の役割は、依然として大きいと思うのです。

2012年5月1日火曜日

大型雑用週間、3日目。


先日もちょっと書いたのですが、懸案の温水便座を交換しました。最近のものは節電節水を重視しているということなので、節電対策の一環として購入したわけです。それともう一つには、これまで使っていたのが17年も経過していて、いくら掃除しても臭いが残るようになって、そろそろ替え時だったのです。

さて前回1995年は、まだインターネットで買い物できるような状況でなく、新聞広告を探して注文したものでしたが、今回は、前日の夕方にネットで注文、その半日後には現物を手にしてました。それに、前は専門家に取り付けてもらったのですが、昨日は取説を片手に自分で行いました。取説自体も、素人が取り付けることを前提に、ずいぶんと懇切丁寧に書いてありました。なので作業も簡単に済みました。たった17年で、同じことをするのに、これだけ変わってしまったのです。そりゃ経済や社会の激変は当然ですね。

で、今度の新型は、貯水タンクが消え、操作盤のアームもなくなり、非常にコンパクトになってました。結果、装置の圧迫感が消え、掃除もし易くなりと良いこと尽くめ。それにシャワーの具合も、少ない水でより効果的にと、性能の進化も止まることを知りません。

それにしても、高度成長期には3Cと呼ばれる三種の神器、クルマ、カラーテレビ、クーラーが生活必需品として売れに売れたわけですが、現在の三種の神器って果たして何なのでしょうか。クルマやテレビは、存在価値すら疑われつつあります。クーラーは、電力不足の折、使ってはいけない雰囲気があるし。しかしわたし的には、少々困窮しても、温水便座だけは譲れない。3Cなんて、なくてもそれほど困らないけど、いったん温水便座に慣れてしまうと、無いと本当に困るのです。現代の三種の神器に入れたいですね。

100年の人生

テレビCMで”人生100年”という言葉が出てきて、ちょっとびっくりしました。数年前から、100年を前提に人生設計すべきということが語られるようになってきましたが、もはや常識のレベルにまで上がってきたということでしょうか 人が当たり前に100歳まで生きる時代が到来するなんて、少し...