2014年3月23日日曜日

きれいな字を残したい


万年筆、インクとくれば、次はやはり紙。
で、文房具屋にネットで評判のいいルーズリーフ紙を見に行ったのですが、確かにペンの滑りは良さそうですが、如何せん紙が強靱で重い。
紙が上等過ぎるということもありますが、それ以前にただでさえ嵩張ってしまいがちな私のノートには向いていない。
つまり、バインダーにあれこれと関連資料を挟み込むので、嫌でもノートが重く膨れあがってしまう。
自分の用途に限るならば、ルーズリーフ紙はできるだけ薄く軽くでないと困るわけです。

せっかく出向いたのにただ手ぶらで帰るには悔しく、じゃあ増税前だからということで、定番の「ツバメノート」を数冊買い求めました。
仕事用にはルーズリーフ一択なので、これは読書記録用にしましょうか。
「ツバメノート」は、もちろん以前から目にしていましたが、いざ買うとなるとコクヨや生協ノート、この20年ほどはMUJIばかりでさっぱり縁がありませんでした。
ボールペン派には、さほど上等な紙である必要がなかったということです。

で、いろいろとノートを漁っていて、ふと目についたのが写真のお習字ノート。
ペン、インク、紙とくれば、最後に残るは自分の字。
ある調査では、若い人より年配の人の方が、字にコンプレックスを持っているという結果が出ていました。
必ずしも年配者が字が下手で、若い人が上手という訳じゃないのがミソ。
私の経験から推測すると、むしろ周囲に上手な人が多かったからこそ、下手くそが悩んだというのが実情でしょう。
私もいい歳をして、こういうのをレジに出すのは極めて恥ずかしかったですが、一時の恥なら喜んで忍ぼうと・・・。

うら若き泌尿器科の女医さんの打ち明け話ですが、ある老人が思い詰めた表情でやって来て、手術をして欲しいと言われたそうです。
常識的にはもはやその必要などないはずですが、本人曰く「きれいな体で死にたい」と。
まあ、誰にでもコダワリはあります。しかし自分なら、そのお医者さんの顔を見るなり何も言わずに帰ってしまいますがね。

むろん私の場合そこまで思い詰めてはいませんが、希望を言うと「きれいな文字を残して死にたい」。
さすがに草書は無理でも、楷書なら何とかなるのではないでしょうか。
何であれ、新しいことを始めるのに、遅すぎるということはないですよね。



ミシェル・ド・モンテーニュは悪筆過ぎて、自分の書いた字を自分でも読み返せなかったといいます。それにも負けず、よくぞあれだけの著作を残せたものです。
文字の美しさとその内容は別物ですが、しかし文字だってある種の画像情報である以上、同じことを述べても美しい方が、より相手の心に届きやすいのではないかと思います。
自分くらいの年齢になると、そんな切実な文章を書く機会はまず訪れませんが。

2014年3月21日金曜日

ハイテクインク 古き皮袋に新しき酒


普段に使うノートは、特売で買いだめしているA4のルーズリーフです。
罫線を気にせず、ざっくりと大らかに使うので、質より量を重視するという考えからです。
マーカーを多用するので、従来は滑りのいいボールペンを使い、中字の明瞭な字を書くようにしていました。
ですから、あまり紙質を問題にする必要がありません。紙でさえあれば何だっていいのです。

ところが万年筆に切り替えたところ、細かい不都合が生じました。
ひとつは、ノートの紙質があまり万年筆に向いていないということです。
特に、職人さん達が手作業で作った万年筆(愛称「おじいちゃん達のペン」)で書くと、字が滲むうえに裏写りします。これには困った。

もうひとつは、水性ラインマーカーが使えないということ。
取り敢えずダーマトグラフや色鉛筆で代用してますが、やはりラインマーカーの方が絶対に使いやすい。
さてどうしたものか。

字の滲みや裏写りは、上等の紙にすれば解決できるはずですが、その分だけ紙が厚く重くなります。そして無駄に高価。
無造作に書き散らかすことに意味があるノートなので、いくら書き心地がいいといっても用途が違います。
トイレ用にやたらに柔らかい紙がありますが、わたしには却って使い心地が悪い。何でも柔らかけりゃいいというものじゃない。それと同じ。

何かいい方法はないかと、その手のブログを徘徊していると、ちゃんと書かれてありました。
滲まず裏写りしにくいインクがある。しかも太字の万年筆に使うと、細かい文字が書けるようになる、云々。
なるほど紙じゃなくて、インクを替えれば解決というわけです。

で、善は急げとばかりに買い求めてきたセーラーの青インク
見かけは野暮ったいが、超微粒子顔料入りのハイテクインクです。
さっそく、「おじいちゃん達のペン」に入れました。
確かに、字が滲まなくなりました。裏写りもしてません。
さすが顔料インク、水性マーカーを引いても字が流れない。書いてすぐは無理だけど、乾くとOK。
細々した諸問題、これですべて解決です。

次に中細字のペリカンとラミーに入れると、なんと細字が書けるようになりました。
インクフローがよくなった分、字を書くのに筆圧をかけないからでしょうね。
軽く書けるから、字が細くなると言う理屈かも。

更に良かったのがインクの色。
それは、むかし気に入っていたモンブランのブルーブラック・インクと同じだったからです。
ペリカンのロイヤル・ブルーでは、理想より明るすぎる気がしていました。

もっとも価格は、今までのペリカンインクの倍(国産同等品だともっと)しますが、他に代わるものがないから納得です。
ちょっと気難しくも味わいのある「おじいちゃん達のペン」が、これからずっと気持ちよく使えるならば言うことがありません。


それにしても、容器やパッケージデザインを、もう少し垢抜けたものにできなかったのかな。
というのも、いろいろと調べて分かったのですが、万年筆は今や実用品から見栄や遊びの道具になっています。
外国製の高級万年筆などは、見栄えの良さに付加価値をつけて、時計や宝飾品と同じステータスシンボルの扱いです。
そのこと自体は実に馬鹿馬鹿しいことですが、むしろそうであるなら比類なきこのハイテクインクだって、日本の最高級品として世界中に高く売り込めばいい。
控えめは美しいことだが、せっかくのアイデアと努力は、相応の金銭的評価として報われるべきじゃないだろうか、と思うわけです。
ただし国内向けはこれまで通りでお願いしたいが。

2014年3月20日木曜日

「直して使う」


古本屋で雑誌のバックナンバーを探していたら、ちょっと気になる特集をしたものが見つかりました。
直して使う」、、、わたしのための特集か。

モノ選びをするとき、デザインや機能はもちろんですが、同時に自分に修理可能かどうかを考えます。
簡単に修理できれば、長く使えることは当然。
そんなことより、わたしには「直す楽しみ」があるという側面こそが重要です。

買うとは、突き詰めればモノと金銭の等価交換という、お金さえあれば誰にでもできる退屈な行為に過ぎません。
他方、何かを「直す」ためにはモノや人と対話しなくてはならない。
ここでは金銭ではなく、対話者の個性が決定的に重要であって、その行為は多様性に富んでいます。

直すために、様々な職人さんと会話しました。
直すために、方々の修理屋や怪しげなパーツ屋を訪ねました。
何でこんな詰まらないことに労力を使うのだろうと思うことは度々なのに、それでもやっぱり止められない。
「買う」という退屈な行為に比べて、「直す」とはなんと刺激的な体験なのか。
わたしにとっては、お金を出すことでは決して得られない、日常的な楽しみのひとつなのです。



先ほどの雑誌には堀江敏幸さんの直して使ういき方が綴られていました。もともと小説を通じてのファンでしたが、実生活上の価値観にも共感できます。
自宅の机には、わたしが数年前まで使っていたのと同じパソコンが置かれています。文章を書くにはこれで十分だということで。
リビングには年代物の机や椅子が美しく配置され、外界とは別のゆったりと落ち着いた時間の流れを感じさせます。
ちょうど小説を読んで受けるのと同質の空気です。

同じテーマで、串田孫一も掲載されてました。
曰く、「品物をぞんざいに扱い、こわれたらこわれたでぽいと捨ててしまう人は嫌いである。そういう人は人間をも自分をも大切に扱えない人のように思えるからだ。」
学校で道徳教育を重視するという話がありますが、わたしは抽象的な訓話より、家庭科教育で修理という実践を学ばせる方がよほど効果的だと思ってます。
浪費を戒め、人や物を大切にするという意味で。もちろん産業界は猛反対するでしょうがね。


トップの写真は、木っ端みじんになってしまったバターケース。
修理するために組み立て直したのですが、破片が飛んで完全には再現できず、金か銀で繋ごうかどうしようかと、ずっと迷っています。
直すまでの、この中途半端な時間もまた楽しい。

2014年3月18日火曜日

節電、原発、春一番


例年3月にもなるとエアコンはほとんど使わなくなるのですが、寒さが続いた今年はさすがに毎日のように運転しました。
その結果、今月の電気使用量193Kwh。昨年比でなんと50%も使用量が増えていて、その数字に我が目を疑いました。
日頃から節電節電と喧しく唱えるくせに、少しでも気が緩むとこの有り様です。

原発が必要にならないように、個人として出来る限り電気は使わず、不足分は都市ガスと工夫で乗り切るようにしています。
しかし、電気ばかりかガスも値上がりし、今年の我が家の光熱費は節エネの努力をあざ笑うかのように増加してます。
更に、今後もしロシアへの本格的な経済制裁が実施されると、天然ガスの需給がタイトになって値上げに拍車がかかるはず。
消費税まで上乗せされると、さて一体いくらかかるのか。

政治的にちょっと不謹慎な物言いになりますが、私は原発に反対でありません。
チェルノブイリ事故以降、むしろ原発を都心に誘致すべきだと考えているくらいです。
お台場のあたりに、東京の電力を賄うための原子炉建屋がずらりと並ぶ風景はさぞ壮観でしょう。
電力だって地産地消、送電ロスが少なく経済効率がいい。それに何より国民の防災や安全意識が飛躍的に高まります。東京一極集中がなくなり、地価も下がる。ただひとつを除いて、良いこと尽くめ(笑。
もしもそれが嫌なら、電気の大量消費を止めるだけのこと。住民が一丸となって節電に徹すれば、日本の電力問題は半分以上解決したも同然でしょう?

冒頭の写真は、昨年旅先の車中で目にした原子力発電所。日本と違い向こうでは、内陸の川沿いにもたくさんの原発が存在します。
地震が起きないということを前提にしているようですが、慢心こそが重大事故を引き起こします。いつだってそうなのですから。

ようやく春一番がやってきました。週末はエアコンの清掃をするつもりです。

2014年3月11日火曜日

父の万年筆

今年になって万年筆を使うようになった、と書きました。
あれからというもの、ボールペンは必要に迫られたときのみ、従来パソコンに打ち込んでいたテキストも、ごく私的なものは万年筆で手書きしています。
以前は万年筆を使うと決まって肩が凝ったものでしたが、現在はまったく苦痛ではなく、むしろペンを滑らせる心地よさを感じます。
おそらく今後も、ずっと万年筆を使い続ける、、、そういう確信が湧いています。

実家の母に、父の万年筆を送ってくれるように頼みました。
「あー、それは良いことよね。お父さんもきっと喜ぶわ。」
そして思いがけない言葉を耳にしました。
「あんたもお父さんのような字書くから、きっと使いやすいのじゃないかしら。」
「あれっ、そうなの?!」と聞き返すと。
「やっぱり親子なのよねぇ。」と・・・。

父は達筆で鳴らし、子供の頃から習字で幾つも賞を取り続けた人で、自分はそうでないことがコンプレックスでした。
そういう父の字と、わたしの字が似ているといわれて、我が耳を疑いました。
現に学生の頃、頻繁に手紙を出した相手に、「atoくんの字、あんまり達筆で読めないときがある。」と言われて苦笑いしたこともありましたっけ。
あの野郎、知ってて今の今まで黙ってたな。今度戻ってきたらとっちめてやる(笑。


桐の箱に収まって、父が最後に愛用していた万年筆が届きました。
大振りの、無骨というかとてもクラシカルな万年筆でした。
箱の中には解説書が入っていて、ベテランの職人達の手作りだということが分かりました。
その職人達、明治生まれが二人、大正生まれが二人と、それだけでひとつの歴史が書けそうな顔ぶれです。
そして工作精度が凄い。
エボナイト棒を削りだした万年筆の軸には何ら手がかりがなく、当初どうやってインクを入れればいいのかまったく分かりませんでした。
解説読んでからも、一体どこを回せばいいのかしばし戸惑ったほどです。

書き味には目立った癖はないものの、金ペンのわりにはちょっと硬めかな。
父が70代に入って買い求めているので、たぶん頻繁に使う機会がなかったのでしょう。
これから息子が引き継いで、自分にあった使いやすい万年筆に仕立てます。

写真で見ると、ペリカン(下)より一回り大きい程度ですが、実際に持ってみるとずいぶんと太く感じます。それに重量感もある。
イメージでは万年筆でなく、ほとんど筆ですね。
だから普段からジャケットの内ポケットに挿して実用的に使うというより、机上のペン皿に常置して、静かな心持ちで手紙を書いたり、日記をつけるのに適している。
そういう万年筆です。

2014年3月8日土曜日

ウィスキーを抱えて脱線する

あまりにも寒い日が続くので、ウィスキーが飲みたくなりました。
いつもはワインしか飲みませんが、ワイン程度じゃ体が温まらない。
で、帰り道にある酒屋に立ち寄り、手頃なウィスキーを物色しました。
ウィスキーはバーでこそ飲みますが、妻が強い酒を気にするため、家では時折もらい物を楽しむ程度で普段は口にしません。
だから知っている銘柄も少なくて、何を選んで良いかさっぱり分からず、勘だけを頼りにスコッチから1本を選びました。

売り場の棚を見ていて気がついたのですが、かつての高級銘柄「オールド」とか「リザーブ」、ずいぶんと安くなってますね。学生のころは「オールド」なんて絶対に買えず、いつも白とか赤とか、頑張っても角でした。もちろん味なんて分からないから、安けりゃいいのですが。
今は当時のちょうど半額ですが、その間にいったい何が起きたのでしょう。
同時に外国の銘柄も安くなっていて、結果、国産とあまり差がなくなってます。
かつてヒラのサラリーマンは、スコッチの瓶に国産のウィスキーを入れて見栄を張ったと聞きますが、これではどちらに入れようが特別な意味がないわけです。

話は脱線しますが、ウィスキーの世界には5大銘柄とかありまして、スコッチにアイリッシュ、ケンタッキーにカナディアン、そしてジャパニーズ!!
わたし酒飲みなので、外国に行くとからならず当地の酒屋に行って、地元で飲まれている典型的な酒をリクエストすることにしています。
で、ここ10年くらいの傾向ですが、上等の酒屋に行くと酒蔵の奥深くに、一番偉そうに鎮座しているのがジャパニーズ・ウィスキーなんです。それもガラスケースに入っていたり、手の届きにくい高さにあったりと。
その光景には、日本人としてちょっと感動しますね。
もちろん日本酒だって、最高級のレストランに行くと、必ず酒のリストに並んでいるそうです。残念ながら行ったことないので、詳しくは知りませんが(笑。

無事ウィスキーは買ったものの、さてオカズはどうしようか。
とにかく体が冷えて飲みたかったので、酒優先でメシは適当に済ませようと決めた。
で、スーパーの総菜コーナーに行くと、ちょうど揚げたてのコロッケが出てきたところでした。
これこれ、これです。古来よりウィスキーの当てには、熱々のコロッケと決まっている。異論は認めない。
今夜の晩飯はウィスキーとコロッケであっさりと決まりです。

再び脱線ですが、去年見た映画で名匠ケン・ローチの「天使の分け前」が、ウィスキーをテーマにしたとてもかわいい作品でした。
どうしようもない不良が、社会奉仕活動命令をきっかけにして立ち直り、ウィスキーを極める道に進むというお話。
シンプルなストーリーですが、なにしろ名匠ゆえに語り口がうまい。
映画館の観客の多くが、思わず小さな悲鳴を上げるシーンがあって、もちろんわたしも、それが観客の一体感を醸して最後は幸せなエンディングを迎えることができました。
映画の最後は、「希望」で括るのが鉄則。おじさんがスコッチをチビチビと舐めながら、くつろいで観るのにぴったりの映画でした。

ちなみに原題の「エンジェルズ・シェア」という言葉を知ったのは、今は亡き開高さんのエッセイでしたが、ウィスキーを飲む姿が実に絵になる人でしたね。

最後に、肝心の今夜買ってきたウィスキーですが、端的にわたしはこういう種類の酒が好きです。
おそらく誰からも好まれる、ほどよいバランスと、ウィスキーらしい個性も併せ持ち、味に際立った押しつけがましさがない分スムーズで、知らず知らずのうちに飲み過ぎてしまいそうな感じのするウィスキー。
毎日飲むには、いや本当は毎日はいかんのでしょうが、こういう良妻賢母型?の安定感のある酒がいいと思います。
あっ、ひょっとするとそんな酒の方が飲み過ぎて、かえって体に毒かもしれませんね。これは良妻賢母を装った悪女なのだろうか?

2014年3月1日土曜日

腕時計のこと


消費税の増税を前に、高額な時計が売れているという記事を見ました。
なんとも羨ましい限りです。
私にもいくつか、漠然と欲しい時計がありまして。
ひとつは、小振りな長方形で、クラシックな雰囲気のある手巻きの時計。
手首が細い方なので、ちょっと華奢な感じなのがいいかな。
もうひとつは正反対の、電波でソーラーの手間のかからない実用的で安いやつ。
ちょうど理想的なものをアマゾンで見つけて溜息ついてます。

実はこれまで自分で選んで買った時計がひとつもありません。
手許には、祝いや記念で頂戴したもの、形見分け等の理由でもらったものなど、古くなったからといって安易に捨てられない時計ばかり幾つもあるのです。
これらを壊したり落としたりしさえすれば、そのときは喜んで新しい時計を購入できるのですが、不幸なことに私は物持ちがいい。
おまけに、すでに持っているのに、別の新しいのを買うということがとてもできない性分ときている。
結局、捨てるに捨てられない古時計を、いまだに渋々身につけているというわけです。

近頃は上等な時計を身につける人が多いですから、古めかしいクオーツ時計をしていることが何となく気恥ずかしい気分です。
せめてベルトだけでも好みのものに取り替えて、健気に「すごく気に入って使っている感」を醸そうとするのですが、なにしろ国産の普及品なので格好のいいものではありません。
まあ、それが私の個性なんで仕方のないことでしょうが、時計は男のステータスだなんて聞くとホンマカイナと思います。

古いクオーツ時計でも、ひとつよい点があります。
それは時計を気遣うことなく、自分で気楽に電池交換をしたり、修理できることです。
機械式の高級時計では、そんなこと絶対に無理ですから、と自慢しても始りませんが。
こんな庶民のニーズを汲み取って、百均でも時計の修理道具や電池を置くようになっています。
もしや腕時計の世界にも二極化が訪れているのでしょうか。

先日、通販で腕時計用の防水グリスを入手しました。
裏蓋のパッキンが劣化してきて気になっていましたが、これを塗布することで時計の防水機能を高めることができるそうです。
これで時計が錆びたから使えないという理由もなくなりました。
何しろ丈夫さが取り柄の日本製ですから、ケアさえ怠らなければ一生もの。
お陰で、私はお気に入りの時計を一度も身につけることなく、短い生涯を終えることができそうです(笑。