2011年4月30日土曜日

連休の読書


いつもの年なら、五月の連休はちょっと迷惑だったが、今年に限っては有り難い。この2ヶ月ちかく、地震、原発、政治、景気、自分なりに考えなくてはならないことが多く、ここらで息抜きしたい気分だった。悲しみや失望で傾いたこころの柱を、普段通りに戻す工夫が必要だ。わたしの場合は、例によって散歩と読書、残った時間に料理と雑用。手足を動かし、視野を広げることでしか、物事を相対化できない。

午前中に何カ所かの図書館を回って、予約していた本を借りてきた。小説を読む気分じゃないのが、かといって堅い本も気乗りしない。それで特にテーマもなく、雑多なものばかりだ。テーブルに積んで、気が向いた本からつまみ食いするつもり。

2011年4月24日日曜日

パンケーキ

平日の朝は判で押したようにトーストだけど、休日はのんびりとパンケーキを焼いたりするのがいい。もちろんトーストであっても一向にかまわないわけだが、普段の朝食はいつも心ここに在らずなので、せいぜい休日くらいは遊びたいという気持ちで食事を作る。

いろいろな所で、様々なパンケーキを食べてきた。何しろ簡単な料理なので、人によっても、土地によっても、国柄によっても多様なバリエーションが生じる。極端な話、基本が粉と水(ミルク)だから、そこからどう展開しようと勝手なのだ。誰にでも簡単に作れて、誰もが楽しめる自由な料理。そう考えると、パンケーキはすこぶる気分のいい料理である。ともかくまあ、画像検索でとくとご覧頂きたい。

分厚いのを重ねたアメリカ風は、今では見るだけでお腹が一杯になる。甘いホイップクリームやチョコレート、果物が覆い被さって、思わず奥歯が疼いてきそうだ。だから好みからいうと、塩味があり薄く作るオランダ風とかフランス風とかいい。特にオランダは、なにしろ味覚には禁欲的な人たちの国だから、現地でこれを食べたときは救われた気分になった。


わたしが最初に作ったのは遠いむかし、小学生の頃だった。百科事典のレシピを見ながら格闘したっけ。いわゆるアメリカ風のホットケーキ。欲張って分厚くしすぎ、中が生焼けになることが多かった。今は胃もたれしないよう、そば粉を入れて、薄く軽く調理する。つまり中年仕様だ。キャラメルソースと旨味のあるソルトを掛けるのが好み。そしてすぐに冷めないよう、メラニンの皿にのせるのがコツ。


ちなみに今まで一番感動したのがこれ。ぱりっと薄く仕上がり、そばの豊かな香りとバターの風味が解け合った、それはもう絶妙の仕上がりだった。死ぬまでにもう一度。

2011年4月23日土曜日

ムラの選挙に思う

なんで区議会なんて存在するんだろう。選挙のたびにそう思う。活動らしいことなんて何もしていないのに、高額な議員報酬が与えられ、数年おきに自分の名前を連呼するだけの仕事。考えても見て欲しい、小学校のPTAですら、もっと忙しく仕事しているし、おまけに手弁当なのだ。だから議員諸氏の場合、とてもアサマシイ動機で立候補しているのでは、と勘ぐられても仕方がない。それが証拠に、誰もが盛んに財政難と言いながら、「確かな野党」なんかも含めて議員定数削減や、議員歳費の削減という主張はどこからも出てこない。そのくせ、判で押したように「皆様の安心できる区政を実現します」なんてことを口々にのたまう。こういう恥知らず達の中から、いったい誰を選べと言うのだろうか。

夕食の後、妻と一緒に数ページもの立候補者名簿に×印をつけていった。多選議員はすべて×。与党系、それに隠れ与党、万年楽ちん野党、×。「老人」と「福祉」しか言えないお調子者はむろん×。「子育て」を売り物にする軽薄な奴も×。居並ぶご尊顔に次々と×印が付いてく。そうして残った候補者は僅か数名。改めて顔ぶれを眺めると、意外にもそうした人たちは、ときおり街頭演説をするし活動報告のチラシも入れている。主義主張は異なるけど、職務を果たしているというだけでも合格とせざるを得ない。

昨夜、仕事帰りに役所に立ち寄り、期日前投票をしてきた。こうやって時間を作り、考えて投票しても、何の役にも立たないのは承知のうえだ。心底無駄だと思いながらも、それでも毎度棄権できないのは、責任を果たさなければ発言する権利もないと思うから。政治を嘲笑する者は、政治に復讐される。わたしは、ずっとそのように信じてきた。そして、出来ることなら×ではなく、○をつけて選べる選挙になることを願っている。

2011年4月20日水曜日

選挙活動の自由

都知事選の結果に失望している人が多い、と感じる。何しろ敵の多そうな、あの舌禍老人である。あいつだけは許せないと感情的になり、その怒りの矛先は投票した人にまで向けられている。じつは以前、わたしも同じような感情を持っていた。金権政治家をトップ当選させる選挙区は、住民の程度が悪いからだとか、お笑いタレントに票を入れるような奴はどこかおかしいとか。もちろん口には出さないけど。

しかしその後、徐々に考えは変わった。自分は投票した人の何を知っているのか、ほかの候補者について何を知っていたのか、自問自答するとじつに心許ないのだ。ほかの人たちには違う判断基準があるのかもしれないし、わたしの知らない事実に基づいて投票したのかもしれない。結局のところ、わたしは勝手な思い込みで、単に自分と気の合いそうな人を選んだに過ぎないのではないか。そう考えると、誰が当選しても腹が立たなくなった。幾ら投票率が低くても、投票しなかった人を責める気にもならない。

だが、そうであるからといって、今の選挙制度が最適であるとは思わない。特に、「誰が最善」かでなく、「誰がよりましか」という選択をしなくてはならない政治状況では、誰に投票しても不満が残るだろう。つまり、自分が選んだ人が当選しても嬉しくないし、そうでない場合はもっと不満だ。だから最低限の保証として、投票価値の平等くらいは守って欲しいものだが、それすら政治的に無視される。本音を言うと、もう馬鹿馬鹿しくてやってられない。

現行選挙制度の最大の問題点は、選挙活動の自由が著しく制限されていることにある。趣旨は選挙の公平、つまり買収防止のためだが、直接に金を手渡さなくとも、高速道路の無料化とか子ども手当とかいう政策主張そのものが、もはや買収と同じである。だから必要なことは、そのような政策が果たして妥当なものか、立候補者も交えて可能な限り自由に討論できるようにすることであり、その議論を通じて誰が最善の候補者なのかを決定する権利を実現することなのである。要は選挙をただの人気コンテストにしないことが重要なのだ。

わたしたちの国が変化を受け入れられず、ただただ沈むに任されている惨状を見るにつけ、思い当たる理由は、日本の国にまともな民主政治がなかったことだと思う。民主義、自由主義を標榜しながら、同じように沈み続ける哀れな独裁国家たちと、いったいどこがどう違うと言えるのだろう。それとも、わたしの思い過ごしだろうか。

2011年4月17日日曜日

梅の実

地震があってから、このところ考え込むことが多くなり、以前のように遠くまで歩くことがなくなった。例年この時期は、いろいろな花が順々に開花するのを見て回るのが楽しみだったのだけど、今年はほとんど目にしていない。なんだか季節がひとつ消し飛んだ感じだ。


だから今日は家の周辺をちょっとだけ散歩。買い物ついでに公園に立ち寄り、園内の木々を写真に撮った。前回訪れたときは、梅の花が満開で、周囲に甘い匂いを漂わせていたが、今はすべての花が落ちて梅の果実が育っていた。あと一ヶ月もするとこぼれ落ちそうな大きさに成長しているはずである。


上の写真は、ちょうど二ヶ月前の時もの。風に揺れる梅の花の、清楚で可憐な色が胸を打つ。それにしても何という悲しい春だったことか。何という残酷な春だったのか。

2011年4月10日日曜日

家を持つということ

映画「男はつらいよ」で、さくら夫婦が念願の一戸建てを手に入れ、寅次郎が訪ねるというエピソードがある。そこで、小さな家の一部屋が、自分のために用意されたものであると知る寅次郎。その瞬間、カメラは人物でなく部屋の片隅に向けられる。たったそれだけのシーンだが、風来坊の兄が男泣きしているのが痛いほど伝わる。一見、自由気ままに暮らしているが、その実、故郷と切り離され深い寂寞感を抱える人生。そういう中で、厄介者の兄のために帰る場所をもうける妹の優しさに、誰だって心打たれることだろう。そしてみんな思う、だから持ち家は必要なんだ、と。

阪神大震災の半年後、わたしは高層マンションの最上階から、震災被害のなさそうな土地の借家に移り住んだ。もしも東京に大地震が来たら、そこで人生が終わってしまうと考えたからだ。人間が思うようには、自然は振る舞ってくれない。神戸では、ようやく手に入れたマイホームが、1ヶ月もしないうちに、負債だけを残して瓦解したという人もいた。全壊ならともかく、住めるかどうか怪しい程度に壊れた場合はいっそう質が悪い。それが大規模マンションならば、その解決には極めて難しい問題が立ちはだかる。運良く家は残っても、負債を抱えたまま失業したという人も珍しくなかった。そして今もなお、その影響は市民生活に影を落とし続けている。大規模な分譲集合住宅は、地震の起きやすい土地では極めてリスキーだというのが、震災の故郷を持つわたしの結論だった。

だからといって持ち家を否定するつもりはさらさらない。倒壊、類焼の危険がない場所の、丈夫な平屋建てならば、予算が見合う限り検討に値する。実際そういう条件で不動産を探したことがあったが、住宅の密集する近所にはそういう土地がそもそもなかった。また建売り住宅は安全性の面で論外だった。最近、旅行に出かけている僅かの間に、タケノコのように出現した建売があったが、そういう家は素人目にも恐ろしい。もちろん耐震基準をクリアしているだろうが、その基準すらコストとの兼ね合いという人間的な都合で決まっているからだ。

賃貸と持ち家、どちらが得かという議論が頻繁になされているが、それはまったくナンセンスだ。損得は、あくまでお金の問題、商売の論理。住居というのは、雨風をしのぎ、命をはぐくむ装置なのだから、最初に安全性の見地から考えなくてはならない。だから、賃貸と持ち家、どちらがリスクの少ない居住形態であるか、大地震が起きたとき、どちらが被害を少なくすることが出来るかという議論が正しい。単純に損得勘定で住居を決めることのできるのは、自然災害の少ない安全な地域に暮らす人たちだけだと思う。数多くの心優しいさくら夫婦が泣くことのないよう、住居は多数意見や感情に流されず、慎重に判断して欲しいと願う。

2011年4月9日土曜日

安全な社会のために

客観的には当然に想定しなくてはならないのに、自分たちにとって不都合な事実から目を背けていた結果が、今回の大惨事になった。人はこうあって欲しいという願望で物事を判断するものだ。たとえば、自分がこれまで安全だった人は、これからも安全だろうと希望的に「予測」する。だが、そこが間違っている。何度でも同じ過ちを繰り返す。大切なことは、少しでも過ちをただすこと、得られた教訓を後世に伝えることである。

たまたま地震直前に読んでいたに、予期しない事象に対する対策が書かれていた。とても大切だと思うのでその一部を引用しておきたい。
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「ブラックスワンに強い社会の原則」より 

1 壊れやすいものなら、早く、まだ小さいうちに壊れたほうがいい。
2 損失を社会化し、利益を私有化してはいけない。
3 目隠しをしてスクールバスを運転して、そして事故を起こした連中には二度とバスを運転させてはいけない。
4 「成功」報酬をもらえる人に原子力発電所を経営させてはいけない。
そういう人は、ありとあらゆる安全装置を省略し、それで節約できたお金で「利益」を上げるだろう。
5 複雑なことは単純なことで中和する。
複雑なシステムが生き延びられるのはたるみや無駄のおかげであり、負債と最適化のおかげではない。
6 子どもにダイナマイトを渡してはいけない。注意書きが張ってあってもダメだ。

-----引用終わり-----

ここ最近の原発事故の報道に接するたびに、上記リストの意味を噛みしめている。責任を取る覚悟のない電力会社に、自分たちが愚かであることすら認識していない政府、まいど噂に振り回され不安に怯える国民。そして、今この瞬間に起きてもおかしくない巨大地震や、その震源域に設置されている多数の原子力発電所。これらのことを考え合わせると、決して愉快な話ではないが、原発問題が片付くまで、いったんは大幅に生活水準を切り下げた暮らしをするのがいいように思える。おおざっぱな印象としては、いわゆる3C(車・クーラー・カラーテレビ)が庶民のあこがれだった昭和40年代、現在で言うとタイやベトナム程度か。もちろん悔しいけど。しかし、不都合な事実に目をつむり、仲間内の適当な反省でお茶を濁して、再び原発に頼った生活を続けるという最悪の選択よりはずっとましだと思う。

危険なものは、どう言い繕っても危険であることには変わりない。地震による重大事故が起きたにもかかわらず、そしてたびたびその危険性を指摘されながらも、十分な安全策をとることなく原発事業に邁進してきた電力会社や政府の罪は重い。加えて、電力会社の誇大広告を垂れ流してきたマスコミにも重大な問題がある。そして、オール電化の掛け声に乗り、家中を電気器具で溢れ返させている消費者だって、無傷ではいられない。誰かを声高に非難する暇があったら、むしろより安全な社会の建設に労力を使うべきだ。

2011年4月6日水曜日

停電支度


夏になると停電が頻繁に起こりそうなので、今からいろいろと準備している。とにかく真っ先に必要なのは、屋内の照明器具。ロウソクは普段から準備しているが、一時的な非常用として考えていたので、ひと夏超すにはまことに心許ない。

そこで電池を使う照明器具を探して見つけたのが、mujiのライト。ぶら下げて照らすには難ありだが、テーブルランプとして使うのならOK。LEDにもかかわらず暖かみのある色合いなので、料理だって不味く見えない。しかも充電式だから電池切れの心配がなく、サーチライトとしても役立つ便利もの。普段は玄関の隅っことか、廊下の足下にでも置けば、常夜灯としても活用できるだろう。

もっともこれだけでは用が足りないので、あとはローソクなどを適当に配置して、明るく楽しい夜を過ごすつもり。おそらく今後数年間、首都圏は電力不足で困るだろうが、ギラギラ照らすだけが室内照明でない、こういう意識が人々に生まれるならば、それは暮らし方の大きな進歩である。

2011年4月5日火曜日

帰郷

病床の父を見舞うため、久々に故郷に戻った。本来ならば3週間前に行く予定だったが、地震の影響で戻るに戻れない状況だった。しかし余震の心配も少なくなったので、取り敢えず日帰りで行くことにしたのである。


その日一番の便で羽田を発ち、時間つぶしに早朝の神戸の町を散歩した。整然とした街並みと、街路の満開のモクレンが美しい。16年前の廃墟となった光景が、まるで幻のように思い出せる。しかし、もはや懐かしい町の面影はなく、わたしにとっては、故郷とは言ってもどこかよそよそしい場所。震災前から続くカフェに立ち寄り、昔と変わりないサイフォンコーヒーを味わって、やっと故郷にいることを実感できた。


運が悪かった、と言える。バブルが崩壊し、重厚長大産業が転換期を迎え、グローバリゼーションの時代に対応しなくてはならない時期に、神戸の町は予想もしなかった災害を被った。そして、追い打ちを掛けるように、人口の急速な高齢化が進んだ。町は清潔で美しいが、もはや昔日の活気を取り戻すことはない。一番の繁華街だった場所では、有名な老舗が次々と店を閉じ、そのあとには大衆向けの安っぽく、詰まらない店が軒を連ねている。その様子は、東京の近い将来を、そのまま暗示しているように見えた。


夜になり、どこかに美味いレストランがないかと尋ねると、食通の妹曰く、神戸では震災以降これといった店がなくなり、新しい店も大したことがないので苦労しているとのこと。あれから長い歳月がたったが、この町はいまだに震災の影響を脱せず、長い不況にもがき続けている。そして、今回の大災害を契機として、これから更に長く深刻な試練が待ち受けている・・・。いったいいつになれば、平穏で幸せな時代を迎えられるのだろうか。