2010年11月21日日曜日

呑兵衛の麺料理


週末は友人夫婦を招いて理由なき飲み会。朝から掃除や買い物、食事の支度をして、約束の時間ちょっと前にようやく準備が整った。7時過ぎに最初の乾杯をして食事を始め、いつの間にか深夜になり、そして気がつくと周りから鳥の鳴き声が聞こえていた。友人たちを明るくなった外まで見送り、家に戻ると既に妻は疲れ切って先に眠ってしまっていた。散らかった台所にはワインの空き瓶が6本と半分に減ったウイスキーの瓶、そして綺麗に平らげた食器が雑然と並んでいた。急には眠れなかったので、食器を洗い部屋を片付け、そして一息吐くと急に空腹を覚えた。日付が変わってからは飲むばかりで、ほとんど何も食べていなかったのである。

こんな時は、いつも決まって作る麺料理がある。調理は非常に簡単で、まずそうめんを茹でて丼に盛り、そこに梅干しの崩したのを乗せ、更に鰹節、ネギなどを散らして、醤油を適量回し、最後に湯を掛けて出来上がり。特別なコツなどは必要としない。あまりにも簡単なので、酔っぱらっていても大丈夫。それでいてラーメンなんかよりずっとヘルシーで、お茶漬け感覚で食べることが出来る。

このレシピを知ったのはその昔、NHKの「男の料理」という番組でだった。レシピを披露していた人も自分の考案ではなく、行きつけの店の板前から教わったと話していた。そしてそれ以来、飲んだ後はいつもこれを作って食べるという。オリジナルは稲庭うどんを使っていたが、わたしの場合はしっかりとした腰のある半田そうめんだ。

写真は湯を掛ける直前の丼の様子。写真を撮るときまだ酔っていたが、取り敢えずピントは合っていた。ちなみに料理名は知らない。呑兵衛の「あっさりにゅうめん」と言えば伝わるだろうか。

2010年11月2日火曜日

「無縁社会」

無縁社会」を扱ったTVドキュメンタリーを見た。親兄弟、友人たち、地域社会との絆が切れて、孤独な生活を送る、もしくは送った人たちの話だ。本放送の際は、ずいぶんと視聴者の反響が大きかったという。誰も口には出さないが、それぞれが孤独に怯えているのだろう。たとえ今、家族に囲まれ、ひとかどの社会人として活躍していても、将来がどうなるのか誰にも分からない。

あるとき道ばたに倒れている人がいて、近づいてよく見ると負傷していて、おまけに靴を履いていなかった。息があったのであわてて救急車を呼んだが、到着したときには手遅れだった。すぐ後から警察官もやって来て、集まった人たちに身元を確認しようとしたが誰も知らない。そこで、その人のポケットを探ると、ゲームセンターの会員証が見つかり、ようやく傍の大きなマンションの住人だということが判明した。そこは頻繁に人が通る道で、私が来るまでの間みんな知らん顔して通り過ぎていたのだ。素晴らしく天気のいい、ある休日の昼間の出来事だった。

それから数週間が過ぎ、同じ場所を歩いていたら、偶然に調査中の保険会社の人に声を掛けられてそのときの事情を話した。そして会話の中で、その人が一人暮らしだったこと、生命保険の受取人がお母さんだったことを知った。どういう理由があったのかは知らないが、本当に寂しく悲しい話だ。たまたま関わりを持つことになった人に対して、あの時何をしてあげればよかったのだろうかと、今も時々考える。

人類の長い歴史の中で、今ほど自由で豊かで安全な暮らしが営める時は無かっただろう。「ないのは希望だけだ」とは、実によく言ったものだ。しかし、たとえ希望がなくても生きなくてはならないし、孤独にも耐えなくてはならない。いつの時代だろうと、誰にもそういう時が、必ずやって来たのだから。そのことを覚悟しつつも、私は以来、すこしだけお節介な人間になろうと努めている。
先のドキュメンタリーの中でも、近所の子どものお節介が、一人暮らしの中年男の心を慰めていたエピソードが語られていた。さすがにホロリと来たね。

2010年10月19日火曜日

家庭菜園で使うハサミ


先月から野菜の高騰が続いている。値段が高いだけでなく、そもそも品物がないのには困った。スーパーの野菜売り場はガランとして、すこしも活気がないのだ。だから今は葉物を諦めて、もっぱらカボチャや大根の煮物などでしのいでいる。元来、無い物ねだりはしない主義なのである。

もっとも手をこまねいているというのも嫌なので、少しでも食事の足しになればと思い、先月から家中のプランターや植木鉢を総動員して野菜の種をまいた。それがちょうど良い具合に暖かく、雨も都合よく降ったせいで、野菜たちはすくすくと育っている。そうしてこのところ、毎朝起床したら直ぐに野菜の摘み取りをするのが日課になった。おかげで朝食では、量は少ないものの、香り豊かで新鮮なサラダを楽しんでいる。


写真のハサミは昨年旅行した折、調理器具の専門店でハーブ採取専用として陳列されていた物である。刃先が小さく尖っているので、混み合った葉に分け入り、お目当ての葉っぱだけを選んで採取するのに適している。そして真ん中に空いた穴は、ローズマリーの葉をしごいて取るためのもの。家庭菜園を趣味とする人たちには、このようなハサミを是非お勧めしたい。

2010年10月16日土曜日

夜の展覧会

上村松園展」に行った。これまで、バラバラにしか見ていなかったので、今回の回顧展は全体を俯瞰するのにちょうどいい機会だった。作品は10代から始まり最晩年まで、よくこれだけ集めたものだと思わせる展覧会だった。上村松園は、いわゆる「美人画」というカテゴリーの作家だが、わたしは人物の描写が抽象的になっていく後期の作品群が気に入っている。遙か遠くに焦点がある視線の曖昧さ、言葉を発しない表情、これらは人物の意識が外でなく内側に向けられていることを示している。画面の余白は、透明で硬質な精神の広がりを暗示していた。そして後期の作品群は、まさに作家が精神の高みを目指して精進し、妥協なく積み上げられた巨石のような印象を受けるのだ。最後に代表作のひとつ、松園自身が理想の女性像として描いた「序の舞」を見ながら、わたしは京舞の人間国宝だった井上八千代の舞姿を思い出していた。

今回は人気の展覧会だったので、土日はパスして、金曜の夜に行ったのだけれど、みんな同じことを考えていたらしく、夜のチケット売り場の前は長蛇の列。やっと館内に入っても、非常に混み合っていて思うように鑑賞できなかった。6時過ぎに入館して、一通り見終わったのが7時半、もう一度大切な作品だけを見ようとしても残された時間は30分だけ。本来ならば、途中でお茶でも飲んでゆったりと休憩を取り、その後気に入った作品だけを堪能したいところだが、実際は時計を気にしながら疲れた体に鞭打って会場内を右往左往した。

いつも悔しく思うことだが、せっかく時間を割いて贅沢を楽しもうとしているのに、どうして公共の文化施設はそのニーズに応えないのだろう。都心の美術館であるにもかかわらず、通常の閉館時間が5時だなんて、勤め人に美術鑑賞は必要ないといっているに等しいし、ちょっと手軽に飲食したいと思ってもそういう設備も用意されていない。おまけに一旦会場外に出たら、もはや再入場が許されない。「外国では」などと引き合いに出すのは憚られるが、再入場が許される有名美術館だって現にあるし、館内の休憩設備が貧弱なところならばなおさらそういうサービスがあって然るべきだと思う。国立近代美術館は、昔から気に入っている美術館だけに、その点がとても残念なのである。

2010年10月13日水曜日

つらつらと思うに

このところ正義とか愛国心とか、なじみのない言葉が流行っているようだ。どちらも腹に収めるには、ちょっとばかり抵抗のある言葉である。正直なところ、具体的場面でこれらをどのように使うのか、わたしにはよく分からない。「あなたには正義がないのか」とか「愛国心を持て」とかを、他人に言い放つ自分が想像できないのだ。心の中ですら、そんな言葉使わないのが普通だろうにと思う。

「愛とは決して後悔しないこと」という有名な台詞がある。つまらない映画だったけど、この台詞はいいところを突いていた。愛する人のためなら、誰だって犠牲を払うことを躊躇しないし、そうしたことで後悔する人は少ないだろう。多分。「愛国心」の場合はどうなのか。極端な想定だけど、何度も戦争に駆り出され、最後に命を犠牲にすることに後悔はないのか。純粋に自分の意志でならまだしも、拒絶の許されない絶望的な状況で。

父は、典型的な貧乏人の子だくさんという家に育ち、まだ小さい頃に父親を戦争で失った。戦死したのは2度目の招集のあとで、部隊では一番年嵩だったという。それから、年の離れた長兄が戦死した。家族思いの優しい兄だったらしい。泳ぎが抜群だったので海軍に回されるのを心配し、家族のためにも陸軍に行きたかったのだが、その望みは叶わず魚雷の攻撃で帰らぬ人となった。働き手を立て続けに失い、父が進学を諦めようとしていたとき、教師をしていた叔父が親戚中を説得してくれた。その叔父も、無事終戦を迎えることなく父親や長兄と同じ運命を辿った。数年前、父とともに靖国神社を訪れ、近くの蕎麦屋で日本酒を傾けながら、口数の少ない父が珍しくそんな少年時代の出来事を語ったのである。

先日亡くなった小林桂樹の映画『名もなく貧しく美しく』を見ていて、とても美しい台詞に出会った。ろう者の夫婦が厳しい生活を送りながらも、「わたしには、この小さな家が天国です。」と語っていた。毎日の糧を求めて懸命に働くこの主人公たちには、およそ愛国心とか正義という言葉は似合わない。そしてわたしの父からも、かつてそんな勇ましい言葉を聞いたことがない。毎日忙しく暮らしていると、そういう言葉が収まる隙間がないのだと思う。

2010年10月3日日曜日

コンサート

キース・ジャレット・トリオのコンサートに行ってきた。あるブログでコンサートのことを知り、もしかすると今年が最後の公演になるかもしれないと思い、公演日直前にプロモーターに電話を入れてチケットを押さえたのである。

前回このトリオを聴いたのは、遙かむかしのこと。そのときはキース・ジャレットの演奏をステージの傍で見ていたが、パンチパーマ、革パンツという出で立ちで、目つきの鋭い、怖そうな人物という印象だった。そして今回、想像はしていたがメンバー全員が本当に年をとった。髪は白くなり、痩せて、そして少し背中が丸くなったように見えた。もちろん演奏自体はプロ中のプロだから、文句の付けようがない素晴らしさで、しかも以前聴いたときよりずっとリラックスして楽しめる演奏だった。

いつも何かの公演があるとき、どのような人たちが来ているかと関心を持つのだが、今回はちょっと特別だった。上は70代、下は20代まで。カップルにグループ、仕事帰りの勤め人に学生さん、異人さんもちらほらと。通常、客の構成は偏るものだけど、珍しくこのコンサートでは程良くバランスしてて居心地が良い。それだけこのトリオが幅広いファンの支持を受けているということだろう。

コンサートの翌日は雨。クルマにキース・ジャレットのCDを何枚か持ち込み、ランダムに流して聴いた。はじめて彼の生演奏を聴いたとき、わたしはまだティーンエイジャーだった。そしてそのコンサートのあと、晩秋の冷たい夜道で彼に出くわし、なんと言っていいか分からず棒立ちになったものだ。記録に残された演奏は永遠だけど、時間は止めようもなく流れていく。

2010年10月2日土曜日

ユル・ブリンナーのCM



いまだに忘れられず、強く印象に残っている広告がある。それは肺癌で闘病中のユル・ブリンナーが禁煙を訴えるテレビCMである。余命を告知されていた彼は、自らの遺言として「タバコを吸ってはいけない」と訴えた。CMが実際に放送され、人々がそれを見たのは彼の死後のことだった。数々の映画に出演して名作を生んだ俳優の、人生最後の心の底からの訴えかけに、その当時多くの人たちが感動したことだろう。

それからのち、わたしは幾度も禁煙を試み、そのたびに諦め、再び禁煙するというドタバタを繰り返した。そしてタバコを吸わなくても平気という状態になるまでに10年かかった。成功のきっかけは体力維持のためにと、軽い気持ちで始めたジョギングだった。皮肉なことに、そのとき禁煙の意識はなかったが、長距離を走ろうと練習するうちに、自然とタバコを口にしなくなったのである。ちょうどタバコ1箱が220円の頃だった

タバコを吸っていた頃の家計簿を見返すと、平均して1週間に10箱、1年間に500箱くらいは吸っていた。今にして思うが、こんなに大量のタバコを吸っていたなんて、やっぱり尋常じゃなかった。そして偶々であるにせよ、自然にタバコ離れできたことは本当に幸運だったと思う。日本では、減少しつつあるとはいえ、いまだ男性の三分の一以上が喫煙者である。そして今月からタバコの大幅値上げ。こんどこそはと禁煙にチャレンジする人も多いことだろう。そういう人のために、ユル・ブリンナーのCMを是非ご覧いただきたい。

2010年9月27日月曜日

休日の散歩



いつものように、いつもの道を歩く。先週は体の調子が狂って歩けなかったので、普段より余分に歩いた。この暑さ、もしかするとずっとこのままなのかしらと思った途端、いきなり秋本番である。蝉の声は途絶え、静まった緑道には時折鳥のさえずりだけが響く。久しぶりの静寂に、やっと夏が終わったという安堵感が沸いてくる。

緑道に沿うように小さなせせらぎが流れ、その土手の所々に彼岸花が咲いていた。猛暑の影響なのか、心なしか色に鮮やかさが足りないような気がする。赤い彼岸花と白い彼岸花が混じり合うように咲いている写真を一枚。本日の散歩のささやかな収穫である。

2010年9月21日火曜日

茶碗を買う



メンバーズカードを更新するか、ポイントを使ったのちカードを失効させるかという期日が迫り、悩んだあげく後者を選択した。何かのメンバーであるということが、微妙に心理的負担であったり、毎回貯まったポイントをどうするかで悩むのが嫌になってしまったのだ。クレジットカードは一枚でいいし、ショップのメンバーズカードだって持ちたくない。たまに、他人が財布を開て見せ、その中にお百姓の金歯みたいにカードがずらりと刺さっているのを見ると、まったく格好悪いと思う。それぞれのスタイルの違いに過ぎないのだと、ちゃんと自覚はしているのだが。

さて、それからが大変だった。ポイントを買い物券に交換してもらったのは良いけれど、敢えて欲しいものが見つからない。必要が生じたときは問題ないが、必要でないものを漫然と買い物するというのは、そういう習慣が全然ないので非常に困る。いくつかの店舗をぐるぐる回り、あれこれと手に取るがどうしても気持ちが動かない。無理もないのだ。メンバーズカードを作ったのは20年近く前。オジサン、オバサンとなった今では、感受性にもズレが出てくるものだ。

そして最後に入った店で、ようやく買い物をする気になった。それというのも、店員さんがとても親切で、釣りのでない買い物券が無駄にならないようにと、いろいろと相談に乗ってくれたからである。結局、選んだのは素朴な茶碗や皿など細々と数点。昔から使っている食器に飽きてきたので、ちょっと気分転換に良いかもしれないという考えからだった。

まるで地引き網のように

図書館を利用することが多くなった。本は自腹を切って読めと言われるが、如何せん何かと厳しいご時世である。何でもかんでもAmazonでポチッとやっていたのではたまらないし、それ以上に読む時間の確保が大変。それで数年前から、書き込みの必要がある本のみを購入し、ひととおり目を通せば済む本は借りるというルールを作った。新書の類などは概ね借りて済ませることが多く、目次を眺め、各章の結論部分を読んで、メモを取っておしまい。そしてメモするのが大変になりそうだと、そこではじめてAmazonのお世話となる。おおまかに言うと、「今」を知るための本は借りて、物事の本質を探る本は自腹を切って読むという感じだろうか。

所蔵している本を裁断してスキャナーで読み取り、必要に応じてパソコンで読むというのが流行っているらしい。なんでも、部屋の大半を占めていた本棚が消えて、たいそう清々しい気持ちになるのだそうだ。確かに本棚は場所を取るし、いつも繰り返し読む本なんてそうあるわけでなく、読んだらデータにしてパソコンに放り込むのがベストだろう。ただわたしには、そういう作業がひどく面倒で、それ以上に本をパソコンで読むというのが好きになれない。バランス感覚として、読書くらいはちゃんとした本でと思う。それに、自分の本は図書館に保管してもらっていると考えて、邪魔な本はリサイクルした方が合理的ではないだろうか。

そんなこんなで、わたしは図書館のヘビーユーザー。読みたい本があると、まずは都内3つの区立図書館に検索をかけてその蔵書の有無を確認する。だがこれがけっこう面倒。それぞれの図書館のホームページは、なぜかバラバラのデザインであり、操作方法も統一されていないからだ。そして最近知ったウェッブサービスが、「カーリル」である。事前に検索する図書館を登録して、借りたい本を「カーリル」で検索すると、自動的に各図書館の所蔵の有無を確認してくれるというサービスである。それだけでも有り難いのに、それに関連する本まで一気に検索してくれるという念の入りよう。仮にお目当ての本がなくても、それに近い本がリストアップされるので、待っている暇がなければそちらを予約するのだって悪くない。最初、このサービスを利用したとき、あまりの便利さに仰け反ってしまった。その破壊的な便利さを思うと「カーリル」なんて軽い駄洒落は似合わない。わたしだったら確実に、「超・地引き網」とでも名付けただろうと思う。

2010年9月8日水曜日

ヴェネツィア的

つい最近のニュースで、中国がGDPで日本を上回ったと報じられ、外国でもトップ扱いで報道されていた。いつかは逆転されるだろうことは分かっていたが、むしろ予想していたより時間がかかったという印象だ。実質的にはとっくに抜かれていたはずだが、為替が操作されているのでその分だけ遅れたのだろう。経済規模でおよそ1世紀ぶりの主従逆転ということである。

思うに、中国が経済分野の改革開放へ舵を切った時点で、この日が到来するのは必然だった。日本と比べ約10倍の人口、スクラップ同然の生産設備や社会資本、そして豊かさを渇望する人々。そこに巨額の資本を投じれば、ガソリンに火を点けるように、経済成長の炎が爆発的に燃え上がるのは明らかだった。戦争ですべてを失った日本やドイツが、その後急激な成長を遂げたのも同じ理屈。一定の条件が整えば化学反応が起きるように、どんな国でも似たような発展を遂げるわけである。物事が上手く回り出せば、あとは何もしなくても万事OK。急成長する国には、国民やリーダーたちの有能さは、それほど必要とされていない。

国民の有能さは、むしろ国の発展が止まり、傾いてきたときに試されるように思う。何を守り、何を捨てるのか。冷静に対応策を検討し、限られた手段を果敢に実行するしか選ぶ道はない。衰退し、縮小する国家では、国民がどれほど苦渋の選択をしたところで、決して喜ばしい結果など得られない。しかし、必要な施策を実行しなければ、更に悪い結果がもたらされるだけだ。そういう意味で、痛みしか伴わない不愉快な決断を、自らの責任でずっと選択し続けなくてはならないのだ。そして遠い将来、時間の経過という名の女神が微笑んだとき、ようやくその国民は有能だったと称えられるはずだ。

ちょうど1年前のエントリーで、政治に期待することを諦めたと書いた。国民自身が痛みを負わず、愚かしい時間稼ぎを模索し始めた時点で、もはや引き返せない道に迷い込んだと感じたからだ。リーダーに誰を選ぶべきなのか、その答えは用意されている。ただ問題は、今の時代にふさわしいリーダーが見あたらないことと、そういう人物を選ぶ有権者がいないということなのである。

ヴェネツィア衰退の時代、その当時の様子があまりに私たちの国と似ていることに、改めて驚いている。国民は変化を嫌い、生活水準を維持するために独身貴族が増え(適齢期の60%!)、外国で働くことをいやがるようになったとのこと。そして社会から自由な空気が失われ、不寛容な教条主義が蔓延ったという。