2015年2月8日日曜日

檜舞台に立つ

久し振りに歌舞伎を見に行きました。
伝統芸能を鑑賞するのは好きなんですが、なかなか劇場に行こうという気にはなれません。
もちろん劇場で見るのが楽しいのですが、座席の位置が悪いと元も子もないので、どうしてもテレビで観る方を選んでしまいます。
しかし今回は運良く良い場所が取れたので、張り切って行ってきた次第。


開演前の劇場内の様子。
今回初めて花道の側に座ることができました。
舞台全体の見通しが良いので理想的な位置です。


後ろを見上げると、提灯に紅白の梅。
着物姿の人も多く、場内は華やかな雰囲気に包まれてました。


そして3時間後・・・。
幕が下り、観客が劇場を退出した後、私たちは花道を通り、おそるおそる舞台に上がりました。
先ほどまで歌舞伎役者が熱演していたその場所に立ってみると、意外なほど観客席が近くに見えます。
ちょっと興奮しますね。


舞台の材質は檜です。
世に言う、檜舞台というやつ。
手で触ってみると、柔らかい感触がありました。


花道への出口には、揚幕と呼ばれるカーテンが掛かっています。


これを一気に引き上げると、目前に花道が延びている。
一斉に振り返る観客の目が、自分の姿に集中する。
これはさぞかし緊張するんでしょうね。
自分にはとても無理、役者でなくてよかった(笑。

2015年1月24日土曜日

アラーム時計の修理


ドイツ製のアラーム時計が故障しました。
急に遅れるようになったため、新しい電池に入替えるも、状況は一向に改善せず。
何か調節ネジのようなものがないか探しましたが見当たりません。
しかも古いものなので、修理を受け付けていない模様。
まだ10年程度しか経っていないのに故障するとはがっかりです。

それより遙かに古い幾つかの日本製は、いまだ全くの故障知らずで元気に働いています。
ドイツ製の方は、以前に使っていたのも故障したし、今回で二度目。
デザインは好きなのですが、さすがに3個目は買う気が失せました。
おまけに最近はメイド・イン・チャイナになって、信頼性も余計期待できませんしね。

それでやっぱり信頼の日本製ということになり、いろいろと探してみましたが、相も変わらず醜悪なデザインのものばかりです。
箱に文字盤と針を取り付ければ終わりなのに、揃いも揃ってなんでゴテゴテと余計な飾りをつけるのか理解できない。
センス云々以前の、良識の問題だと思うのです。

時計の中身だけ交換することも考えましたが、それはちょっと難しい様子。
それで毎度のことながら、仕方なく自分で修理しました。
クオーツの回路は全然理解できないので、出来ることといえば歯車の動きをよくすることだけ。
ただし、小さな合成樹脂の歯車なので、どのような油を使うかが問題です。
そこで見つけてきたのが、ミニ四駆用のフッ素樹脂入りグリスでした。

歯車の詰まった透明ケースをこじ開けて、中の歯車に付いた油を拭き取り、代わりに爪楊枝でグリスをほんの少しずつ塗っていきます。
幸い部品点数は少ないので、面倒な作業もあっという間に終わります。
直らなくたって駄目元という感じで行いましたが、その後数日経っても遅れの出る気配はありません。
今後どうなるかは分かりませんが、一応修理はできたようです。


2015年1月19日月曜日

20年が経ちました


あの日から20年経ったその朝も、早く目覚めてテレビの中継を見ていました。
ディスプレーに映し出される映像を眺めながら、いまだ言葉にできない思いを噛み締めました。

あまりにも多くの人が亡くなりました。
生き残った人々の人生も過酷です。
街の姿も、変わり果てました。

20年経った今、神戸は復興したのかと問われると、否としか答えられません。
過去には繁栄し華やかな時代もありました。
しかしその後、産業構造の変化やバブル崩壊の影響で、神戸は徐々に衰退に向かいます。
そして、衰退への決定的な引き金となったのが震災だったのです。

現在では市内の中心部には新しい高層ビルが建ち並び、震災前の様子を思い出すのも難しい。
しかし中心部を離れると、20年経った今も変わらず寂しい風景が広がっています。
場所によっては、むしろ空き地が広がっているように見えるのです。

少子高齢化のあおりを受け、市内は高齢者の姿が目立ちます。
社会の二極化という現象は、ここでは先鋭的な姿を晒しています。
悔しいことに、「荒み」という言葉すら思い浮かびます。
豊かで、ハイカラな街の姿を懐かしい記憶に留めるものにとっては、それはあまりに悲しい光景です。

故郷の人々が、復興という言葉に実感を得ることは、今後もあり得ないでしょう。
たとえばリスボンやブエノスアイレスの街が、往時の栄華を取り戻すことがないのと同じく、神戸の復活も容易には想像できない。
むしろ復興ではなく、しかし衰退でもなく、人々の心が穏やかに癒やされる別の道を探す必要があるのではないでしょうか。

震災を決して忘れず、多大の犠牲によって得られた教訓を生かすことでしか、犠牲者の魂を慰めることはできないと、この日が来るたびに思います。

2014年12月10日水曜日

晩秋の旅 2

国境の町にたどり着いた後、そこからスペインのローカル線に乗り換えて、バスク地方に入ります。
鉄道には詳しくありませんが、単に乗っているだけで嬉しいくちなので、珍しい路線に乗れるとワクワクします。
沿線は順調に開発が進んでいる様子で、意外にスーツ姿の乗降客が多く通勤列車であることが分かります。


ローカル鉄道ですが車両は新しく、しかも清潔感があります。
汚れ放題の隣国フランス国鉄とは大違い(笑。


バスク地方を旅するのは5年ぶり。
最初の訪問でバスクの土地柄や気質が気に入ってしまい、機会があれば何度でも訪れたいと思ってました。
ただアクセスには不便な地域なのでなかなかその機会がなく、今回体調は万全ではないものの折角のチャンスを逃したくなくて、少しばかり無理してやって来た次第。


時期的に雨が多いのですが、今回は天候に恵まれました。
燦々と陽が降り注ぎ、日光浴を楽しむ人たちが目につきました。


前回は、シャワーやトイレが共同の若者向きの安宿でしたが、今回は体を労って上等なホテルを選びました。
普段そういう所には行かないので、少し緊張します。


縦より横の方がずっと長い、ふかふかの巨大な寝台!!


泊まった記念に、ホテルのバーで一杯やってきました。


2014年12月8日月曜日

晩秋の旅

フランスの南西部を旅行しました。
最初に訪れたのはワインで有名なボルドー。
9年ぶりの再訪です。

飲んで食べて散歩する、というだけの緩い旅行なので特に目的はありません。
しかしせっかくの機会なので、現地の観光案内所に立ち寄り相談すると、協会の主催するワインツアーを勧められました。
毎晩人一倍飲んでいるくせに、ワインのことなど全然知らないので参加することにしました。


様々な国の人たちと一緒にバスに乗り、ボルドーの丘陵地帯に点在するワイナリーを訪ねます。
ガイド氏はフラ語と英語を交互にあやつり、それに加えて参加者達のそれぞれの言語が混じり合って、賑やかで楽しい見学会です。
それに引き替え工場の中は、ブドウの収穫、発酵、貯蔵の各工程を終え、厳しい冬に向かって深い静寂が支配しています。


見学会が終わる頃には、日は沈みかけ、ブドウ畑には晩秋の長い陰を引いていました。
そのつかの間の贅沢な風景に、私はしばし呆然と見とれてしまいました。



 当地で投宿したのは、立派なキッチンのついたアパート。
大きな寝室が二つもあり、全体の広さは我が家の優に3倍以上。
生憎広い家には慣れていないので、何をするにも面倒で仕方ありません。
何しろ「立って半畳、寝て一畳」が信条なものですから(笑。


数日間、豪邸の暮らしを体験しました。
しかも長期滞在向けのアパートなので、ホテルよりずっと安いのです。

私の選択



夕飯の買い物ついでに期日前投票に行ってきました。
選挙の争点がないためか、はたまた単に寒さのせいなのか、投票所には誰も来ておらず、係員だけの投票所には寛いだムードが漂っていました。
毎度のことですが、期日前投票に来る人があまりに少ないので、静かな部屋で多くの係員に囲まれていると微妙に緊張します。
たとえ背中しか見せなくとも、書き方で誰に投票したかおおよそ見当がつくでしょうし、国民審査に至っては不適当と考える裁判官に対してのみ×印をつけるのですから、私が何人に×をつけたかくらい筆記音で分かりますからね。
なんとも嫌なものです。

前にも書いたと思いますが、自分はすれっからしの無党派なので、候補者の主義主張にはほとんど関心がありません。
ましてや、自分の一票が国のあり方を変えるなどという妄想もない。
それでも毎度投票だけは行うのは、政治的アパシーを態度で表明することは、民主政治の否定につながるからです。
せめて子孫たちのために、何も出来なくとも自分の意見を言う権利、参政権だけは残してあげたいと思う次第。

思うに、現在進行形で起きている政治的な問題は、おそらく我々の政府がうまく解決できるような性質の問題でない。
急速な社会変動や経済の変貌は、民主主義の手続きによる対応では遅すぎるし、かつ一国の政府だけでは解決不能の広がりを有している。
ではどうすれば良いかというと、正確な現状認識を前提としたより穏当な政策を、辛抱強く支持し続けるしかないと思う。
それがいかに詰まらなくとも、また政治的な興奮をもたらすものでなくとも。
選挙とは、日常的に私たちが処理し続ける事務的な仕事と同じく、極めて退屈な仕事だと思います。

逆に言うと、熱気を孕む選挙は、必ずどこかに誤魔化しや恣意が潜んでいると思うべきじゃないでしょうか。

2014年10月30日木曜日

カプチーノという習慣

旅先で飲んだモカコーヒーが気に入って、それ以降朝はモカを淹れてます。
しかしそれだけではつまらないので、もう一工夫してカプチーノで飲むのが我が家の定番となりました。
単純にミルクをそのまま入れて飲むのも悪くはないのですが、ミルクを細かく泡立ててクリーム状にしたのを入れる方が、断然美味いのです。
また、冷え込む季節になると、細かな泡が断熱効果をもたらし、いつまでもコーヒーが冷めないという大きな利点もあります。


作る手順は、誰しもそんなに変わるものではないでしょうが、一応ウチのやり方ということで。
使うコーヒー粉は、今のところイリーのダークローストが気に入ってます。
深煎りで苦みが強い分、ミルクフォームと合わせてもコーヒーの豊かな香りが失われないからです。
エスプレッソブームのせいなのか、近所の店でも簡単に手に入るというのもメリット。


ミルクフォームをつくるには、専用の攪拌機を使います。
付属容器で別個に作るより、マグカップの中でミルクを直接泡立てた方が簡単で無駄がないため、私はいつもそのようにしています。
ミルクを50cc程度カップに入れて、レンジで人肌くらいに温める。
そこに攪拌機を突っ込んで10数秒かき混ぜると、あっという間にミルクフォームの完成です。(このとき、ミルクが吹きこぼれないよう付属の蓋で、カップを覆うことが必須)
その上から、熱々のモカコーヒーを注ぎ入れ、軽く混ぜてカプチーノの出来上がり。


マグカップはいろいろと試したところ、カップの底が湾曲したものの方がミルクフォームが簡単に出来ることが分かりました。
写真にあるように、泡がカップの縁を越えて盛り上がり、見た目の豪勢なカプチーノになってます(笑。
文章にすると面倒な印象がありますが、コーヒーの抽出と、ミルクの泡立ては同時作業なので、慣れると短時間で簡単に作れます。

2014年10月19日日曜日

歩くこと、食べること


入院中に主治医に言われたことは、とにかく頑張って運動しなさい、暴飲暴食を慎み消化の良い食事をしなさい、ということでした。
いつまで続ければいいのかと訊くと、「一生」・・・。
本当に気の重い話です。
ただでさえ、うちの血筋からいっても長生きしそうなのに、そんなことをすると間違いなく長寿リスクが高まってしまうからです(笑。
希望としては、楽しく健康に生きて80手前くらいでコロリというのが理想なのですがね。

とはいえ、医師の言いつけを忠実に守り、退院後は以前よりせっせと歩いてます。
今はちょうど、運動するにはいい季節ですし、早く体力を回復させないと次の旅行に間に合わなくなります。
しかし傷口はまだ痛むので、あまり激しい運動は出来ません。
だから背筋を伸ばしつつ、大股でできるだけゆったりと。
理想は週7万歩ですが、現実的には週5万歩を目指して歩きます。
週末と日曜合わせて2万5千歩だったので、平日は5千歩程度歩けば目標が達成できるはずです。

食事の方は、消化の悪いものを除けば特に制限がない。酒も少しならオーケー。
しかし、これが意外に難しい。
しっかり噛んでも口中に残る食品が駄目なんですが、それが野菜の中に多いのです。
大腸を手術した友人の体験では、エノキや山菜で実際に大変な目に遭ったとのこと。
そういう話を聞くと、食べ物選びにはいやが上にも慎重になります。

私の体を案じてくれた友人が、スープをたくさん作って持ってきてくれました。
仕事で忙しい中を、わざわざ時間を割いて調理してくれたものです。
栄養たっぷりの、野菜の旨味が濃厚で、しかもとても優しい味わいのスープでした。
料理上手の人なのである程度は分かってましたが、これほど美味しいスープは初めてです。
どうやって感謝の気持ちを伝えれば良いのか、私にとって難しい宿題がひとつ出来ました。

2014年10月10日金曜日

院内読書


術後、消灯時間以外は決して横にならないよう努めました。
起きている間は、ベッドに腰掛けて読書をするか、文章を作るか、もしくはがんばって歩くか、疲れたら食堂のいすに座りぼんやりとしているか。
おおざっぱに言って起きている間半分以上を、読書して過ごしました。
強制的に休まされるというのは滅多にあるものじゃありませんから、せっかくなので存分に楽しませてもらおうというわけです。

用意していた本をあらかた読んで、さて次はどうしようかという入院3日目。
病院内に入院患者用の図書室があるのを知り、退屈しのぎに体にまとわりつくチューブを引きずって探訪してきました。
図書室は資料庫を転用したような感じの部屋で、1000冊あるかないかという程度のもの。
ジャンルに偏りがみられるので、きっと寄贈する人が多いのでしょう。
しかし文庫本から単行本まで予想外に充実しています。
その筋の人の持ち込みでしょうか、不思議なことに大江健三郎全集まであり、高校の頃に読んだ「万延元年のフットボール」を懐かしさのあまりページを繰っておりました。
読み返そうと思いながら、これまで読み返すことはなかった本でした。

そうした中で見つけたのが、米原真理の書評集、「打ちのめされるようなすごい本」。
短い滞在の記念に一番ふさわしく思い、この本を借り受けることにしました。
これまで読みたいと思いながら機会がなく、おまけに返却期限のないのが素敵!

何が読みたいのかわからなくなったり、読書がマンネリ化したときに、私は書評集を手に取りますが、世評通り、米原真理の書評は出色のおもしろさでした。
米原のスタイルは、ジャンルに選り好みがない代わりに、自分の関心を引いた角度から本をすっぱりと切り落とす潔さにあると思う。
快刀乱麻を断つが如し、というマッチョな風情にして、勇敢で誠実な書き手への限りない敬意も存分に感じられ、評論のための書評になっていないところが高く評価されるのでしょう。

すばらしい書評家である前に、すばらしい読み手を失ったことが、返す返すも悔やまれます。

2014年10月9日木曜日

夢見る「夢の島」

5月に書いた文章ですが、落ちも何もなく放置してました。
入院中を利用して、少し書き足し、気の利いたタイトルを考えてみました。
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「日本は、夢の島にそびえ立つぴかぴかの超高層ビル」
4半世紀前に、ある経済書の中で描かれた日本の姿です。
もちろん、「夢の島」といっても、その当時の埃っぽい埋め立て地のことで、広大なアジアの比喩です。


空が黄色く曇り、風が強く吹いて埃っぽい休日の午後のことです。
顔見知りの年配のご夫婦と世間話をしたおり、黄砂被害に話題が移ったところで、普段から知的で温厚なご主人が中国に対して不快な感情を露わにしました。
年齢的には、おそらく中国に対して強い親近感を持っていてもおかしくない方だったので、これにはびっくりしました。

我が年老いた母も、中国や朝鮮半島の話となると、近ごろはやはり同様の反応を示します。
以前は決してそんなふうな感じではなかったのですが、意外にも高齢者たちに排外主義的な広がりを感じます。
書店の棚には、近隣を批判する本がそれこそずらりと並んでいます。
出版社とて商売だから売れる本を出すのが当たり前ですが、売れればオーケーの安っぽいナショナリズムが横行する風潮にはついて行けません。
かつての中国ブームや韓流ブームとは、一体何だったのでしょうか。

そのむかし、「ソウルの練習問題」という本が話題になったことがありました。
思想的な偏向がない、自然体の若者が未知の国に旅行して、様々な体験をするルポルタージュです。
当時の日本人にとって、韓国とは不気味な軍事独裁政権の続く、寒くて暗い貧しい国であり、およそ健全な旅行者が立ち寄る場所じゃなかった。
そして海峡を越えてやってくる人たちの多くは、男性相手の歓楽街で息を潜めて生きている。そういう時代でした。
このような日本人の先入観を覆し、ごく普通の人々が暮らす韓国という国を、混じり気のない視点から初めて描いた画期的な本でした。
いつの日にかアジアの国々が発展すれば、自分たちがそうであるように、当たり前に普通の人々が行き交う時代が来るに違いないと、この本を読んで確信したものです。


この冬のバーゲンシーズンの頃だったのですが、久しぶりに表参道に立ち寄る機会がありました。
そこには、まるでどこかアジアの街角に立っているような錯覚に陥るくらい、バーゲンの買い物をするアジアの若者達が数多く行き交ってました。
余裕のある中高年ばかりでなく、貧しい若者達ですらLCCで国境を越え、日本のバーゲンシーズンを楽しんでいるという事実に、改めて時代の変化を感じました。
現代のヨーロッパと同じように、アジアでも国境を越えて気軽に人々が普通に買い物をするという、私が若い頃に夢想したことが現実になりました。
老人たちの複雑な思いとは関係なく、どんどん世界は小さくなっています。


とはいうものの過去の複雑な経緯から、アジアの国々が今後順調に和解することは非常に難しいと感じます。
ようやく彼の国々にも中産階級が育ち、経済的なゆとりが得られたと思う間もなく、世界的な社会の二極化が深刻な影響を与えだしたという不運。
加えて、豊かな日本が苦しむ人口減少とは比較にならないくらい、急速で巨大な人口減少がそれほど豊かにはなっていない国々を襲いだすという不幸。
世界全体と連動する国内的な混乱と、対外的な軋みが、私たちの暮らしを不安定に揺さぶり続ける時代になってしまいました。
蓄積のある日本を除き、他のアジア諸国が紛争や動乱を起こさずにうまく軟着陸するのは、きわめて厳しいことでしょう。
その時、日本の国は、地域安定のための賢いリーダーシップを発揮できるかが問われてきます。
一国平和主義というエゴイズムから離れて、たとえ貧しくなろうとも、アジア諸国から信頼される国に脱皮すべき時代が到来しつつあると思います。

みんなが平等に夢見ることのできる「夢の島」を目指して。

2014年10月8日水曜日

ルーレットゲーム

木曜夜10時頃、食事中に下腹部の鈍痛を感じる。
最初はただの膨満感と思ったものの、次第にことの異常に気がつく。
その夜たまたま食べていたのが、数日前に作った煮込みだったので食中毒を疑い、直ちに整腸剤を服用してからトイレに駆け込む。
とにかく出るものは、すべて出してしまいたいという一念。
たが、いつまでも下痢の兆候は現れない。
むしろ痛みだけが直線的に増大する。

下痢でなければ、明らかにおかしい。

2時間を経過したあたりでトイレから出て、強い痛みに耐えながら、インターネットで考え得る病名を探し始めた。

その結果、腸閉塞か、結石あたりが濃厚に。
年齢的には、結石の痛みと考えるのが順当である。
しかし現実は、普通の健康な排尿があるのでとりあえず却下。

残るは腸閉塞。原因を含めて、これはちょっとやっかいだ。
その時点では自分自身には一番考えにくい症状だった。
なぜなら、毎日、快調に排便しているので、腸が閉塞しているということ自体が納得できない。
肉はあまり食べず、毎日が大豆食品と野菜が中心の食生活なのである。

なんであるにしろ、この痛みは自宅で解決できるレベルではない。
選択肢は、このまま朝まで待ち、通い慣れたホームドクターの診察を受けるか、直ちに救急病院に駆け込むかのどちらか一つ。
予想に反して大袈裟な病気でない場合だと、ご近所の手前、やはり救急車は使いたくない。
それに安易に救急車を呼んで、運悪く設備やスタッフの貧弱な医療施設に搬入されると後々やっかいである。

この点、ホームドクターだと、信頼はできるが、外科手術に対応できないのが致命的。
もちろん直ちに信頼できる病院を紹介してもらえるが、実際に施術するまでに時間がかかりすぎる。
これで手遅れになると最悪の結果に、場合によっては命に関わる可能性が排除できない。

となると、贅沢を言わずにとりあえず最低限の設備とスタッフがそろっている病院に、直ちに連れて行ってもらうのが正解ということに。
何よりも決定的だったのは、体力的にもう猶予がないレベルにまで到達したため、診察開始時間を待つゆとりがなかった。
発症から5時間後、ついに119番通報して救急車にきてもらう。
事前に、近所まできたらサイレンを消すことを了承してもらった。
いい病院か、そうでない病院に送られるか、一発勝負のルーレットゲームである。


午前3時半、連れて行かれた先は、自分の考えるベストではないが、かといって避けるべき理由もない総合病院だった。
すぐに当直スタッフ数人が駆けつけ、慎重な問診の後、レントゲン検査とCT。
得られた画像から、間違いなく腸閉塞と診断される。
診察台に仰向けになったまま、何枚もの承諾書にサインをする。
外科のスタッフが全員そろう朝9時から緊急手術。
「これから麻酔をかけますよ。」という声を聞き終える間もなく意識を失い、次に目を開けると不安げな妻の顔がそこあった。
後もう少し遅ければ、大手術になるところだったという。

病気としては珍しいので運が悪い(医師もそれに近い表現をした)、しかしルーレットには勝ったので運は残っていたといえる。
差し引きゼロ。
たまたま同室の患者は、先に悪い目の方を引き当て、運のない展開になってしまっていた。

悪い噂を聞いていたわけではない。
何度かその病院のまえを通り過ぎただけなのだが、そういう雰囲気が滲み出ていたのである。